スーパーマン関係者の奇妙な事実
1938年にこの「鋼鉄の男」の異名を持つスーパーヒーローを生み出した2人である、ライターのジェリー・シーゲルとイラストレーターのジョー・シャスターは、スーパーマンに関する権利をよく考えもせず、わずかな額で譲り渡してしまった。自分達の作品によってあがった巨額の利益をもっと公平に分配してもらおうと何度となく出版社を訴えたが、ことごとく失敗に終わった。亡くなった時のシャスターは、まるで世捨て人のようになった。40年代に土曜日の昼間に連続上映された実写映画でスーパーマンを演じたカーク・アリンは、この役のおかげでキャリアが台無しになったと嘆いた。以後なかなか仕事にありつけなかった彼は、結局俳優をやめてしまった。50年代にテレビシリーズ「スーパーマンの冒険」で主役を演じたジョージ・リーヴズも、6年続いたこの人気シリーズが終わったあとは仕事に恵まれなかった。そして1959年、45歳のときに、頭に一発の銃弾を撃ち込まれて死んでいるのが見つかった。公式に自殺とされたが、親しかった人たちは殺されたのだと信じている。70年代から80年代にかけて4本の映画にスーパーマン役で出演したクリストファー・リーブは、1995年に落馬して首の骨を折り、人工呼吸装置と車椅子がなければ生きていけない体になってしまった。同じ4本の映画で、ヒロインのロイス・レイン役でリーブと共演したマーゴット・キダーは、1990年、テレビドラマの撮影中に起こった自動車事故で脊髄を損傷し、2年間の車椅子生活を送った。さらに、長年の酒と薬物の乱用と精神疾患のせいで、とうとうノイローゼになってしまった。「スーパーマン3 電子の要塞」に出演したリチャード・プライヤーは、撮影が終わった直後に多発性硬化症にかかった。