ハケンの品格を見て…3(派遣+ミステリーショッパー)
ブログの皆さん、元気にされていますか?アクアは、今週は少し自宅でゆっくりするつもりが、木曜日に父がまた救急車で搬送されて、病院へ行ったり来たりしてました。デイサービスで、突然居眠りしてその後起こしたら、嘔吐を繰り返す状態だった為、救急車を呼んだと言う事でした。母がパニックになって連絡してきて、アクアはびっくりしたけど、昨年何度となく父が救急搬送されていた為、冷静に病院へ母を連れて行くことができました。検査が終わって、点滴をされていた父は、結果的に脱水症状で嘔吐しただけだったことが解りました。命に別状はないと言う事で、自宅へ戻って、父の様子を見ていたら、だんだん食欲も出てきて、なんとか元気になりました。次の日、姉から連絡が入り、担当の内科医へ連れて行ってほしいと言われたため、両親をつれて内科へ受診して、担当医から言われたのは、認知症の人にはこういう現象はこれからもありますから、家族のものが体温調整・薬の管理などをきちんとしてくださいと言われました。アクアは一緒に暮らしていないから、姉にそのことを報告して、姉に父のことをよろしく頼みますと言って、その後、父の日のプレゼントを買いに行きました。さて、父は喜んでくれるのでしょうか?近況はこれぐらいにして、ハケンの品格、今週で終わってしまいましたね。春子が割り切りながら、契約を満了する場面は、自分と重なり合う部分があり、その頃の気持ちがよみがえってきました。そんな派遣の仕事について、今回は書きたいと思います。アクアが20代の頃、派遣の仕事をしていた事は書きましたが、それから、バイト・パートタイマーとして経験を積んだ頃、友達の紹介の仕事でドタキャンしてから、ずっとうつ病になり引きこもりになっていました。そんな中で、アクアを本来の自分に戻してくれたのが、園ママ友達の一人でした。彼女は、とても明るく強い人で、ぐいぐい外へ連れ出してくれました。そして、春になるころには、すっかり自分を取り戻せるまでに回復しました。仕事が大好きなアクアは、いろんな経験をしたいと思うようになり、PCで仕事を探すようになりました。その中で、ミステリーショッパーという仕事をするようになりました。この仕事は、お店に行ってスタッフのお客に対するサービスなどを見て、アンケートに答えるというものでした。こちらの仕事は、居酒屋・ショッピングモール内の店舗での服を選んだりとお客のふりをして、スタッフがどれだけサービスしてくれるのか?それを報告するのですが、結構、報告書が大変で何軒も回っていたら、その作業に時間をとられるので、しんどさも出できて、そのうち、担当者も変わって、仕事の連絡は来なくなりました。でも、この仕事、飲み食いできる為、アクアは結構、楽しんでやっていました。それから、別の依頼で飲食店を回って、厨房が清掃できているか?調査に行く仕事もやっていました。月1回ぐらいで、すし屋・パスタ屋・レストランなど、関西の店舗を車を走らせながら回りました。これも、基本的に一人でやる仕事だった為、どちらかというと楽しかったです。そんな仕事をしている間も、その仕事だけではそんなに稼ぎもないし、ほかにいろいろ経験がしたいと思い、派遣会社の登録をして、仕事が来るのを待つ…そんな日々でした。このブログを始めた頃、派遣の仕事で水産の仕事をしていました。今は有名な西宮ガーデンズのイズミヤの魚売り場での、バックヤードでした。ガーデンズのオープニングスタッフとして、入りました。実は魚が好きではありませんでしたが、この時のアクアは、娘の受験の為に、塾へ行かさなくてはならない為、少しでも時給の良い仕事をしなくてはならなかったのです。すべては、お金を稼ぐための派遣の仕事でした。でも、ここでの仕事は仕事仲間に救われて、契約満了まで働きました。ここで、2度目の引き留められる事を経験するのですが、水産の仕事は魚を盛りつけたり、バークヤードの中で掃除をしたり、かなり体が冷える状況にこれは、3か月が限界と思いました。だから、契約満了で仲間の引き留めもあったのですが、辞めました。そして、また、別の仕事が派遣会社から舞い込んできました。今度は、ある学校で健康診断の受付・診断書の入力をする仕事を春から3か月契約しました。ブログでよく、雨の通勤というのがあったと思うのですが、自転車通勤往復1時間30分かけて、朝から夕方5時30分まで働いて、土曜日も半日働くと言った状態になりました。これが、春先から夏にかけてで、アクアは花粉症の持病がある為、結構、マスクしながら自転車通勤するのは大変でした。皆さん、今ならコロナの予防の為、マスクをつけるとこの時期、どんなにしんどいか?お解りになりますよね。本当に、雨の日なんてカッパ着て、マスクつけてと、まるで防護服を着ている医療関係の人みたいな環境…本当に、今の医療関係の方には頭が下がります。