カラヤン ウィーン・フィル『惑星』1961と消えた冥王星について
消えた冥王星論議もようやく落ち着いてきたようです。 遅ればせながら、僕もひとことコメントを。 僕は、今回の話の発端は、惑星を「12個に」(13?)ということであったことを記憶しています。 たしかに、冥王星が惑星の仲間から外れてしまったのは、 「水金地火木土天海冥」で教育を受けた者としては、とても寂しいことです。 でも、その学問的な定義と理論付けについては、新聞記事で読みましたが、異論の余地なく納得できる理由がありました。 考え方を変えてみましょう。 もし惑星の数が12か13に増えて、番号と記号でしかその名前を持たない馴染みのない星が、神々の名前を冠した惑星の仲間に入ることよりも、冥王星がその名のごとく謎めきを遺して冥界に姿を隠していったことの方が、情緒的にもしっくりするのではないでしょうか? さて、この論議を受けて、おそらく今世界中でにわかに聴かれたのが、 ホルストの組曲『惑星』 でありましょう。 この惑星組曲の中でも、もっとも人気が高く、またもっとも宇宙的な躍動感にあふれ、そしてもっとも完成度が高いのは、 木星 であることにおそらく異論はないでありましょう。 この組曲のコアを担う名曲中の名曲です。 出だしから、キラキラと輝く弦の高音のリズムに乗って、 超人的な飛躍を行う主題が立ち上がってきます。 心憎いティンパニーの連打とシンバルの一撃。 分厚く重厚な金管群、だけど重力の存在を無視したような軽快な音楽が次々と続き、 その圧倒的に豪華絢爛な音響世界の連続に眼も眩まんばかりである。 それが突然落ち着くと、あの平原綾香も歌った超・有名な ジュピターの主題 がやってくる。 この曲のみならず、この惑星組曲全体の「へそ」のような確固として雄大なテーマである。 カラヤンは、1980年のベルリン・フィルとの再録音ではいささかもたれ気味な重厚なレガートで演奏しているが、このウィーン・フィルとの録音では程よい重厚さと軽快さがあり、なによりも若々しい勢いと清清しい覇気ある。 ウィーン・フィル・ブレンドの、たっぷりとした音色もすばらしい。 このジュピターの主題はさわやかな余韻を残してさらりと終わるが、そのあとに冒頭のリズムの競演が戻ってきて、祝祭的な雰囲気が最高度に達したところで、この贅沢な音楽は華やかに幕を閉じる。 惑星に神々の名前を付け、宇宙に詩情を感じた西洋人の心は、今回の結論により、救われたのではないだろうか? 少なくとも、このホルストの名曲は現状のままで惑星としての完成体を維持することができたのです。 消えた冥王星、それはそれでなかなか素敵な存在となったのではないでしょうか?