Nishikenのオンライン旅行記(神奈川県・秦野市)
先日、東京の両親と久しぶりに電話をしました。前回はゴールデンウィークだったため、1カ月半ぶりになります。お互いの近況報告も含めて約1時間半にも及ぶ長電話となりました。母との会話の中で、昨年秋に両親が仕事の都合で秦野市を訪問したことを聞きました。母曰く、「秦野はのどかな地域だ」とのことでした。 古き良き相模の面影を今もなお残す町、秦野。人口は約16万2,100人(2021年5月1日現在の推計人口)。丹沢山地の麓にある盆地の中にあることが特徴です。昭和の大合併が真っ盛りだった1955年1月に4町村が合併して発足しました。1980年代以降は東京(特に新宿、渋谷方面)のベッドタウンとして発展してきました。秦野から最も近い新幹線の駅は小田原駅だと思います。2023年春までに相鉄・東急直通線が開通すると、新横浜駅がグッと近くなります。 いずれにせよ、「東京方面へのベッドタウン」と「過ごしやすい田舎」という要素が混在する町です。 小田急線の駅では、鶴巻温泉駅、東海大学前駅、秦野駅、渋沢駅が秦野市内にあります。特に秦野駅は特急ロマンスカーが毎時1往復は停車する、小田急でも重要な駅になりました。 高速道路では、東名高速の秦野中井ICがあります。また、2022年3月までには新東名高速道路の伊勢原大山IC~秦野IC間が開通予定で、物流ルートの更なる拡充が期待されています。 私は17年前、高校3年生だった時に秦野市に降り立ったことがあります。それは東海大学のオープンキャンパスに参加するためでしたが、そこで私は人生を変える出来事に遭遇します。 2004年8月1日(日曜日)。 大学受験を翌年に控えた私は当初、文学部志望でした。ですが志望動機は「中学・高校時代に得意だった歴史の勉強を続けたかったから」という、薄っぺらなものでした。その現状維持のような志望動機に何の疑問も感じることなく、のうのうとオープンキャンパスに出かけました。当然、文学部の歴史学科を中心に質問することを考えていました。 しかし、いざ東海大学の校舎に到着し、オープンキャンパスの説明資料を読んだ途端、気になるものが目に留まりました。この大学は元々、文系や理系を問わず学部が非常に充実しているのですが、法学部や政治経済学部で勉強する内容に目を奪われました。 特に法学部は何だろう。 宇宙法、海洋法、環境法・・・。 何だろう・・・。理由は分からないけど、ワクワクする。 なんだか、心のそこから「これを勉強したい!」という気持ちが出てきました。中学・高校時代の得意分野だった歴史は、ただ「暗記物」だとか「自分の持ってる知識やトリビアを拡充するためのもの」としか思ってなかったのだと、今の私は思います。 各先生方の研究室見学という企画に参加させていただいたのですが、私は法学部の先生の研究室をお邪魔していました。つい数時間前まで「文学部歴史学科を何となく知りたい」と考えていたというのに。 東海大のキャンパスから自宅にケータイで母に電話しました。 私「母さん、俺・・・法学部を受けてみたい」 母は突然の話に、とても驚きました。 母「えええっ!なんで急に!?・・・まぁ、いいけど・・・」 結局、私は大学受験では文学部と法学部を受験。複数校を受験し、埼玉県にあるD大学の法学部に入学しました。私は法学部に入学して幸せだったと思います。実際に世の中で役立つ学問だったから。 2021年現在、改めて東海大学法学部のホームページを見てみると、国際結婚や国をまたいだ会社の契約などを扱う「国際私法」や、EUの法律を扱う「欧州法」という講座もあります。特に私の出自に関連して「国際私法は持って来いだ・・・!」と、今の私なら思います。でも、私はもう大学時代に後戻りすることはできません。関東に後戻りもできないでしょう。 ある意味、東海大学のメインキャンパスがある秦野市は、私の人生を変えた場所と言っても過言ではないでしょう。