ニシケンの南九州旅行記(その20・完)
この「南九州旅行記」もこの(その20)が最後である。 2013年12月29日。時刻は正午前。搭乗までまだ2時間以上あるので、見学デッキに行くことにした。 右側はアイベックス24便・福岡行き。 左側の全日空の機種はよく分からないが、ボーイング737かエアバスA320のどちらかだろう。 ボーディングブリッジ。エプロンの先には海が見える。 では背後に目を見張ると・・・。 「飛行機のある展望公園」という名前で、見学デッキの上に軽飛行機が展示されていた。 これはビーチクラフト・C90A。航空大学校が保有していた訓練機だ。 仙台空港を拠点に訓練機として25年間活躍した。東日本大震災の際には仙台空港も大津波に飲まれたことは記憶に新しい。ターミナル自体は全壊しなかったものの、7機の訓練機が津波に飲まれて使い物にならなくなった。だがこの展示中の訓練機は震災発生時は訓練中だったために難を逃れた。 このエピソードにより、つけられた愛称は「ラッキーガール」。 参考:宮崎空港「飛行機のある展望公園」公式ホームページ 一通り見学も終わり、職場の皆さんへのおみやげも買ったところで搭乗口に向かうとする。 搭乗口。10番ゲートからの出発。 私が乗るのは、ソラシドエア58便・羽田行き(14:20発)。 おいしいものを食べ、神社にも参拝した。この時点でやり残したことはもうない、という感無量の思いで飛行機に搭乗した。 機種はボーイング737-800だった。 1時間半の空の旅を終えて、無事に東京に帰って来た。 到着ロビーへ向かう通路を歩く途中、気になるものが。 全日空のボーイング747-400だ。翌年(2014年)3月31日を以ての引退が発表されていたため、「いつもそばにいた」はずなのについ振り返ってしまった。 お馴染だと思っていたのに、もう一度見てみると圧倒的な存在感を感じた。全日空では1979年に羽田~札幌線、羽田~福岡線でデビューして以来、747-SRから747-400Dへと機種は変わったものの、35年にわたって日本の空を飛び続けた。全日空の看板として活躍した。現在、日本の航空会社で最新バージョンの747-8導入計画はない(ルフトハンザが世界初導入)。 これから日本の航空会社ではボーイング777や787、エアバスA350といった準大型や、ボーイング737、エアバスA320といった中型旅客機が主力となる。時代が変わる象徴のシーンとなった。 写真はこれで終わりである。 なお、この後、大田区の学習塾で忘年会をやるというので飛び入り参加させていただいた。楽しい土産話を聞いていただいて感謝している。 これで私が訪問していない県は、青森、鳥取、島根、高知、佐賀、長崎、熊本、大分、沖縄の9県となった。 帰京から最終回まで時間がかかってしまった。その間に新しい仕事も始まり、さらに忙しさの度合いが増していく時期までに完結できて良かったと我ながら思う。最後までご覧いただき、ありがとうございました。