激動の20世紀 キューバ危機 9 臨検ラインの攻防 後編
さて前回のブログは、まるで小説の「次回に続く」みたいな終わりになってまいました(単に書き切らなくなっただけなのです・汗)。と言うわけで続きです。ソ連潜水艦発見の報に、エクスコム(最高執行評議会)の緊張は頂点に達しました。その場にいたエクスコム・メンバー全員が、ジャック(ジョン・F・ケネディ大統領)の顔に無言で視線を向けました。もしここで、2隻のソ連船(キモフスク号とユーリ・ガガーリン号)と、海中のソ連潜水艦と向き合っている米駆逐艦ジョン・R・ピアースに撤収命令を出せば、戦闘は回避できるかも知れませんが、海上臨検は失敗、今回の騒動はアメリカ側の敗北、ソ連が国際社会で優位に立つことになります。そしてキューバにソ連の核ミサイルがあり続ける限り、いつ戦争になってもおかしくありません。逆にソ連潜水艦が撃沈されることになれば、ソ連は全面戦争に踏み切るでしょうし、アメリカもピアースが沈められれば、やはり戦争と言うことになるでしょう。どちらにしても最悪の展開が待っているのです。「大統領」この時スピーカーから、ペンタゴンの海軍作戦室にいるロバート・S・マクナマラ国防長官の声でした。「アンダーソン提督(アメリカ海軍トップの、作戦部長ジョージ・アンダーソン・Jr海軍大将のこと)は、今臨検するのは危険だと言っています。間違いなく攻撃されると・・・」臆病からはほど遠いマクナマラの声がうわずっています。さらに第2の凶報がピアースから届きました。「ソ連潜水艦は、潜望鏡深度まで浮上」潜水艦が潜望鏡深度まで浮上したという事は、攻撃するという意思表示に他なりません。潜望鏡深度は艦によって潜望鏡の長さに違いがありますから一概に言えませんが水深15~20m位になります。今のような電子機器の無かった第2次世界大戦時までの潜水艦は、潜望鏡で敵艦の位置を確認して、魚雷を発射していました(まぁ、その位の深度でないと水圧で魚雷発射口のハッチが開かない、魚雷が水圧で発射できないと言った欠点があったのも理由です)。もちろんキューバ危機の頃は、電子機器も魚雷も発展しており、潜望鏡深度より深い位置からでも攻撃可能ですが、ソ連潜水艦が探知されているのをみこして、あえて潜望鏡深度まで浮上してきたのは、ピアースに邪魔するなら攻撃すると警告しているのです。「フルシチョフは気でも狂ったのか」とは、大統領の実弟ロバート・F・ケネディ司法長官の言葉ですが、エクスコムの誰もが彼と同意見で、戦争は決定的と考えたのは、想像に難くありません。その時、大統領はおもむろに口を開きました。「ボブ(マクナマラの愛称)、ピアースの艦長に伝えてくれ。"任務を遂行せよ"と」恐らく様々な葛藤はあったと思いますが、臨検続行と決断しました。大統領の命令を受けたピアースも決断しました。「対潜水艦戦用意! アスロック発射準備!」「アスロック発射準備、アイサー! (「アイサー(Aye sir!)」「アイアイサー(Aye aye sir!)」というのは、海軍で兵士が上官の命令に対し、「はい、承知しました」という意味の返事です。陸軍の場合は「イエッサー(Yes, Sir!)」というのが通例です)」アスロックとは、キューバ危機の前年、1961年から水上艦艇に配備が進められた対潜水艦用の新兵器です。アスロックはロケット弾として発射され(速度は音速を超えます)、目標近くまで来ると弾体(短魚雷)は分離し、パラシュートで海面に落下します。着水すると衝撃でパラシュートは切り離され、目標に向かって自動追尾(追尾方式は磁気探知式、スクリュー音を追いかける音響式などがあります)して相手を攻撃するというものです。従来の対潜水艦兵器が、近距離攻撃しかできなかったのに、アスロックは11km先の遠距離目標も攻撃できるため、画期的な対潜兵器でした。完成から50年たった現在でも、西側諸国の艦艇にアスロックを装備しており(日本の自衛艦も積んでいます)、この兵器の性能の高さを物語っています(またどうでもいい余談ですが、日本のイージス艦は、アスロックの発展強化型で、射程距離も倍の22kmあるVLAを搭載しています)。