ロウアーセルフ3&お礼
長らく話がストップしてましたロウアーセルフです。長すぎて忘れてしまった方&ワケワカメなお方→面倒でなえければ『その1』と『その2』をどぞ。立て続けに、エネルギーダウンの原因を引き込んで、強制スパルタをさせているものが『自分の中にいる』というのを少しづつ探り当てた私。さすがにポワンとしている私でも、その時はかなり怒ってました。「でてこ~~~~~~~~い!!!!!!きーーーーーっヾ(*`Д´*)ノ"彡☆」すると・・・私の中で、返事をする者がいました。(「出たΣ( ̄□ ̄;)」)イメージ上では、ハイヤーセルフというか上の別自分である茶巫女のララーに似ていますが、白い服でなんとなくイメージが違う。「ロウアー?」の問いに「そうだ」と答えます。自分でも「あ、こいつは自分の中から来た」という感じがしました。で、さっそく・・・・>>>>>>>兎「なんで、そんなに引き込むの?」ロウ「・・・・・・・・」兎「引き込むのを辞めて欲しいの」ロウ「・・・・・・・・」も、黙秘権ですかΣ( ̄□ ̄;)>>>>>>>>>>暇がある間に呼んで、引き込まないように頼み・・・「うん」と、返事をしてくれるようになるまで数日かかりました。しかし、返事をしたくせに暫く経つと「また」引き込む。で、呼び出す。了解の返事をするけど、引き込む。お~~~~~~~~い。うそつきはいけないぞ~~~~~~~orz。そんな繰り返しを半月ほどしていました。そんな状態に変化がおき、ロウアーがしゃべりだしたきっかけは、何だったのか、申し訳ないことに正確に覚えていないのです。しかし、確か「これ以上、体調不良になったら相方に嫌われるかもしれないでしょ???」だったように思います。事実、その頃は引き込まれる強制スパルタによるエネルギーの急激減少の他に、上での仕事など色々なものが重なって頭痛続きで仕事から帰ったら直ぐに寝込むという感じでした。自分も辛いですが、相方にも凄く迷惑をかけました。(家事、全部やってもらったり・・・orz)仕事こそ何とか休まずにすみましたが、いつ迷惑をかけるか心配してました。これ以上、自分を苦しめる上に人様に迷惑をかけるのは許せない!そういう思いでいっぱいでした。言い換えれば今だかつてないほど『変わりたい』という事を、心底真剣に考えたともいえました。『相方に迷惑をかける』の言葉にロウアーは反応しました。彼女が重い口を開いていったのは・・・・『自殺できないなら、命をたってくれるような状況が欲しい・・・って(願ったじゃない)』でした。>>>>>>>>相方との幾つかの過去生では、相方が先に亡くなりますが(事故死・自殺・実験死など)、その原因は自分にあると苦しみ悲しみ引きこもりになりながらも後に残る自分は絶対自殺しませんでした。今生でも、若かりし頃、自分の性格に悩んで自殺を考えた事もありましたが、心の奥の根強い『自殺は絶対駄目!』という思いに断念した事がありました。その要因が何か、不思議だったのですが、どうも 茶巫女の物語で書いたように・・・『愛する人の命を奪った自分は、どんなに悲しくても辛くてもその人の分まで行き抜く事が罰』と思って最後まで行きぬいたというような心境にあったようです。生きる事=罰であり尽くす事=償いであったのですね。だから、こんなブログを書く以前(3年ほど前)に『(貴方は)自分を愛していない』と、ある人から初めて言われた時に、とても不思議な感覚がしました。その当時のリアルの私は、休日も「リハビリ」が趣味でしたし、患者さんの為という名目で一日の大部分を病院で過ごしていました(普通に14時間ほど病院だったかな)。帰ってからも文献読んだりでしたね~・・・orz。心の中で『自分は道具だから、人の為に尽くして使えなくなったら死んだらいい』とすら何処かで思っていましたし、ジャンヌの過去生を思い出してからは「私のせいで大勢の人を死に至らしめた」と号泣。リハビリ業で、せめてささやかながらその償いをさせてもらいたい・・・とその思いを益々強化してしまいました。