ムハンマド風刺画問題に見られる『オリエンタリズム』
ふー、やっと今日でテスト・レポートから開放されました。長かった…。以下は、昨日の朝方ようやく終わったレポートです。時間もほとんどなかったため、水曜日に取材に立ち会って?聞いた先生の話のほぼ受け売りです。適当にでっち上げた感が。そして、レポート(読書)課題と合致していない気が…。しかし、重大な問題だと思うので、何かの参考になればと思います。ともかく、春休み!ムハンマド風刺画問題に見られる『オリエンタリズム』1.はじめに ここ数ヶ月だけでも、フランス郊外での「暴動」、パレスチナ自治選挙戦でのハマス勝利、ムハンマド風刺画問題と、イスラム教徒のニュースが世界を騒がしている(「暴動」は、イスラム教との関わりは疑わしいものの・・・)。そして残念ながらこうした報道は、益々イスラムへの偏見を強め、西洋社会とイスラム社会の溝を深めていっているように思われる。ヨーロッパ内部には、1500万人以上のイスラム移民が生活しているのに関わらず、である。現在、西洋社会は、イスラム教徒をどのように捉えているのだろうか? サイードが、『オリエンタリズム』で分析したイスラム表象のあり方がどの程度見られるのだろうか? ムハンマド風刺画問題を例にとり、考えてみたい。 この事件は、2005年9月デンマークのユランズ・ポステン紙が、メディアの自己検閲を懸念し、問題提起として12枚のムハンマドの風刺画などを掲載したことに端を発している。今年に入って、欧州各国(但し、イギリスなどは自粛した)の新聞や雑誌が「表現の自由」を掲げ、この漫画を転載したことから、イスラム教徒の抗議行動が激化し国際問題へと発展した。2.ムハンマド表象ムハンマドは、にせの啓示をひろめた者とみなされていたために、好色、放蕩、男色、その他ありとあらゆる背徳行為を一身に体現した者とされ、それらの悪徳のすべてが、彼の教義上の詐欺行為から「論理的に」引き出されていったのだった。こうしてオリエントは、いわば代表者と表象とを獲得した。(『オリエンタリズム』上巻:p.148) そもそも偶像崇拝が禁止されているイスラム教徒にとっては、ムハンマドの画が存在すること自体が衝撃的なことである。加えて、今回特に問題になったのは、爆弾の形をしたターバンを巻くムハンマドなど、テロリストを連想される描かれ方がされていたことであった。 サイードが『オリエンタリズム』で明らかにしたところによれば、(「ぺてん師」という)歪んだムハンマド表象やムハンマド表象によりイスラム世界全体を表象しようとする試みは、既にヨーロッパ中世の時代から継続的に行われてきた。こうした長い伝統を考えると、爆弾のムハンマドや剣を片手に目を塗りつぶされたムハンマドの絵が描かれているのは不思議なことではない。「ムハンマドの剣およびコーランこそ、文明と自由と真理とにとって世界がこれまでに経験したもっとも手強い敵である」(Jean Thiry, 上巻:p.346)という認識は、未だに変わっていないのである。そして、イスラム社会全体の表象との繋がりを考えれば、やはり「イスラム=テロリスト」というイメージが西洋において支配的であることが伺わされる。一体、13億人存在するイスラム教徒のうちの何%が、“テロリスト”だと言うのだろうか?3.キリスト教との類推問題イスラムを理解しようとするキリスト教徒の思想家にとって、思考上の一つの枷となったのは類推作用であった。キリストがキリスト教信仰にとっての根本にあるために、イスラムにとってのムハンマドもまた、キリスト教と同じ関係にあるだろうという―全く見当はずれの―想定がなされたのだった。(上巻:p.143) 今回の事件でも、イスラム教徒の心情を理解しようと試みて、各国で同じような類推が成された。例えば、日本の天皇、米国の星条旗、キリスト、あるいは仏陀を風刺画で揶揄することは可能なのか、あるいはそうした場合はどうなるのか? こうした比較は興味深く、もし仮にヨーロッパのメディアが自身のタブーを犯せないのだとしたら、ダブル・スタンダードであると言わざるを得ない。例えば、ユダヤ教のタブー・・・。イランのハムシャフリ紙は、この事件への反発から、このタブーに挑戦しようとしている。ドイツでのユダヤ人虐殺を題材とする漫画のコンテストを開催し、西側諸国がホロコースト風刺にどこまで寛容になれるか確認する方針らしい。 しかし、このような類推と応酬がどの程度意義を持つのかは甚だ疑問である。そもそも今回の事件も、西洋が彼らの価値基準を土俵とし、政教分離が成されていないイスラムは後進的であるという傲慢な認識があっため、大事に発展したのではなかったか。殊にフランスのメディアが、「表現の自由」を掲げ、こぞって風刺画を掲載したのは、フランス的価値観の絶対的普遍性を主張したかったためであろう。「ル・モンド」が掲載した“書けない”という文字を使ったムハンマドの肖像画(*1)などは、極めて確信犯的である。ところが、そもそも教会がないイスラムには、政教分離という概念自体がない。