日本は、長距離巨大爆撃機の技術も持っていた。
「和の国チャンネル」『田中英道が語る原爆開発の真実⑥ 日本海軍から米軍に情報筒抜け⁉ 未完成の長距離巨大爆撃機「富嶽」は、B-29よりデカかった!』日本の原爆実験に、海軍が非常に関わっていた。海軍が、アメリカに情報を流した可能性がある。情報というのは「交換」する。・日本海軍F研究は、1941年から開始。・米マンハッタン計画は、1942年から開始。天皇が原則として「殺戮兵器は作るべきじゃない」そうお考えになってることは東条は承知してたが、マンハッタン計画に対抗する何かをしないと負けるので、それを超えたある種の防衛をしなければならないことは、軍人としてのある種の「義務」でもあるわけです。原爆の基本激な原料(プルトニウムなど)は、日本にはないことは致命傷になったが、それは大陸にあることはみんな知ってるわけです。そこで様々なスパイども、特にソ連は敏感なわけです。あるいは中国は満州に敏感で、当時の人は予測がつく。ですから興南の計画があったからこそ、アメリカのマンハッタン計画が急がされたということでもある。彼は記事で次のように書いてる。「日本の原爆開発に関する決定が、 長距離爆撃機B-29の出現に大きな影響を与えた。」このこのことがすでに、日本が原爆開発してることを知ったうえで書いてる。スネイルはこのソウル刑場で本国に送電される日本人将校を尋問したことで、日本の原爆開発計画の情報を得てる。その日本人将校は、戦時中朝鮮での日本の原爆開発計画の傍聴任務にあたっていた人だと。アメリカ政府はスネイルに対して、この将校の氏名を含む詳細を公にすることを禁じたため、その将校に偽名:ワカバヤシテツオ(元海軍士官)をつけてる。日本は原爆実験だけでなく、原爆を搭載して運ぶ航空機の準備をしていたこともほとんど知られていない。ただこういう技術があったことは、我々としてはきちっと知っておかないといけないと思う。