咎なくて死す
As flowers are brilliant but [inevitably] fall, who could remain constant in our world? [No one could] Today let us transcend the high mountain of transience, and there will be no more shallow dreaming, no more drunkenness. 色は匂へど 散りぬるを 我が世誰ぞ 常ならむ 有為の奥山 今日越えて 浅き夢見じ 酔ひもせず 言わずと知れた「いろは歌」。英訳もなかなか情景的、vanityの美の骨頂で素敵です。作者は弘法大師空海作とも、柿本人麻呂との説もあるそう。この歌は暗号ともいわれていて、一般的に知られている七五調を七文字に並べ替えると末尾が 「とか(が)なくてしす(咎なくて死す)」となる。 いろはにほへと ちりぬるをわか よたれそつねな らむうゐのおく やまけふこえて あさきゆめみし ゑひもせす これをもっていろは歌の作者が埋め込んだ暗号だとする説があるそうです。さらに、 いろはにほへと ちりぬるをわか よたれそつねな らむうゐのおく やまけふこえて あさきゆめみし ゑひもせす 「私は無実の罪で殺される。この本を津の妻へ届けてくれ」(篠原央憲氏『いろは歌の謎』: 無実の罪で処刑されようとする万葉の歌人柿本人麻呂が怨念をこめて残した、 暗号による遺書だと論じている)暗号としての意味を知るには、作者の真相が知りたいところです。もう少し調べてみたら『咎なくて死す』の暗号は江戸中期には人々にも知られていて『仮名手本忠臣蔵』において、「いろは」47文字によって、主君の仇討ちをした赤穂浪士の数を示すだけでなく、「咎なくて死す」によって、幕府のとった47士全員切腹という厳しい処置に対し、無言の抗議をしているとか。仮名手本忠臣蔵個人的には、いろは歌の美しさには他意はないほうがそれらしいかな、と思う。単なるわびさびの習い歌で、十分美しいのに。大正時代、大矢透氏の解釈では、『咎なくて死す』の意味は、無実を訴えるのではなく、仏教的に、「罪科もなく、清らかに死んでいく」という意味に解釈し仏教思想の理想的境地を端的に表現した言葉と論じています。真理的な美の解釈に一票!!無論、和歌の暗号はたしかに存在するとは思いますが。『金光明最勝王経音義』 ではこんな感じ。 以呂波耳本へ止 千利奴流乎和加 餘多連曽津祢那 良牟有為能於久 耶万計不己衣天 阿佐伎喩女美之 恵比毛勢須 ちょっと難解です・・・。(参考)いろはうた―日本語史へのいざない (中公新書 558) (新書) 小松 英雄 (著)