老後の愉しみ
文章が書けない。なんてことは無くまあ私生活においては相変わらず体内に鬱積したものを散じるため、或いは噛み砕くため言葉を書き殴ったりなどしているのだけれど最近ふとそれを自分自身冷静に読み返してみたところなんだか単なる感情の羅列としか映らずなにも響かない。そんなわけで、ここ最近はブログ上への掲載を止している。そもそも自分には、以前より文章を書く習慣はあったものの第三者に伝わるよう解り易く組み立てるなどといった作業は当ブログを立ち上げるまではまるで経験が無く出来るとも思わなかったわけでところがこれ、やってみると非常に面白く自分が書いた文章に対して読者より反応やなんかがあると嬉しくなってしまい今度はこうしてやろう、ああしてやろう反応を想像しつつまたにやにやと筆を進める。やり始めた当初はおぼつかなかったものの要領を得てしまうとたやすく陽の光を浴びた朝顔がするすると蔓の手を伸ばすが如く。書き上げた達成感も相俟って大輪の花。わっはっはっはっ、清々しい。ところが人間というものひとつの作業に対し一旦コツを掴んでしまうと同時に他人には気付かれぬ様、要領よく手を抜くといった姑息な術をも身に付けるのが常でそうなると緊張感を喪失、マンネリ化果ては出口の無い倦怠の霧中右往差往、彷徨い没することとなる。これは非常によろしくない。遺憾である。ってなわけで更なる飛躍を胸にわたしは文学の旅に出る。なぁんて、ただ単に無責任な絵を描いてる方が楽でありそもそも自分の書く文章とて、責任感溢れるものとは云い難い。ここに書き連ねた内容とて、まったくの出任せかもしれないわけで真意の程は誰にもわからぬ。このわたくしのみぞ知るってトコロでしょうかね。ヲシテネ。