六番目の幸福
六番目の幸福/イングリッド・バーグマン[DVD]■邦題: 六番目の幸福■原題: 『The Inn of the SIXTH Happiness』■出演: イングリッド・バーグマン, クルト・ユルゲンス, ロバート・ドーナット ■監督: マーク・ロブソン 主演は、カサブランカ、誰が為に鐘はなる、の名女優、バーグマン。ロベルト・ロッセリーニ監督との不倫結婚・離婚後、ハリウッドへ復帰してからの作品で、演技にいい重みがある。1930年代初頭、日本軍の中国侵略という激動の時代に、女性単身、中国奥地に入り苦闘の伝道生活を続けた英国女性グラディス・エイルウォードという歴史上の人物の実話を映画化した物語。Gladysは高等教育を受けてないという理由で、正式な伝道協会の派遣審査を落とされる。が、自分の人生の使命は中国にあるとの熱意は固く、メイドをしてなんとか陸路の運賃代を貯め、戦火激動の時勢、危険なシベリア鉄道で単身中国に渡る。伝道には、駄馬で陸路を旅するキャラバンが、言語理解も高く広がりもいいだろうと駄馬商人をターゲットにした旅館の経営をはじめる。映画では、たまたま旅館を引き継いだとなっているが、実話は、戦略として敢えて旅館経営を決めたよう。先任者のローソン女史が間もなく先立ち、伝道本部の支援もなく、現地に溶け込むまでGladysは苦悩の日が続く。旅館の料理人の男は、彼女の伝道補佐・通訳として、彼女に不可欠なよきパートナーであった。映画ではクリスチャンではなかったとあるが、周囲の住民にはクリスチャンではないと装いながら、実際は改宗していたのではないかと思われる。(話はそれるが、中国・チベット方面でのキリスト教の宣教の歴史は1世紀から始まるから、 キリスト教がどんなものであるかは、特に、キャラバンの移動民に対して、まったく知ら ない人への伝道とは少し様子が違ったのではと推測される)やがて国の纏足禁止発令の推進委員の役割も果たしながら、地元住民、省長とも少しずつ仲良くなっていく。ときには、牢獄の暴動を説得して鎮圧し、不当な横領の是正、牢人の労働機会の確保を呼びかけ、危険をかえりみない献身的姿勢と同時に立場をわきまえた賢明さもあいまって地域の人から崇拝されるようになる。そして、中国市民権を手にいれる。(彼女が活躍できた背景には、この省長の理解があってこそだったと思う。 白人というただでさえ差別される存在の彼女に、治安問題まで干渉させるのを厭わなかった 省長は先見の明があるのをこえ、反政府主義だったのでは?とさえ思う)途中、中国とドイツの混血、リー大尉と出会い影響を与え合う。映画では恋に落ちたとなっているが、その点については、脚色が強いかと思われる。そして、ついに日本軍がこの小さな村にも攻撃をしてくる。空爆でほぼ焼失し、あっという間に占拠されてしまう。省長は村をとじ、住民とともに隣の省へ避難することを苦渋の末、決断する。最後の晩餐のとき、Gladysへの敬意を表し、キリスト教への改宗をその省最後の記録書に残す。映画では触れられていないが、Gladysは日本軍からも指導者とみなされ、省長とともに、その首に100ドルが賭けられ追われていた。しかし、信仰の使命は固く、グラディスは孤児100人を抱え、救援の頼りのある西安まで、危険な山越えで連れていくというミッションを全うする。途中、日本軍の潜伏もあり、主要な道を避け、子供たちの徒歩による、信じがたい27日間の移動である。地図を見ると、YangchengからSian(西安)までは驚くほどの距離がある。実話だというから、信念を実行できるそのたくましさに感服の一言。映画では、晴れて西安に到着すると、子どもたちに別れを告げ、リー大尉と再会(そして結婚?)をめざし、Yangchengへ戻るというストーリーになっているが実際は、西安に辿りついたとき彼女は腸チフスになっていた。そして、しばらく西安で寝込んいる。病のなおったあと、Yangchengへは戻らず、西安で教会再建につとめ、その後さらに、チェチェンへ行きハンセン病患者の病院設立につとめている。リー大尉との再会はあったのだろうか?個人の幸せより、人道活動を選んだ人生である。1947年、新社会主義政権下となり、伝道活動は続けることができなくなり立ち退きを余儀なくされた。Gladysは戦中の怪我の治療もありイギリスへ帰国し、ロンドンで伝道活動を続けた。1958年、生涯の使命の土地が忘れられず、再び中国入りを目指すが、入国は認められず、仕方なく台湾へとどまる。そこで孤児院を設立し活動を続け、1970年、台湾で生涯の終わりを迎えている。_______________________________映画のストーリーはかなりラブロマンスが盛り込まれていて、現実のシビアさが薄れてしまっているのが残念。映画のタイトルは『The Inn of the Sixth Happiness』だが、実際、彼女がたちあげた旅館は『八福客棧』(The Inn of the Eight Happinesses )である。監督の意図の説明の文献を探したが、見当たらなかった。また、撮影はロンドン郊外に中国の城郭町をオープンセットで設けて行われ途中、現地住民たちの話す言葉が全員英語になってしまっているのに私は最後まで違和感があった・・・彼女の歩んだ人生というのは、映画以上に感動的。Gladysが知識・資金、つてもなく、一人で中国へ向かったのが今の私と同じ30歳。 特段目標も使命感もなく、「もう30だし」とか言ってしまっている自分がちっぽけに思えました。20代前半の希望と使命感?、もう一度持ち直してみたいと思います。■参考文献Gladys Aylward (1902 - 1970)http://justus.anglican.org/resources/bio/73.htmlhttp://www.tlogical.net/bioaylward.htm彼女の活動を称え、いくつかの伝記とそして彼女についての本も出ている。Janet Benge (著), Geoff Benge (著) Gladys Aylward: The Adventure of a Lifetime (Christian Heroes, Then & Now)(1998)※子供向けにつくられた彼女の伝記。Myrna Grant (著) Gladys Aylward: No Mountain Too High (Trail Blazers)(2003)※子供向けにつくられた彼女の伝記。R. O. Latham, Gladys Aylward, One of the Undefeated: The Story of Gladys Aylward as Told by Her to R. O. Latham (1950) Catherine Swift, Gladys Aylward: The Courageous English Missionary (1989) Phyllis Thompson, London Sparrow (1971) Alan Burgess, The Small Woman (1957)