クリスタルとパワースポット
ある『仮説』とは・・・って書こうと思っていたら、前回のコメを頂いた中にも、関連することがすでに載ってました(爆)。いつも、仮説を言ったりする時に『ドキドキ』してしまう小心者兎☆月にとって『いいから、書きなさいませ』と言って頂いたような感じで『ほ~~』っとしました^^;。仮説は二つあります。(注:ダブルポイントのひし形クリスタルはあくまで、エネルギーの取る形の一つのイメージであり、兎☆月のフィルターで見る「形」です。本当にあるか判りませんでしたが、真田さんのコメントには、本当に驚きました~~~(゚Д゚ ))一つは、パワースポットとして、その場にクリスタルの様なエネルギーを増強する磁場があったところが、戦場になったり、そこを訪れたり、生活している人のネガティブな念に反応して、その念を増幅している場合。もう一つは、レイラインや、グリッドの要に対して、塞いだり、その機能を低下させる為に任意に配置された場合。もしくは、逆作用にされた場合>>>>>>尾山神社がどちらに入るのか、さすがに、そこまで自分の仮説を貼り付けられませんが、笑い猫さんのコメと、私が感じ取った事でいうなら、ポジティブ方向にエネルギーを増幅する磁場が置かれたことによって、周りに浮遊するそれに対応する念や霊が、どんどん引き寄せられていた。そして、その念は寄り集まって、特に「本堂(前田公の象徴)」と「お松の方の石碑(お松の方の象徴)」を取り巻く縄の様になっていたのではないか。だから、いくら集まってくるものを浄化しても、また、直ぐに補給(霊が集まってくる)されてしまう。エネルギーの増幅装置の象徴であったクリスタルを本来の土に返すことで呼び込まれる事がなくなりそのあと、写真に霊が写らなくなったのではないかそう、考えました。だから、白龍のクリスタルも・・・・陰の気を増幅する方向に働き、結果、さつきのひかりさん曰く「生まれたときのエネルギーに善悪ははくて、それから大自然の力をためて神様になるべきだった」彼(白龍=玄武)は、「幽霊ホテルだとか式だとか、色々災難にあってしまって神性が発揮できない・・・自分でも忘れてるような?感じ」になってしまったのではないかと思いました。やっぱり、最終的には、「人」の念でしょうか・・・。レイラインを塞ぐ目的で埋めたのが、どういう存在なのか、わかりません。けど、人の念によって自分が分からなくなった白龍。そして連れてこられ(誰に?)、レイラインの一本を塞ぐ役目をさせられた。(その建物に、人のネガティブな念を集積させる様な役割をさせられて居たみたいな気がします。一回浄化した後、病院の雰囲気が軽くなったと、私も感じましたし、霊視できる友人もそう感じました)。どいうい目的で、白龍を連れて来たにしても、あんまり良い目的な様な気はしませんでした。けど、結果的に、白龍は、皆さんのエールを貰って、本来の姿の一部に戻れたようです。今、私自身を含め、まだまだ、ネガティブな状況にさいなまれたり、アタックを受けている方も多いようです。しかし・・・影がみえるからこそ、「自分が嫌っていた自分」をそこに見いだして・・・本当の意味で自分自身の全ての存在を統合できるんじゃないかと思います。邪魔をしているものが、実は、『成長を助けてくれる』『変化を助けてくれる』もし、邪魔する存在という者がいるとしたら、自分が行った事が、返って相手の変化・成長の助けをする事になろうとは思いも寄らなかったと思います。けど、そうなるんでしょうね。どんなものも、『存在している』という事実だけで『生かされている』=必要だと、と、愛のエネルギーを何処かで受けていると思います。最初は、一つだったはず。私達に愛や慈しむ心や喜びや感謝の心があるのであれば、根源はもっとももっとあったんじゃないかな?そこから生まれたものが「存在しているもの」であるなら、みんな持っているはず。根源から光と闇が別れ、2つになることから「貴方、こんなカッコよ~」とか「こんなことしてたね~。私はどうだった?」って互いの存在を知り、学びあう事が出来るようになったとしたら、んで、闇は闇(この場合の闇はネガティブとかいう意味じゃないですよ~)でもっと自分の事を分かるために、別れて、報告しあう。