夢の巷 NO7
これは私自らが夢の中で体験した物語である。■夢日記/2008年6月21日■鮨詰め満員バスに揺られ、吊革につかまりつつも運転手が制動ペダルを踏み、ハンドルを切り、する度車内の支柱を頼りに均衡を保ちようよう立っているといった案配。次の停留所辺りで下車しなければならないのだけれど運転席左隣に位置する、下車専用扉より遙か離れた後方の吊革につかまっているわたしは前方に詰め込まれた乗客群をこれ掻き分け掻き分けして進まねばならぬこと必至で難儀だよなぁ。溜息ひとつ。と、そうこうしてる間に目的の停留所に着いてしまったので意を決し前方の乗客群へ向け、当方下車の意思表示をすべく「すみません!」と、あれれ???わたしが発した「すみません!」の一声はわたしの丁度目の前幼い児童を引き連れ吊革につかまっていた肥満気味な女性との二重奏と相成り続けて彼女、「降ります。」結局、肥満気味の彼女が人の林を掻き分け掻き分けして道を開拓して呉れたのでわたしはその後に続くのみにて難なく下車。車内の淀んだ空気に対し、外界は清しく幾分涼しい。 見知らぬ街である。バスを降りたわたしは停留所の向かい側へと道路を横断し路地を入る。虫喰いだらけの葉を突き出した垣根焼け跡にうずたかく積まれた煉瓦の山煤けた下見板の壁をやり過ごし通り過ぎ老朽し赤錆びた、今にも崩落しそうなアーチをくぐるとそこは年経り鄙びた歓楽街の一画。否、正しくは時代の波に取り残された享楽の残滓とでもいうべきか冬の枯葉に埋もれた抜け殻の様な街で、人影も無く飲み屋の軒下に横たわり埃を被った、清酒の水色硝子一升瓶色褪せた黄色のビールケース沿路に連ね掲げられ、力無く萎びた提灯など哀れであり侘びしい。しかしながらわたしは、こういった景趣は嫌いではなくむしろ大好きなほうで例えば、小ぢんまりとしていながらも昭和初期の造り外観をとどめた劇場跡などかつては人々が集い賑わったであろう過ぎ去りしその盛況振りを夢想するのみにて心ときめくものがあり楽しい。そんなわけで、埃やら黴やらといったあらゆる経年の垢をないまぜにしたかの様独特の臭気を停滞させた通りを独り興深げに散策しているとわたしの行く手を阻むかの様薄汚れた茶色い毛並みの猫が足元に踊りいで猫本人、戯れているつもりなのか知らぬけれどむきになってわたしのスネにかじり付いてくる。猫愛好家であるわたしは一瞬、可愛いではないか、と和んだもののこれが加減容赦無く結構な力で噛み付くので少々不気味に思うのと同時野良に違いない此奴の鋭い牙により傷など負いその微細な傷口より注入された得体の知れぬ病原菌か何かに冒され狂い死になどしては大変とわたしの右足をしかと抱き抱えしがみ付く猫を振り払い、振り解き、引き離しそれでも懲りずに迫り来るのを足で牽制しつつどこか避難出来る場所はないかしら、と辺りを見回し近くの公園へと駆け込み、鉄棒に飛び乗る。さすがにここまでは来れぬとみえて鉄棒の下をうろつきうろつきし、うにゃらうにゃらほざいてけつかる。かっかっかっ。安穏の地を得たわたしは心に余裕が生じなお且つ俄然強気となり身の程知らずな狂い猫に対し、攻撃など加えてやりたく思い今現在出来得る最大限の攻撃として鉄棒上に立ち上がり、中腰で均衡を保ちつつ、猫に狙いを定め放尿。はっは、ざまあみやがれ。きらきらほとばしる黄金色のしぶきを浴びる猫。その顔は何故だか無邪気に笑っている様に見える。ところが、それを見ると今度は、何だか己が弱い者いじめでもしている様な後ろ暗い心持ちとなり、俄かに周囲が気になり落ち着かず、放尿を中断。鉄棒上にてかがみ込む。ヲシテネ。夢の巷バックナンバーはカテゴリ「夢日記」からどうぞ。