ニシケンの北陸旅行記(その15・完)
2012年12月29日、午前11時。 福井駅は年末年始休みの帰省客でごった返していており、地元のマスコミも取材に来ていた。私はラストスパートとして京都駅までの切符を買い、ホーム階に上がった。 11:10発の敦賀行き(521系2両編成、228M列車)。 これで敦賀まで行き、そこから京都方面行きの列車に乗り換える。 列車の車内はクロスシートのほぼ全てが埋まっており、しょうがなくドア部分にある折り畳み式のクロスシートに座ることにした。 ところが! 列車が出発した後、自宅から持ってきた折り畳み傘が手元に無いことに気付いた。どうやら福井駅前のどこかの観光スポットで落としたかもしれない。でも覆水盆に返らず。 武生まで福井鉄道の線路が並行して走る。福井県で一番の人口密集地帯かもしれない地域を抜けると列車は再びのどかな地域を西へ進む。各所に雪が残っていた。 南今庄にて。 南今庄を過ぎると列車は非常に長いトンネルに入った。北陸トンネル(全長13870メートル)だ。これはJR在来線はもとより、普通の鉄道用トンネルとしては日本最長だ。しかし車両が最新型に変わっても、南今庄~敦賀間の所要時間は12分もかかる。 北陸トンネルを抜けると、まもなく敦賀に到着だ。 交通の要衝・敦賀駅の駅名標。ここは北陸本線の他、小浜線も分岐する。 地下通路付近。この辺りは国鉄時代の雰囲気をそのまま残しているようだ。 新しく完成した駅構内通路より、小浜方面を望む。私が訪問する2週間前の12月16日(第46回衆議院総選挙が実施された日)に完成したばかりだった。 時刻はとっくに正午を過ぎており、私は一旦途中下車。改札口は自動化されておらず、駅員さんが改札に立っていた。売店は多くの人で賑わっていた。列車を待つ人、NHKニュースを見る人、送迎のために来ている人・・・、様々な人がいたことだろう。 新快速・湖西線経由姫路行き(223系4両、3165M列車)。姫路まで3時間8分かけて走るという長距離列車だ(首都圏のJRでは2時間はあっても、3時間はなかなか無いだろう)。これが今回の北陸旅行で乗る最後の列車となる。京都までの停車駅は敦賀~近江舞子間の各駅、堅田、比叡山坂本、大津京、山科、京都だ。 ホーム上での売店でおにぎりといった軽食を買い、乗車。 列車は定刻通りに出発した。新疋田を過ぎると福井・滋賀県境の山中を走る。その中を北陸本線、湖西線と2本の高い高架橋が走っている様は一種のモニュメントのように見えた。 近江塩津で列車は湖西線に入る。私個人としては、魚津から続いてきた北陸本線の旅はこれで終了である。列車は西へ進路を取るのだが、片田舎の在来線にしてはいかにも不釣り合いな高い高架橋を走る。 京阪神~北陸方面を短絡する目的で建設された湖西線は新幹線によく似ており、高架橋やトンネルがメインであり、踏切は一切ない。線形が良いことから国鉄時代には381系による高速度試験が行われ、179.5km/hを出したことがある。 列車は途中の近江今津で8両を増結して12両編成となり、列車番号も3165Mから3465Mに変わった。しかし実際に快速運転をするのは近江舞子から先だ。近江舞子までは利用客が少ない分、各駅に停車する。 おそらく小野~堅田間にて。琵琶湖が大きすぎて雄大な存在に見えた。琵琶湖を誇りに思う滋賀県民の気持ちが分からなくもない気がしてきた。 大津京で多くの人が乗車してきたような気がする。いずれにせよ、京都が近づくにつれて車内の人が増えると同時に、「ああ、もうすぐゴールだな」と感じた。 山科~京都間のトンネルを抜けると、左手には新幹線の線路、右手には京都の市街地や鴨川が見えた。もうゴールだ。 13:58、京都駅に到着し、ゴールとなった。私の長い北陸旅行は終わった。 その後は、すぐに東京には帰らずにちょっとした京都市内観光。帰りは深夜バス(青春エコドリーム号)に乗ることにしたからだ。四条河原町近辺を散策したり、清水寺や五条坂に行ったり(年末だからか、物凄く混んでいた)、出町柳まで行って叡山電車を見たりしたのだった。 出町柳駅を出て西の高野川、鴨川を渡った先にあるのが河原町今出川の交差点、そして出町商店街だ。その出町商店街の一角が、アニメ「たまこまーけっと」の舞台のモデルとなったエリアだ。ここの和菓子屋さんでみたらし団子を間食としていただいた。そこのご主人から、実は福井県小浜から続く鯖街道の終点が、ここ京都の出町柳だったことを聞かされた。気さくなご主人で、好印象だった。 そこから私は河原町通りをずっと南へ下っていき、四条河原町付近で夕食の京風カレーうどんを食べた。 21:30、私は京都駅ビルの屋上にいた。屋上の展望デッキからは伏見区、南区の夜景が見えた。これまでの旅を振り返って私は確信した。 「自分は教員に向いている。教員としてなら頑張れる!俺が進む道は、市役所職員ではない!」 両親からは「市役所の職員に向いていると思うのに・・・」と何度も言われた。しかし、都庁(県庁)や市役所の職員として働く自分がどうしてもイメージできなかった。 京都駅ビルにある展望通路を通っている最中、何組かのカップルに遭遇した。私と同じように京都タワーや五山のある方を見ていた。しかし自分の弟とは違い、真剣に付き合っている女性がいない私は「あいつらには負けたくない」と思うようになった。やっぱり一人旅というのはすがすがしい。 時は2012年12月29日22時。京都タワーを見ながら私は誓った。 2013年、私は本気を出します! 勉強でも、仕事でも、趣味でも、そしてサブカルチャーでも。 「2013年・俺の乱」がここから始まるんだ・・・! まあ「俺の乱」の結果、どっぷりハマることになるアニメが「たまこまーけっと」ではなく、「ドキドキ!プリキュア」になるのは予想外だったが・・・。 2013年の私がいるのは、この北陸旅行での多くの体験がいるからに他ならないだろう。 最後までご覧いただき、ありがとうございました!(完)