本当にこれからの季節、防護服にマスクなんて、蒸し風呂のサウナ状態です。こういう経験をしているからこそ、今の現状にも耐えれるのもあるのですが、本当に通勤はつらかったのを思い出しますね。でも、学校で事務をしているとき、必ず保健士さんと同じ白い白衣を着せてもらえて、その時に生徒さんから先生と呼ばれることは、とっても嬉しく思いました。実は、アクア、小学校の教師の免許を持っていて、先生になりたかった夢がありました。それは、体が弱かったため、教師というハードな仕事には就けなかったため、断念したのでした。それだけに、先生なんて言われてら、そりゃーうれしいもんでした。でも、3か月経てば、白衣を返して、ここを去る…契約満了という、辛い現実が待っています。この現場では、保健師の先生方がものすごく優しくて、できたらこのままここでずっと働きたいと思える現場でした。でも、所詮、派遣の立場なので、契約と同時にさようならしなくてはならない…これは、春子の気持ちが一番解る現実でした。そして、何事もなかったように派遣の仕事を終えて、夏がやってくると言った状況が続きます。春のみだけの短期の派遣の仕事…これを、3年連続、同じ現場でやりました。この仕事のおかげで、娘を受験から高校へ進学させることができたのでした。そして、単発でテレホンアポインターの仕事もやりました。一日100件のアポという、結構、辛い仕事でした。ノルマがないと言っておきながらきっちりノルマがある…それがこの仕事の大変な所…契約が取れると、めっちゃうれしいのですが、声がどんどん出なくなってゆきました。そして、体調を崩してしまい、契約満了まで働くことができませんでした。でもね、母が塾代を一生懸命稼いでいる間に、娘は闇の中へ入ってしまいました。やっと、ひと段落、自分のやりたい仕事をと思い、ツアーガイドの資格を取って、いざ、研修が始まったとたんに、娘が学校へ行っていないと連絡が入り、その仕事をそこでリタイヤして、娘に向き合う生活をする事にしました。ブログで書いていたと思いますが、高校2年に入ったとき、完全に不登校になってしまったのです。春の出稼ぎもお誘いが来ていたのを断り、ここで、自宅に居なくてはならない状況になり、アクアは当分仕事に出ることは、単発のものしかやらなくなりました。そんな時、家にずっといると自分を見失うかもと思い、ある派遣の仕事をする事にしました。その仕事は、市役所がメインでの健康診断の結果説明会の受付の仕事でした。月に数回短時間と言う事もあって、この仕事をするようになったときは、どこか自分らしさを出せず、ただひた隠しにおとなしく仕事をこなしていました。それが、リーダーの方が自分も不登校の息子がいると言ってくれて、そこから、その人とよく話すようになり、徐々に娘の不登校も解決へ向かい、アクアは本格的にその現場で働くようになりました。この仕事も健康診断がなければ、仕事はなくて、冬場はあまり仕事をすることもなかったのですが、ここでの仕事は車で結果のカルテを運んで、説明会の会場を作ったりして、毎日、場所も変わるし、その日その日でスタッフも変わるので、アクアはドライバーとしてあちこち行き、その時のお客様に笑顔でカルテを渡すことに、楽しさを感じていました。何より、家に居たら、人とふれあえない…そんな寂しさもあったので、この仕事は大変だったけど、とても楽しかったと思いました。この仕事を数年した後、そろそろ、別の仕事にと思い、新たな派遣の仕事に就くことにしました。それは、デパート内でクレジットカードを作る為の手続でした。この仕事に入る前に、デパートでの研修に入り、そこでみっちり勉強させられました。しかし、この時ダブルで検診の仕事もしていた為、体調はかなり悪かったのでした。それでも、ロールプレイなどの研修を経て、ようやく、独り立ちできるまでになったのですが、それは、思ってもみないミスをおかしてしまい、責任をとる為、仕事を辞めることにしました。実は、この時、心臓疾患が判明し、力仕事・立ち仕事はNGとなり、ここで世間に出て仕事をすることはできなくなってしまいました。現在は、実家の不動産管理の事務とマンション清掃をしながら、マイペースに生活しています。アクアは、これまでいろんな仕事をしてきました。その中で、辛い仕事だったけど、その仕事仲間がそのまま友達として、今も数名付き合いがあり、自分の人生の中で振り返ると、仕事をしてきたのは決してお金設けだけがすべてではなく、人とのつながりと縁だと思っています。その人たちと出会えた事、本当に幸せだったと思います。ただ、派遣の仕事には、必ず契約満了すれば、お別れが待っていること。人とのつながりがそこで切れる事を忘れてはいけないのです。仕事に情は禁物です。これから、派遣の仕事をされる方は、よくそのことをかみしめて、仕事に臨んでほしいと思います。長々と派遣の仕事について、書きました。読んでくれた方、ありがとうござます。