断食 16日目
9時からの授業に遅れないために、朝4時半に起きたまま街が明るくなるのを待つ。今はまだ良いのだが、週に一度といえ朝8時に家を出るのはなかなかきついことかも知れない。イスラム教の授業で、学生10数人のうち、黒人のキリスト教徒と私以外は皆イスラム教徒である。その中に、マレーシアとパキスタンからの留学生が2人。先生は、アフリカ(どこの国かは忘れた)からのムスリムで、大学院で学びに来、そのままバーミンガム大学に残ったらしい。イスラム教は、現在イギリスで最も話題性のあるトピックのはずだが、"British"(白人を指す)の学生が一人もいないのはどういうわけだろうかと考える。ただ確かに、少なくとも私にとっては、大学の授業で真面目に神の存在を信じて教えていることは滑稽なことでもある。宗教など胡散臭さの他何ものでもないというような思考回路で育った者にとっては、いくらムスリム・コミュニティの中で生きていようが、彼らの真理(心理?)はなかなか受け入れがたい。イスラムとは、神へのsubmissionであり、surrenderであるという。しかし、果たしていかに? またこの日、Tawhidというイスラム概念の中核を学んだ。これは、神の唯一性、世界の唯一性を意味する。イスラム世界には、聖も俗もなく、政教分離という考え方もあり得ない。例えば、モスクの内外に違いはなく、生活全てがイスラム教の中にある。午後に、TahirのEthnic Relations in Britainを聴講。その後、履修登録を行ったが、結局この授業は取らないことにした。一つには、社会学部では1・2年生の授業も講義の他、それぞれにゼミが存在するものの、それらは講義の先生ではなく博士の学生によって行われているため。履修するのは、下記。授業は、講義とゼミの2時間で構成されている。火曜、Ethnicity and the City水曜、Immigration and Citizenship in Western Europe Islam, Multiculturalism and the State木曜、Priciples of Islamic ThoughtsEthnicity and the Cityの先生のMairtinは、なぜかやたらと親身に面倒を見てくれ、Personal Tutorになってやるとか言っていたので、履修用のサインをもらいに研究室を訪ねる。気さくだが、彼もエスニシティの研究では名の知れた人であり、アストンの向かいにあるハンズワースというブラック・カリビアンの移民街でのリサーチも行っている。ハンズワースは悪名高い地名の一つで、家の住人にはなるべく行かない方が良いと言われている。というのも、大きなメイン・ロードを隔てて、この2つの街はいがみ合っており、いさかいを避けるため賢明な住人たちは行き来をしない。面白いことだがMairtinの話では、カリビアン系の移民たちもまた、たとえこの国に生まれ育っても“British”というアイデンティティが希薄で、自分たちのことを単にblackだと思うことが多いらしい。イスラム教徒は、おそらく“Muslim”にアイデンティファイしているわけだが、彼らは同等に疎外感を感じているわけである。私は、研究室で昨日のモスク訪問の話をしばしした後、週末の解放感に包まれながらおとなしく家路についた。