むかえに行くから・33終わり
あれからあっという間に五日が過ぎた。引越し準備を進めていると「吉日に出立すれば縁起が良い」と婆様が教えてくれたので、その吉日なる日を待っていたのだ。 結婚式等、人生の節目は何事も良き日を選ぶものらしい。真に受けていると今度は吉日なる日がいつなのか教えてくれない。 楼で婆様を追いかけながらまた三日が過ぎ、なかなか出られない。そんな僕に苦笑しながら和菓子やが教えてくれた。「夏蓮ちゃんを引き止めたいのだよ、年寄りは我侭だねえ」(そうだったのか) 婆様には申し訳ないが、そろそろ追い出してくれないと僕も居座ってしまいそうだ。吉日では無かろうとも明日出る事を決めた。 朝から蝉が鳴いて賑やかな朝に父の墓参りを一人で済ませ、楼に戻ると布団を干す姫たちをよけて婆様に挨拶した。「おや、まだいたのかい。悠弥さんはとうに迎えにきていたよ」「えー! ど、どこに」「さあね。おまえさんの姿が見えないと言って、道を引き返した様子だよ」「では、あのっ! お世話になりました」 焦りながら頭を下げると婆様が、あははと手を叩いて笑ってくれた。「はいはい。またおいで、可愛い私の夏蓮」 慌てて離れに戻り七十五センチもあるキャリーケースを持ち出そうとしたら、重すぎてびくともしない。(しまった。荷物を詰めすぎたか?) この期に及んで失態だ。荷物を減らそうとして鍵を出したら、背後で明り障子の開く音と「失礼します」の声がほぼ同時に聞えた。(誰だろう?) 振り返った僕は、男なのに悲鳴をあげてしまった。そこには顔を腫らした桔梗が立っていたのだ。「ああ、すみません。久しぶりで」「久しぶりだけど、桔梗? 大丈夫?」 生きていたので安心したが、この姿は。組織で暴力を受けたのではないのか?「はあ。平気だからこうして会いに来たのですよ。幸せそうで何よりですねー。では夏蓮さんを見送って、親分さんに見代を届け終えたら、俺はここでまた雇ってもらいますよ。他の姫のお目付け役となりますので」「……桔梗。無事でよかった」 握手をしたら鉄の匂いがした。やはりケガをしているのだろう。「婆様に救急箱をもらってくるよ!」「あー、平気ですって、そのうち治りますから。俺は夏蓮さんより丈夫ですからねー。寝込みませんからねー」 そののらりくらりとした話し方で安堵したらなんと桔梗も微笑み返してくれた。「め、珍しい」 思わず見上げると、白い歯を出して豪快に笑った。「ははは。俺だって笑いますよ」 そして不意に真面目な顔をして腕を組んだ。「夏蓮さんこそ、笑っていてくださいよ?」「……ありがとう」 お礼を言うと頭の中は思い出が走馬灯のように駆け巡る。そういえば僕こそ、笑った事が無かったのだ。でもこれからは強くなる。笑顔で生きると決めたのだ。 桔梗に婆様をお願いして僕はキャリーケースを引きながら楼を出た。表の通りを歩くと和菓子やたちが来てしまいそうなので、人目を避けて裏道を通る事にした。細い道を過ぎ、掛橋の袂で足を止めて泥の川を見下ろした。(いつもここで泣いていたな) 逃げ方も知らず、ただ泣き喚くだけだった。 でもこんな僕でも助けてくれる人がいた。(もう、泣かないで生きよう) 陸橋を過ぎ、路地裏に入ると堀の上の猫が僕を見て耳をぴくぴくと動かした。(あれ、威嚇しないな) どうしたのかと見上げたら知らん顔をされた。僕には興味が無いらしい。しかし尻尾をぱたんと振り、どこかを見ている。誰かが来るのかな?耳を澄ますとサクサクと雑草を踏みながら歩いてくる足音が聞えた。(ああ!)「……夏蓮ちゃん! どこにいたの?」 悠弥さんだ、おかしいな、顔を見ただけで涙が滲んできた。「あ、ああ。夏蓮ちゃん!」 悠弥さんをうろたえさせてしまった。こんな始まりは良くない。さっと涙を拭いて顔を上げた。「悠弥さん、よろしくお願いします」「こちらこそ。ん。でも。……もう。そんな挨拶はいいから」 僕の濡れた頬を撫でて微笑む悠弥さんを見ていると自然と笑顔になれる。キャリーケースを堀に寄せて、互いのつま先が触れるよう一歩進んだ。悠弥さんが後ろに片手を回したまま少し膝を曲げた。その腰の辺りからミルクティー色のカーネーションがちらりと顔を出している。「あ、それは!」 開いた口が唇で塞がれた。悠弥さんの腰に手を回して抱きついたら花の香りが強くなった。何本もまとめて花束にしてくれたのかな。あの花も好きになりそうだ。堀の上の猫が邪魔するつもりか、低い声でにゃーと唸っていた。終わり。ありがとうございました。●拍手をありがとうございます●ドキドキしました…ありがとうございます!今までの連続更新と、この「むかえに行くよ」は去年書いたものだったのですが、次からは新作にしたいなあと思います。またお時間がありましたら、お立ち寄りください。今回は長い話ですみませんでした。