11111
2011.11.1の略。 今日は久々にゆったりとした時間を過ごしました。 けど仕事後で勉強会に出ていたので、帰ってきたのは19時過ぎ。 ご飯を作って、 本当に久々にTVを見て、 「家庭の医学」にうんうん、と頷き。 ながらで見れる間にさっさと洗い物(結構汚れ物出た)。 TVの後は、アップルテーにクッキーをちょっとかじりながら笑える読書(西尾維新の化物語下巻←)。 一話読み終わって、大満足でお風呂。 オイル入のお湯にちゃぽっと浸かる。 女子Dということもあり、 日曜日に一件依頼を済ませて今はリーディングも一休み。 いつもなら帰ってきたらPCを一番に起動させるのですが、 今日はここまで一度もPCを開いていない。 瑚月じゃない過ごし方。 昔は、こんな過ごし方してたな~って言うような、どこか懐かしいようなゆったりとした時間でした。 最近、時間をうまく使う様にあれやこれやと仕込まれているような気がします。 この世では、陽の光や月の光のように、誰にでも平等に24時間という時間が与えられています(概念だけどね)。 けど、歳を取るごとに「時間が経つのが早く感じる」といいます。 私もそう思います。 けど、今日はゆっくりしました。 今日のゆっくりした気分で、「ああ、けっこうストレスある生活してたんだな」って気がつく位、心がゆったりした時間でした。土曜日で半ドンで、午後から友人と遊んでも「ゆっくり一杯楽しく過ごした~。一日分はゆうに楽しんだ感じ~。」という日もあれば、 一日休みでも「ああ、もう夜だ」という日もあります。 オトナになると「しなくてはいけないこと」が多くなります。 同時に「やりたいこと」も多くなります。 「やりたいこと」=「しなくてはいけないこと」になる時もあります。 私の場合は「しなくてはいけないこと」が一杯あると、 時間が凄く短く感じます。 そういう時は、~時までは○○をやって、~分で△△をやって…とか時間管理を始めます。 これは体力や精神エネルギーの状態によっても変化します。 このどちらかが低いと「能率が悪い」という状態になったり「しんどい中でやる」という状態になるために、時間が立っている割に「達成感」がありません。 もっとエネルギーが落ちていると、「管理」が出来ず、「…あ…夜だ。0時だ←」となり「時間枠の外」に行っちゃうこともあります。 けど、ヤラなくちゃいけないことをさっさとやった後の時間は、 とっても有意義な時が多いな~と思ったのです。 今日なんて久々に「やらなくていい」状態だったので、ゆっくり出来た~と思いました。 時間を「のんびりさせる」には、 私の場合は色々ありそうです。 1>「しなくちゃいけない=義務感=労働=シンドイこと」という感覚を変えていく。 対応例A:体力と精神エネルギーを上げると「楽に」「さっさ」とできるのでシンドイ事ではなくなる。 対応例B:家事は週で分担する(土日に全部するのではなく、掃除や洗濯の一部は普段の日に少しやっておく。 対応策C:汚さない・散らかさない・すぐ片付ける 対応策D:切り替えを上手くする などなど。 けど、一番はAとDに尽きるんでしょうけどね:爆。 一人でも仕事があれば、忙しくなります。 (勉強会の資料つくったり、予習したり、勉強したりetc) 家族が増えれば楽しみと同時にヤルことも増えます。 そんな中、優先順位をしっかり決めつつも、 それが「させられている感」や「義務感」でなく、 自然体で出来るようにしなさい、そう言われているような気が最近するのです。 じゃ、何が出来るといいのかなと思った時に、 やっぱりリーディングの時間は欲しいと思いました。 なんだかんだ言って、リハビリの仕事と同じくらい、セッションも好きなようです(産みの苦しみ満載ですが。) 「家庭の医学」を見て、一口に~の症状っていっても原因は山のようにあるもんな~。勉強しなくちゃな~と改めて思いました。 まだまだ、不十分です。 リハビリストとしても、セッションを行う者としても、まだまだだと思います。 じゃ、どんな事がしたい? と自分に問いました。 どんなセッションがしたいの?と。 「人には一人ひとり、起きている現象や悩みに違う理由がある。 生まれたきた理由も皆違う。 私は完全に治す事はしない。 私は完全に悩みを消し去ることはしない。 ただ その人が何故その状態になっているのか、 その人が一番わかり易い言葉で伝えたい。 その人の心にコツンと響くように伝えたい。 雪山で小さな小石が何かのはずみで転がると、 大きな雪だるまになっていくように。 とどまっている小舟が流れに進みだす為のほんの軽い一押しの様に。 水の流を生み出す、一滴の水滴のように。 そんな「進みだす為の手伝いがしたい」。 その人が進みだす為の力を自らが生み出す為に心に響くものを伝えたい。 進みだすための最初の一歩の方法を伝えたい。 助けるのではなく、 その人が自分で自分を助けるために。」 今はまだ不十分ですが、これが私のセッションの目標でした。 そう言いながら、いつの間にか、アフォメーション(宣言)になっていたようでした。 次に浮かんできたのは、最近教えて頂いた「とある事」。 それは関西のある3箇所に行き、そこで出される課題をクリアするとアカシャ(宇宙?)と繋がれる&思ったことを実現する力が与えられるというものでした。 その場に居た人達はそこで出される3つの問を聞きました。 書けませんが、古今東西、あらゆる宗教の課題になってきた人類の問です。 教えてくれた方はその3つの問の共通の答えはひらがな10文字だから、 その場に訪れて解いてみなさい。 とおっしゃいました。 その場所のうち、一箇所は行ったことがある場所でした。 その時に「鍵だな」と思ったものが、その方いわく、課題を提示するものでした。 私の感ですが、その方は答えが決まっているような感じで話されましたが、 私は「多分、答えは問われた人によって違うのだろう」と思いました。 大事なのは何を軸にしているか。 それは揺るぎないものか。 その人にとっての真実なのか。 で、十人居れば十通りのこたえがあってもいいように感じました。 それを思い出した時…、 すっと、自然に両掌が上を向きました。 両手に何かずっしりとした感覚があります。 嫌な感じはありません。 何かを持っている感じです。 答えよ、という事かな?と思い、私が思った「答え」をいいました。 右手の重みが消えました。 では、左手は何が問われているのだろう?と思った時、 こんな言葉が聞こえてきました。 ~問を聞け ?。聞きに行けってこと?。 けど、遠いしな~。 違うな、今聞けってことか。 じっくり集中すると、こう聞こえました。 ~先ほどの問の答えはそうであった。 ではお主の目標は? ああ、そういうことですか。 私の人生も目標は、先程答えた答えと同じです。 それは、 境界線をなくすこと。 左手の重さがふと消えました。 今日は11111。 何か色々な事がありました。 何かが始まるのかもしれません。 そんな不思議な日でした。 にほんブログ村