仏の対価【薬師寺】古代の神6~小説:~小説:奈良白日夢奇譚
願いをかなえる事への対価。それは仏教で説いている仏の教えの数々の実践であったりする。 が、別に仏教徒でなくてもOKだ。 戸籍(宗教の違い)の違い、無国籍(無宗教)も関係ない。 ◆人の心が温かくなる事。 いや、人のみならず、生きるもの、生きていないもの(あくまでも生物学的)、見えるもの、見えないものに関わらず、情けの心をもち、実践する事。 ◆感謝する事。 モノを大事にすること。 人を大事にすること。 己を大事にすること。 ◆後一つ…。 これは申請を出した人により異なる。 上の2つは代表的な事だが、だからといってどうしても万人に適応した事ではない。ちょっと違う人の為にこの三つ目の項目があるようだ。 例えば、「しなくちゃいけない」と逆に心を縛り過ぎる者。それはそれで実は怖い事である。 水にぷっかりと水に浮くには力を入れたり、「○○しなくちゃいけない」と手足を動かすと逆に浮かぶ事が出来ない。 力を抜きる途中で顔にかかる水への恐怖に勝って、水と一体になるまかせ心になれてこそ、ぽっかりと浮かべて青い空を思う存分見る事が出来きるだろう。怒ってはいけない、嘘をついてはいけない、○○は身体に悪いから食べてはいけない、いい事だからこうすべき。いい事なのにこう出来ない私は悪い者だ。エトセトラエトセトラ…。そんな固い心は良き事を行い事を目指しながら、人や己自身をさばいてしまうかもしれない。もし心配なら、一回海にでも行って浮かんでみたらどうだろう。 身体は心を表す。どうしても力が抜けぬ処、己の心の何処かに通じるかもしれない。もしかしたらガチガチになっている処に気が付けるかもしれぬよ…。 ちと脱線したが、そういう訳で三番目はフリー枠というか、その人にあった課題が来るようだ。それらが「願いをかなえる為の仏への対価」である。 大きな事を頼めば、 それなりの対価が溜まるまで実践するしかない。 もし即座にかなったとしたら、 今までの人生かもしくは過去生で納めた量が見合っていたのだろう。 ある種、非常に合理的でシステマチックな面がある。 また、各市町村により市政が違うように、 仏像によっても出来る事に差があったりする。 作ろうと思いったった(発願した)者の心も影響する。 作りだした仏師の心も影響する。 安置された寺の僧侶たちの心も影響する。 そして参る信者や民によっても影響する。 ちなみに、大講堂の阿弥陀殿は各課に転勤転勤で、 薬師の冠を頂いたり、弥勒の冠を頂いたりしているので結構技が多彩である。 身体の浄化を願う。 スイッチが入ったように、ざ~っと抜けていく。 ****************************** 仏像という「形」から「形なき存在」を見出し、 その存在に意味を作り上げる。 もちろん、仏界からの承認もあるが、 木片が仏に姿を変え、そして真に「仏界の端末」として機能出来る存在になれるにはそれなりの「心」が必要なのだ。 しかし…、 それでも心と思いから「端末」を作り上げる「人」と言う物は本当に凄いな…。 麗珊に「市役所」の意味を語りながら、月櫻はそう思った時。 その時、こんな言葉が聞こえてきた。 ****************************** 実(げ)に強きは人心(ひとごころ)、 そは人の中に神あるゆえ。 人それに気付かず。 故に、形つくり「祈り方」を教える。 心のつくし方、教える。 心をむける方向を示唆する。 形である、仏に拝む姿のその奥は、 己の神に語るなり。 「行いすべき」その奥は、 己が神をば起こす事なり。 ******************************* なるほど…。 どうやって自分の中の神を見つけ出していいか判らない我々に、 手順や見本を見せてくれているのか。 瞑想が苦手な者は、 形あるものに祈るもいい。 それは目標と方向の手助けをしているから。 人導きし神の思いの一片。 耳視師月櫻、確かに伝えし候。 にほんブログ村←心優しき方々に感謝です。お手数かけて申し訳ありませんが良かったら押して頂けると続きを書く意欲になりまする。