また、教会からの自由が近代化であるという発想もしない。どちらの世界観が正しいかという問題ではないが、少なくともヨーロッパがイスラムとの共存・共生を図る意思があるなら、イスラム側の視点に立ってみる配慮が必要だったのではないだろうか。 「We have done the same thing with Jesus Christ and other religions. We were not treating Islam or the Prophet any differently from how we treat everybody else in Denmark.」(Flemming Rose, the culture editor of Jyllands-Posten, *2)というような弁明は、イスラムには通用しなかった。安易な類推は、他者への尊厳を踏みにじることに繋がりかねない。4.『悪魔の詩』事件とサイード「Certainly, Muslims and others are entitled to protest against ''The Satanic Verses'' if it is their opinion that the novel offends their religion and cultural sensibilities. But to carry protest and debate over into the realm of bigoted violence is anti-thetical to the Islamic traditions of learning and tolerance. 」(February 17, 1989 The New York Times)IBRAHIM ABU-LUGHOD EQBAL AHMAD, AGHA SHAHID ALI AKEEL BILGRAMI EDWARD W. SAID, GAYATRI SPIVAK 今回の出来後から連想されるのは、サルマン・ラシュディがムハンマドを悪魔に見立てて書き、ホメイニ師から暗殺指令が出された1989年の『悪魔の詩』事件である。今回の風刺画の方が悪質であり、簡単に比較することはできないが、生前のエドワード・サイードが、どのようにこの事件を受け止めていたのかを見ておきたい。 まず、サイードはラシュディの『悪魔の詩』に対して、オリエンタリズムを助長しているとし批判を加えている。しかし他方で、ホメイニの暗殺指令などの措置も、「表現の自由」という西洋的価値観に照らしてではなく、イスラムの学識と寛容の伝統(the Islamic traditions of learning and tolerance)に対して違反していると主張している。今回の事件についても、必要であったのはこうした視点であっただろう。おそらくサイードにとっては、イスラム側の行き過ぎた抗議行動や大使館の襲撃は、理解できることであったとしても、イスラム・イメージと「暴力」、「テロリズム」との結びつきを更に強化し、「オリエンタリズム」が再生産されていくという点で残念なことであったに違いない。西洋諸国とイスラムとの対立は、今後ますます混迷を深めていくことが予想される。5.おわりに自分の研究に対し、自己を開いてゆくひとつの方法は、自分の方法を再帰的に批判的研究に付すこと。第一に、目の前にある素材に対する直接的感受性であり、第二に、みずからの方法論およびその実践に対するたえざる自己点検、すなわち、みずからの仕事を教条的先入観にではなく、素材そのものに感応させ続けようとする不断の試みである。(下巻:p.283) 『オリエンタリズム』の最後の章で、サイードは、知識人や学問のあり方についても述べている。サイードによれば、長い伝統を持つオリエンタリズムのような観念から解き放たれるためには、上記のような不断の努力が不可欠であるという。そして、学者は勿論のこと、ジャーナリストや一般市民に対しても同じことが言えると思う。何故ならば、サイードが述べているのは「人間経験と一体化すること」であり、「人間経験を人間経験としてみなす」(下巻:p.286)という普遍的なことだからである。今回の一件で、欧米諸国や日本のジャーナリストは、「目の前にある素材」に対して、自らの「直接的感受性」を開こうとしていただろうか? あるいは、「素材そのものに感応させ続け」ようとしていただろうか? あるイメージの再生産を続けていくのではなく、対象者からの声を地道に聴き取り、多様なイメージを作り出していく報道が必要とされている。参考文献:エドワード・サイード著・板垣雄三他訳『オリエンタリズム』平凡社 1993杉田英明著「ルシュディーは祖国の裏切者か? ―ルシュディーとサイード」『ユリイカ 特集『悪魔の詩』の波紋』青土社 1989, 11*1: 「ル・モンド」*2: 「BBC」尚、12枚のムハンマド風刺画は、「Wikipedia」で拝見した。