『貴方は自分を愛していない』という、その友人の言葉は今思うと、私にとって非常に大きなターニングポイントでした。その頃すでに発症していた持病も『自己免疫疾患』=「自分で自分の身体を攻撃する病」を持っていました。(幸い、とても珍しい病気ですが頚に発症する時以外は命に別状はないです^^;。)『自分を愛する』という言葉は、今思うと『愛』をまるで知らないアンドロイドに『愛の概念』を教えるに似たような感覚だったと思います。それでも、一歩一歩努力して・・・・ある日突然『あ、人生を楽しんでいいんだ』という、本当に心の底から納得した思いが湧いてきました。正に「それが許されるんだ!!(いいの?!いいの?!)」とい感じでした^^;。それは、満天の星空が見える露天風呂での出来事でした(爆。長い事考えていた、数学の問題がふと解けるような、そんな「あ~~~~(゚Д゚ )」という感覚でした。胸に・・・説明できない「喜び」が湧いていました。思えば・・・その時から、「私が人生を楽しく出来ない」であろう原因に向かう旅が本当に始まったのだと思います。それから半年しないうちに、ヒーリングとチャネリング・浄化の真似事が出来るようになり・・・ブログも書き・・・・・多くの大切な人に会い、幾たびの転機を迎え、なんども。・゚・(ノД`)・゚・痛い思いもしスパルタされ「奇跡?」に驚かせてもらいワクワク・ドキドキする人生を送りたい。「あ~楽しかった♪」といって、今生を旅立ちたい。と、一歩一歩自分ながら進んで・・・約3年目。とうとう、確信の一つに迫る事ができたのでした。罰だから死ねない愛する人の分も生きなくてはいけない償わなくてはいけない自分の人生は自分のものではない「自分のエネルギーを捧げて、他人を幸せにして、自分が不幸になる」契約自殺は絶対出来ない。だから・・・・無意識と言う心の奥底で<殺してもらえるような出来事を望んでいたのでした。>これはあくまで私的にですが、「人の為に尽くす癖」「自分を大切にしない癖」を『犠牲癖』や、もう少し綺麗な言い方(Hi)でなら『自己犠牲』と呼んでいましたが・・・それは、あくまでも一面から見た見方であり、その反面=別の名は『自虐癖』であり、(Low)なら『他殺(されたい)願望者』=「自殺願望者」であったのでした。生きなければいけないと思ったのも事実だったと思います。その反面、本当に苦しくて苦しくて・・・悲しくて悲しくて・・・・自分なんかこの世で一番罪深い人間なんだ・・・という重荷を背負って生きる事は、本当に辛かったのだと思います。だから「誰か私を殺して」「死ぬような不慮の原因が来て欲しい」と無意識に反作用の心が生まれていたのだ・・・、それが、ロウアーの『『自殺できないなら、命をたってくれるような状況が欲しい・・・って願ったじゃない』の台詞になったのだと、自分ながらすごく納得したのでした。続く>>>>>>>追伸>◆ペイ・フォワードヒーリングについて第1回目でしたが、なんと「小さな親切」の名乗りを上げてくださった方々が100名様を越えました。本当に、本当に嬉しく、若輩者の(年は若輩ではないですが:爆)ヒーリングにご賛同頂いた皆様に心からお礼を申し上げます。実は、一人でリアルの方々に100人越えで遠隔をさせて頂くのは初めてだったので、流した感覚や浄化した感覚はあったのですが「大丈夫だったのだろうか・・・・orz」とドキドキした朝を迎えました。そうしたら。。。朝一で、コメントを頂き、仕事から帰ってみるとメッセを頂き、若輩ながら皆様がペイ・フォワードして下さったエネルギーに対して、私もエネルギーの流れのお手伝いが出来た?と胸をなでおろしております。ペイ・フォワードヒーリングは、継続する事が地球や日本の為のお手伝いになれるのではと思いますので、基本、毎週実施させて頂きます。次回の予定は6月17日ですが、募集記事は近日アップの予定にしております。気長に、無理しないで笑える「小さな親切運動」にご協力をいただけますなら・・・どうか又、宜しくお願い致しますです。(私自身も、頑張りますです) 兎月