ソ連潜水艦発見の報に、周囲の海域の僚艦がピアース支援のために進路を変え、さらに空母からは攻撃機が発艦して向かってきていましたが、間に合いそうもありません。ピアースは1隻で3隻を相手しなくてはならなくなりました。余裕のないピアースは、海上臨検成功のため、速やかにノイズ(妨害)の排除、つまりソ連潜水艦の撃沈を決断したのです。もちろん、攻撃をすれば世界大戦の引き金になってしまうという気持ちは、艦長にもあったでしょうが、彼にはピアースの300名の乗員を守る責任があるのです。1億数千万の国民の命を預かる大統領、数百名の乗員の命を預かる艦長、人数に違いはあれど、責任の重さは変わりません。ホワイトハウスも海上も、固唾をのんで推移を見守っていました。状況が劇的に変化したのは10時20分頃、臨検ラインまであと5分、ピアースが今まさに、ソ連潜水艦への攻撃を命令しようとしたその時でした。「艦長! キモフスクとガガーリンが減速中、停船します!」甲板員の声が飛びました。さらに、「艦長! こちらCIC(戦闘指揮所)、ソ連潜水艦が変針しています! 進路、北東!」「攻撃中止! 撃つな!」冷や汗をかきながら、ピアースの艦長は攻撃命令を撤回しました。そして彼らの見ている前でキモフスク号とユーリ・ガガーリン号は、ゆっくりと進路を変え、東へと向かいはじめました。彼らは停船したのではなく、臨検を拒否してソ連に引き返しはじめたのです。この光景は他の20隻のソ連船も同じでした。追尾してくるアメリカ艦を避けるように次々と進路を変え引き返しはじめました。この事態に、ホワイトハウスとペンタゴンでは情報が錯綜し(「停船しつつある」という第1報と「引き返しはじめた」と言う第2報が、同時進行的に伝わったため)、大混乱に陥りました。「いったい何がどうなっているんだ?」と、ジャックが叫んだ時、部下から報告を受けて事態を把握したジョン・マコーンCIA長官が、大統領とエクスコムのメンバーに事情を説明しました。「大統領、間違いなくソ連船は引き返しはじめました。フルシチョフが帰国命令を出したようです」海軍が海上臨検をしている頃、CIA(アメリカ中央情報局)はソ連船とソ連本国との通信をモニターして、情報収集に専念していました。そして、ソ連本国からの通信を受信したソ連船が、にわかに変針を開始したことを把握したのです。マコーンの判断は正しいものでした。フルシチョフは、「可能であれば臨検ラインを突破せよ」という命令を下しましたが、同時に、「米軍との戦闘、(臨検ラインの)強行突破を固く禁ず。突破不能と判断した時は、(臨検を受ける前に)退避せよ」とも命じていたのです。そしてソ連潜水艦が潜望鏡深度まで浮上しても(アメリカ側が知るよしもありませんでしたが、ソ連潜水艦も実は「先制攻撃禁止、攻撃を受けた場合のみ反撃を許す」という厳命が下っていました)、道を空けようとしないアメリカ艦の報告を聞き、これ以上のキューバ接近は本当に世界大戦になると、フルシチョフは全面撤退を命じたのです。こうして10月24日10時30分過ぎ、全てのソ連船はキューバへ向かうのを止め、引き返しはじめました。後から見てみると、非常にきわどいタイミングですが、ジャックが臨検続行を命じたことが、ソ連側の譲歩、1度目の(この後も何度か戦争になりかけますので1度目です)戦争回避へ繋がったとのは、とても興味深い話です。もし、衝突を恐れてピアースを下がらせていたら、フルシチョフの命令どおりソ連船は臨検ラインを無かったように突破し続け、後日核戦争への道へと繋がっていたでしょう。この辺に政治と外交の難しさがあります。こうして第1ラウンドはアメリカ側の勝利に終わりました。しかし休む間もなく、第2ラウンドの戦いが始まりました。次の戦場は、ニューヨークの国際連合本部ビル、海上臨検開始の翌25日に開催された国際連合安全保障理事会の緊急会議の席でした。外交の場で、米ソの国連大使による激しい戦いが繰り広げられることになります。