「つきあってください」。 -RING2005、その後-
あれからもう8ヶ月が経つ。RINGの活動自体は、新しいメンバーに引き継がれ続けられている。しかし、「RING2005」に関わった人たちはもうほとんど残っていない。ある人は就職し働き始め、ある人は海外の大学に留学し、ある人は資格試験や受験のための予備校に通い、また別の人は自分の打ち込めることを見つけ他のところで活動している。私は今でも、時々RINGのミーティングに顔を出している。しかし、何か新しいことを始めようとするのでもなく、こうして過去の記憶にしがみついている。最初に掲げられた会議終了後のネットワークの維持という目標は、各々が新しい生活に飲まれる中で、残念ながらほとんど達成されないものとなった。全体のメーリング・リストが作られ、最初は世界各地からの報告が飛び交ったが、現在ではあまり使われていない。ただ個人レベルの繋がりは今でもあり、私は時々ナラヤンとは連絡を取り合っている(RINGの運営に関しての助言をくれたりする)。最近彼は、新しいNGOでの仕事と大学の試験でかなり忙しいそうだ。また、RINGのメンバーの中には、今夏パレスチナやネパールを訪ねた人もいた。聞くところによると、イラクのザイードは、日本に留学するために日本語の勉強を始めた。イラクの状況は変わらず、身の危険が多すぎるそうだ。帰国後すぐにも、ザイードのそばで爆弾事件があり、すれすれのとこで命拾いしたらしい。しかし、成績優秀とはいえ、まだ学部2年の彼が留学のための奨学金を得るのは困難かも知れない。8月の初め、新潟にいるティムが東京にやって来た。ほんの数時間の間だったが、私たちは久しぶりの再会を喜んだ。体格はさらに大きくなったようだが、ひどく疲れているように見えた。毎日のバイトの他に、週2回朝まで工場で働いているらしい。その日の彼のスケジュールは凄まじい。夜10時から朝5時まで工場で仕事をした後、日本語学校に行き授業を受ける。授業は午前中一杯で終わるが、また夕方から夜まで別のバイトである。しかしそれでも、生活費を賄うのは難しい。「仕事なんかしたくないよ。楽しい時間がなくなるから。ホントは音楽を聴いたり、映画を作ったり、絵を描いたりしていたいんだ」。珍しく弱気だった彼だが、私たちを気遣うようにしてまたすぐ笑顔に戻った。そして何と、ヒシャムとも8月の終わりに再会を果たした。「日本・イスラエル・パレスチナ学生会議」という学生団体に招かれての来日したのだ(RINGとも繋がりのある団体で、メンバーの何人かはRINGの合宿にも参加していてる。ヒシャムをもう一度呼びたかったのだろう)。この時は、しばらく会っていなかったRINGのメンバーも集まった。相変わらずのヒシャムを前にして、私たちは愉快な夜を過ごした。この時、「RING2005」以降の新しいメンバーもヒシャムに会った。彼女はその後ミィーティングで、興奮した口調でヒシャムの話をした。彼に「君は、敵に銃を突きつけられ、殺されそうになったらどうするか?」と聞かれた。「俺はその時、"peace, peace"と何度も叫んだ」とヒシャムは言ったそうだ。彼女は今、新しいRINGの中心となって動いている。こうして、また一人、ヒシャムは人の心を動かした。そして、私も。ヒシャム・ティム・ザイード。3人の(全く異なった)イスラム教徒に出会ったことがきっかけとなって、私はイスラムに関する分野に進むことになった。来年9月から、イギリスのバーミンガム大学で、イスラム移民の勉強をすることになっている。「つきあってください」。これが、「RING2005」のキャッチコピーであり、テーマの一つでもあった。誰か何かとの出会い、そしてまた付き合いが、人の人生を変えることもある。今私が思うのは、そのことである。ひとまずは、完。