英会話、外国語を学ぶということ。
英会話のレッスンを通じて、同世代の海外の友人が結構できました。外国のカルチャーを聞けて楽しいです。インド出身の先生(私の1歳年下女性)の話では、インドはかつてイギリスの植民地だったなごりで、都市部では5割くらいが英語をネイティブ並みに話す。第二外国語である英語をマスターして当然という考えで、そもそも語学学習は1年半から2年あれば、その言語をマスター(=ネイティブレベル)して当然でしょう、という考え。彼女は日本にきて数年ですが、日本語ぺらぺらです。また、インドにおいては、選ばれたエリート層では、7歳で美しく英語をしゃべるそう。。カースト制文化ですから、社会的に成功したかったら教育は必須、教わるからには身につけて当然、という姿勢は日本人とは異なります。カナダ人の先生(50歳くらいの会社経営者)の話では、NYのビジネス街で驚くのは、日本人の英語の稚拙さ。日本語は敬語表現が豊かでポライトな人種のはずなのに、英語にもシーンごとのふさわしい表現があるにもそれを知らなさすぎると。人にお願いごとをするときの表現、目上の人・ビジネスシーンで使う表現、サービスへの不満を交渉するときの表現・・・知らないと恥ずかしいですよね。あらためて思うのは、自分含め、日本人は語学習得、下手だよなー、と。中学校からあんなに勉強してるのに。折角なので、先日 朝日新聞の「英語が母語 幸運か不運か」(大野博人記者/3月29日付)の記事をテーマに、少しコメントを。これはイギリスでは14歳以降の外国語の学習が義務ではなくなったということからの話題だそうです。要は、英語は国際語だから、それ以外の言語を学ぶのは必要ないでしょう、ということで、それは特なのか、幸運なのか、というテーマです。母国語以外を学ぶのは、私たち日本人の場合、この地球上、日本語圏がごく一部であるんだということを知るとてもいい機会であると思います。英語しか話せないアメリカ人・イギリス人より、カナダ人・インド人のほうが語学を教えるのが上手だなと感じます。彼らの場合、歴史的地理的事由により、生活の現場に第2外国語があり、外国語を学ぶことが至って当然のことであり、また学ぶからには習得して(=ネイティブレベルまで話せる域になる)しかるべきという考えです。だから日本に滞在している彼らは、多くはすぐに、日本語も流暢に話せるようになります。日本人の語学学習において、一番の問題は、『日本にいるだけだったらどうせマスターできない』というやけにアジア人意識に固持してしまう傾向だと思います。中学校から英語を学んでも、話せないのが普通、という日本人の考えのは、インド人達にいわれせると驚きだそうです。義務教育の論点にもなりかねませんが、学校にいって教わって勉強することへのexpectationが、日本人は低いのかもしれません。(極々トップクラスの学生を除き、一般論としてです。)街中に第2外国語がない日本人にとって、日本語しか話せないことは何ら機会損失にならず、日本経済が安定しているうちは、どこかしら海外に対して他人的な島国意識もあるのかもしれません。外国語を学ぶということは、自分たち以外の文化に向き合うことで自分たち含めグローバルな今を知ることだと思います。私たち戦後世代2代目についていうと、祖父母や親世代が戦後復興をがんばってくれたおかげで今の経済・現代システムがあるとしたら、やはり私たちの次世代への任務としては、グローバルな視点を早い世代から身につけていくことが大切なんだろうと思います。