桟橋の撤去
■2024.6.4(晴れ) 桟橋の撤去 この桟橋設備は以前主に中部電力に燃料を供給するコンビナートリファイナリーとしてできた石油会社の設備で昭和39年5月に完成しました。それから約半世紀に渡って外航タンカー船で輸入した原油、重油の受入れ及び内航タンカー船で精製設備で生産した石油製品を出荷したり受入れたりしてきました。でも、旧石油会社が電力会社に吸収されその後、更に電力会社の火力発電所の廃止に伴ってこの桟橋設備も役目が無くなりました。一時は釣り桟橋として利用する話もありましたが、結局は撤去することになり、現在は撤去中であります。■桟橋の撤去 白いコンクリートはタンカー船が着桟していたところです。 撤去中の橋脚です。この上に沢山の配管が陸上のタンクまで接続されていました。 大きなクレーン船で橋脚の撤去作業をしています。 建設から見てきた桟橋設備も消え去ろうとしています。昭和30年代の高度成長期から仕事をしてきた旧石油会社も電力会社に吸収され無くなり、その電力会社の火力発電所も撤去され無くなりました。残念ですが世の中の流れでどうすることも出来ません。残るのは思い出だけになってきました。