光は光で・・・・あ、細胞分裂みたいなものでしょうか(゚Д゚ )だから、必ず、その奥に暖かいものがあるはず。けど、『時期』が必要な事も真実。あったかいんだから、あったかい存在になろう。と、呼びかけても、「・・・・・」という存在も居ます。その時は、自分の中の「感謝」の心や「楽しかった」心愛する人を思うときの「愛」そんな自分で掴んできた真実を、そっとボールにして・・・包んであげます。それが、変化したときの世界の一つだよ。今度尋ねるまで、考えてみてね。と、静かに一時さようならします。って、これ昨日もやったの話なんですけどね(兎☆月にまとわりつく大きな2つの霊体。)今日は、お昼からhideroさんに久しぶりにお逢いしてきます。楽しみだな~。あ・・・・話がずれてきたΣ( ̄□ ̄;)。「なぜクリスタル」なのか?のご質問によって始まりましたこのシリーズ。*アトランティスの過去生での「クリスタル」の存在*その時期に、見なさいと与えられた本に書いてあった「クリスタル」の機能*尾山神社にも存在し、霊を引き寄せていた「クリスタル」*白龍を病院に繋ぎ、レイラインをふさいでいた「クリスタル」これらの事象が重なっていました。先にも、ブログに書いたのですが、もともとこの神社☆エールは、人の念などで寝てしまっていたり人の想いを受け止めて限界まで頑張ってくださっている私達の周りにいる神霊さん方の存在を知って頂けたらと思って書き始めたものでした。今、クリスタルの事を思うと、一人一人が、パワースポットという言葉に踊らされないでもらえたらと思います。どんなパワーも増幅する場所であるなら、見守ってくれている神霊さん達への感謝の気持ち自分を含めた皆の幸せを願う気持ちそんな暖かい気持ちもそこに降らせてもらえたらと思いました。そして、心静かに・・・・、その土地から、空気から、木々から石から・・・色々なものから元気を貰ったなら、その喜びを、その場で倍増して広げるイメージをしてもらえたら・・・その想いは、空を渡り、大地に染み込み争いのない、世界へと方向を変える小さな一歩になるのではないでしょうか忘れないで下さい人の想いは、人が思う以上に、遥かに強いです。土地を穢れたと呼ばれるものにするのも尾山神社の様に、神霊を縛ることも白龍の様に元気になってもらうことも出来ます。神社☆エールを書き始めた頃は気がつかなかった目的の一つがこれだったんだろうなと、白龍・尾山神社を通して思わせていただきました。>>>>>これにてクリスタル編を終了します。けど、諏訪湖に関して、シンクロするような面白いことがありました。また機会がありましたら、書きたいと思いますです。追伸>龍さんのコメントでご指摘があった件ですが、知人にも見ていただいたのですが、私が、お返事に書かせて頂いたことで大体あっているようです。但し、上着(コート類)の着用の参拝は、大学の神学部での行っておられた伊勢神宮での月例参拝時でもOKだったそうです。あと、磐さかや社殿も撮影禁止の所では撮ってませんです(撮らないようにしませう)。知人(マイミクさん)からは『神道の行事作法は、その社に古例があったらそれに従う事になっていて、学校で習うのは神社本庁の規定にある基礎中の基礎の部分です。個々のお社によって作法が違っても不思議ではないので・・・』『神社本庁の「祭式のガイドラインを作る会議」(本当はこんな名じゃないはずw)に参加されてる先生から「祭場の広さや状況で臨機応変に対応しろ」とは言われましたが。(これが「古例があればこれに従え」に繋がるわけです)』というお返事も頂きました。確かに、神社本庁が出来るずっと前に、各々の神社が発祥してますから、此処のお作法があるだろうなと思いました。なお、私が習った「女性が右」「男性が左」というのや、正中線では祭司以外祈らないのも、本庁の規範には無いようです。神前を中心として、左を上座・右を下座としての事と思います。(なので、歩き始めはお尻を左に見せないように、右足から踏み出すとか・・・)初代教主が、若かりし頃鞍馬山で修行されたので、その影響があるのかな???(今では綺麗さっぱり、「宗教」からお暇させて頂いてますが^^)あまり「他山の石」になれなかったような感じが致しますが、参考になればと思います。(調べてくださったマイミクさんに心から感謝申し上げます。有り難うございました!!!)