スローフードの奇跡 カルロ・ペトリーニ 東日本大震災4年145日
図書館で借りた本。スローフードの奇跡 おいしい、きれい、ただしい カルロ・ペトリーニ著 石田雅芳 訳1986年イタリア北部ピエモンテ州のブラ(Bra)市で、ブラ市生まれのカルロ・ペトリーニ氏が始めたのが「スローフード」運動。1989年にスローフード国際協会が発足、イタリア語で「母なる大地」という意味の世界生産者会議「テッラ・マードレ」も2004年から隔年で始まる。それぞれの時代、地域、文化のなかで育まれてきた味で、環境や持続可能であることに配慮し、農民や職人など生産者の生活を保障できるような公正な価格であることが、スローフードの条件みたい。スローフードの活動を広め深めていくために実行すべき3つのアイデアとして「教育」「共生産者」「領域同士の対話」を挙げてはる。「教育」の一つの例が、絶滅の危機に瀕している食品の一覧表をつくり、それらが利きにあることを世界に知らしめ、誰でもそれらを守るために寄与できるということを知らせる「味の箱舟」プロジェクト。日本やと、北海道の「八列とうもろこし」「まさかりかぼちゃ」「札幌黄」、岩手県岩泉町、及び久慈市、北海道えりも町など、南部藩に由来する地域の「日本短角牛」、岩手県岩泉町の「安家地ダイコン」や長崎県雲仙市南串山町、小浜町の「エタリの塩辛」、 長崎県対馬市の「対馬赤米」、沖縄県今帰仁の「シマウヮ(島豚)」など 32品目が認定されてる。スローフードジャパン 味の箱舟舞踏、歌、口承、建築、生産にまつわる方法論(仕事をするための道具作りなど)などの民衆伝統文化を世界レベルでカタログ化する必要性も述べてはる。これは、ほんまに必要やなあ。ご本人の文章の特徴やのか、訳のせいやのか、たぶん両方なんやろうけど、すごく読みづらかった。本から、用語の定義のようなのを抜き出してみた。ガストロノモ(美食家):感性を研ぎ澄まし自分の舌を肥やすことから、その食べ物がそんなものでどのように作られたかまでを視野に入れている人間なのである。だから常に自分を取り巻く世界に多大な関心を寄せている。そして自分は食の「共生産者」であり、地球という「運命共同体」の一員であるという自覚を強く持っているのである。質の高い食品であるために、なくてはならない3つの条件は、「おいしい」、「きれい」、「ただしい」 。イタリア語では「Buono, Pulito, Giusto」、英語では「Good, Clean, Fair」。「おいしい」:本来の特徴を最大限に保存しているような、ある種の自然さをもっているもののことであり、特定の時代、場所、文化においてそれをおいしいと評価させるような、認識可能な(心地よい)感覚を呼び起こすもののことである。「きれい」:地球と環境を大切にし、汚染しないならば、畑からテーブルに着くまでに資源を無駄遣いしなければ、その食品はきれいである。さらに技術的な言い方をするならば、食品の製造過程がある種の自然さという規範を満たしている、つまり持続可能なものであれば、それはきれいである。(たとえば、その品種が生物多様性を減少させるとか、商業性の強いもの出ないか、資料や薬品により成長を促進させられた家畜の屎尿や農薬など、飼育技術や栽培技術が土地を痩せさせてしまっていないか、工場や職人の攻防で行われる加工作業が汚染をもたらしてはいないか、汚染物質が使用されていないか、食品の各種輸送が必要以上に長距離になっていないか、大気汚染物質を多く名移出していないか、食品を入手したり、購入したりする際に、私たち自身も環境にダメージを与えていないか、など)「ただしい」:社会的な公正、労働者とそのノウハウ、地方の習慣、生活を尊重することであり、良い食品を作るための喜びを守り、ないがしろにされてきた生産者のイメージを改善するということ。人間(特に農民)に対して、社会に対しての「ただしさ」。「自然」:環境・人間・食材・加工というシステムにおいて、異質なもの、人工的なものをあまり使わないようにするというkとを意味する。化学添加物や保存料、人工香料やいわゆる「自然」香料、加工や畜産、栽培、料理において自然さを壊すような技術ではない。食材は健全で欠けた部分のない丸ごとのもので、科学的な処理や集中生産をできる限り排除したものでなくてはならない。そして食材本来の特徴を尊重したプロセスで作られなくてはならない。8月2日のトレーニングスタジオレッスン(パワーヨーガ 60分)パワー・プレート 30分 ストレッチ 10分オゾンのお風呂1日1回のクリックで、募金ができます♪