第一章 難民キャンプまで -ヒシャムの話-
イスラエルのベン・グリオン空港に降り立った翌日、私はヘブロンとベツレヘムのちょうど間にあるアルーブ難民キャンプにいた。ヘブロンからタクシーで20分、キャンプの入口ではイスラエル軍が検問を行っていたが、私たちの車は特に調べられることもなく通過を許可された。ヒシャムの話では、外国人が同乗している場合チャックは極端に甘くなるそうだ。とはいっても、後に知ることになるのだが、ここの検問所は随分いい加減なもので警備が誰もいないことも多かった。そもそも、難民キャンプの入口で常時検問をする必要性があるようにも思えず、そこに住む人々が言うにはただの嫌がらせである。但し、キャンプの目の前を走る道路(北イスラエルのハイファまで繋がっている)は、イスラエルの占領物となっている。そこへの出入り口となっているのは2本の小道だけだから、何か起こった際にはキャンプ自体を全て閉じてしまおうというつもりなのかも知れない。“難民キャンプ”と聞いて、テントの立ち並ぶ光景を思い浮かべる人がいるかも知れない。かくいう私も、恥ずかしながらその一人だった。その前日にヒシャムが、「明日から難民キャンプで暮らせるように手配した」と言った時、「海でもないのにテント生活か」と内心不安に思ったものだった。紹介が遅れたが、ヒシャムというのは2年前に日本で出会った私(たち)の友人である(詳しくは、「世界の若者による対話 -RING2005」の記録を読んで頂きたい)。日本での滞在中、若い女性をナンパしていた姿ばかりが思い出されるが、その彼も今年の一月にパレスチナ人女性と結婚した。結婚したことだけが原因ではないのだろうが、今ではすっかり真面目なイスラーム教徒になり日々の礼拝も欠かさない。酒を飲んでいた過去を私が口にすると、ここではその話は禁句だ、と少しにんやりしながら言った。なぜ彼がそのような変化を遂げたかはわからないが、おそらくは昨年からのハマースの躍進と関わっているのではないかと思う。ヘブロンという町がそもそもこのイスラーム主義団体の牙城らしく、彼自身もハマースを支持している。それから彼が、他の多くのパレスチナ人と同様に、失業中の身であることも大きいだろう。一年以上もの間安定した職を得てないそうだが、それでもどこからか小さな儲け話を見つけてきては何とか食いつないでいるようだった。結局会う機会はなかったが、デザイナーだという彼の奥さんもまた現在仕事がない。ヘブロンの市中にある彼女のオフィスには連れて行ってもらったが、今年中にもそこを手放すことになりそうだという。小綺麗なインテリアなど、パレスチナには置き場所がないのかもしれない。ヒシャムが最初に妻だと言って、グラマラスなテレビ・タレントの写真を見せたのは相変わらずのところだったが、本物の写真はスカーフを被った知的で芯の強そうな女性だった。余談にはなるが、ムスリムの中には稀に、こちらがドキマギしてしまう程強かな意志と静かな情熱をたたえている女性がいる。その完成された自己には少しの隙もないようにも見えるし、それでいて少しも嫌味がない。日本ではそのようなタイプの女性(人)には会ったことがなかったから、なお一層驚かせた。私は、疑うことこそが常に知性の源泉にあるものと思ってきたから、信じることで得られる知性とは一体何だろうか、と少し不可思議に感じていた。Cannon D400を手にしているヒシャム。旧市街地にて。4月18日の昼過ぎ、私とヒシャムはヘブロンで落ち合い、その後彼の案内で旧市街地を回った。そこはパレスチナ人の町の真ん中にイスラエル人の入植地ができた形になっており、争いごとが絶えない場所でもあった。多くのパレスチナ人は追い出されるように旧市街地から流出し、現在では殺伐とした風景のみが残されている。旧市街地の商店街の様子。私たちは、1994年にイスラエル入植者バルーク・ゴールドシュタインが、30人近くのイスラーム礼拝者を射殺したことで有名なモスクを訪れた。そのようないわくつきの場所であるとは言え、モスクに入るまでにイスラエル軍による検問(荷物検査)が三箇所もあるというのはさすがに壁々させられた。言うまでもなく、彼らはモスクを守っているわけではない。モスクにある5つの礼拝部屋のうち2つがユダヤ人のためのシナゴーグに変えられており、自爆攻撃から彼らを守るためというわけである。その虐殺の地は、他のモスクと同様に静かで厳かな雰囲気で礼拝者たちを迎えており、そのような陰惨な事件がおきた場所とはとても想像できなかった。ただ唯一歴史を伝える傷跡のように、部屋の片隅にたった一つ残された銃弾が印象的だった。イスラエル軍による検問の様子。モスクに残された銃弾。ヒシャムはその後、幾つかの興味深い場所に私を連れて行ったが、今回の難民キャンプ滞在記には直接関わらないためここでは割愛しようと思う。話は、4月19日正午、タクシーから降り立った難民キャンプの地に戻る。(写真は後でアップする)