ここ一週間
1月31日、ゼミ発表とレポート提出日。「Counter Narrativeとしてのパレスチナ映画」と題した発表で、70年代前後から今日までの、パレスチナ人自身によるパレスチナ人表象の変遷を追った。班発表のテーマは、「パレスチナとイスラエルを巡る記憶と表象」で、他の人はホロコーストの映画やハリウッド映画におけるパレスチナ人表象を調べた。60・70年代のPLOやゴダールが作ったプロパガンダ映画にも触れたが、中心はミッシェル・クレイフィが映画を撮り始めた80年代以降。一番大変だったのは、パレスチナ映画を全てリスト・アップし内容を把握したこと、それにNew York Timesのパレスチナ映画reviewを全て(もっとも、3,40本程度だが)読んだこと。前者は、何年にどのような事件や出来事の映画が撮られているかを調べたかったのだが、あらすじを読んだ程度ではさしたる収穫は得られなかった。後者は、New York Timesのreviewがどのように変わっていったか(例えば、80年代はかなり辛辣な批判が多かった)、取り上げる本数がどのように増えていったか、またいかに反イスラエルと反ユダヤ主義(anti-semitism)を結びつけてパレスチナを語っているか、など発表に使えたものが多かった。一ヶ月間、この発表のためにかなりの労力を費やした。考えてみると、誰々はこう言っているとかこの本にこう書いてあるといった類のものではなく、自ら根拠となる資料を探し、ある事柄についてを証明しようとした発表は初めてだったかも知れない。そしてまた、こんなに英語の資料を読んだことも・・・(というのも、パレスチナ映画に関しての日本語のサイトはほとんどなかったから)。試行錯誤ばかりだったが、ある程度満足のいく形で終われて良かったと思う。2月1日、発表とレポートが終わって、気が抜けたまま午後まで寝てた。5時半から、如水会館での「留学生を送る夕べの会」に出席。今年度の派遣留学生を激励?するための会で、派遣留学生や大学、企業、如水会のお偉いさんら70人程度が集まった。二時間ほど立食パーティがあり、スピーチを聞いたりスピーチさせられた後、最上階のバーに連れて行ってもらった。さしずめ、如水会に忠誠を誓わせるための会といったところか。うちの大学では、年に2、30人ほどの派遣留学生には、航空費や毎月の生活費が支給される。その費用を出しているのが、大学のOB会である如水会というわけである。パーティの最初に、後輩たちのために将来は君たちが如水会に寄付してもらいたいと言われたのには面食らった。パーティ自体は、同じ大学に行く人とも話せ良かったのだが、しゃべってばかりいたらほとんど何も食べられなかった。2月3日、RINGの5th Stageの報告会があるというので、大学からチャリでICUへ行った。行きは迷って一時間ぐらいかかったが、帰りは40分ぐらい。割と近い。RINGは若年齢化が進み、僕よりも更に若い子たちが中心になって頑張っている。たぶんこれからガッツリ関わることは出来ないが、手伝えることは手伝いたいし、還元できるところは還元していきたい。それが、RINGへの恩返し?か。改めてRINGに関わって良かったと思う点は、切磋琢磨していける仲間がいたこと、目標となる先輩がいたこと、学問的な刺激(特に中東地域に関する)を受けられたこと、などである。今のメンバーも、きっと何かを得、成長して去っていくのだろう。2月4日、久しぶりに地元の友達と本気でサッカーをした。サッカーに本気になったというよりも、勝負に本気になったと言った方が良い。腕立て50、腹筋50、買い出し、おごりなどが賭けて行われた。とにかく限度を超えなければ何でもありで、怒鳴り合い、騙し合い、反則タックルなどの応酬であった。タックルで、泥だらけになり、足を負傷した。春休みの企画(本気で鬼ごっこ?)も楽しみである。そういえば、あつろーがバイクで人をひいたらしい。相手は、一時意識不明の状態になったのだが、何とか大丈夫だった。さすがに、へこんだらしい。そんな一週間。