神から人へ ◎迷える魂と先祖への救い◎
(神を求めるとはどのようなことでしょうか。また、神に祈ることを教えられることもなく、信仰もない時代の人たちが犯した罪もやはり深い汚れとなるのでしょうか)昔といえども、今と変わらず。神を知らずというなれど、生への感謝や、神秘の存在、そはありしはず。さにて人は、物質のみの世界に生きるものになく、必ず見えぬものにより、生かされ、恵み賜ることを、多少なりとも知りしものなり。なれど、時代の罪もあるらん。武士の時代の世相風潮、 その犠牲なる魂もあるらん。なれば、神は責めることなく、後の子孫の悟り気づきと、神への奉仕献身を、課して待たれて、救わんとする。さにて救われ、導かれ、神とのご縁をつなぎし者は、神への感謝を知り、初めて、あやまち誤り素直に詫びなん。 (時代のために、自殺よりも思い罪を犯した魂、例えば、戦争で人を殺したりした人はどのような償いをすれば救われるのでしょうか。そうした方たちも、あの世で苦しんでいるのでしょうか)さなり。さらに重き罪により、己を責めて苦しむもあり。後悔悔悟に泣くもあり。あるいはまた、殺せし者の幻影におびえ、おののく者もあり。いずれも苦悩懊悩深め、あの世にありても安らかならず、無限の悔いに、囚われ苦しむ。なれば、子孫や残りし家族は、この世における罪科(つみとが)の、曇りを祓いて、浄めてやれよ。慰め、いたわり、ねぎらいてやれ。やむなく犯せし罪もあるらん。あやまち創りし汚れもあらん。早くに気づかせ、悟らせてやれ。神に詫びして、安らげてやれ。執着強めて、惑える魂(たま)に、罪の深さと修行の意味を教えて導き、救いてやれよ。神の許しは容易にあらず。なれど、真の改悛ならば、必ず神は光をかざし、浄めて救い、拾いてゆかん。神の御心、慈愛の深さを、信じ、求めて、神にゆだねよ。己独りの苦悩にあらず。神も苦しみ、悩みておられん。人を見守り、救いたけれど、人の求めと帰依のなからば、救うに救えぬ、神の苦悩よ。人の素直な下座と帰依。それのみ待ちて幾千年。気づき戻るは少なければ、神の嘆きも深まるばかり。神の拡げる救いの御手に、魂ゆだねて任せよ、人よ。神の恩愛忘るなかれよ。神とは厳しきものにあらず。人のそばにて待ちわびて、見守り悲しみ嘆きておられん。神の慈愛を思え、子よ。親の愛にも及ばぬほどの、はるかに厚く、尊き愛を。神を知らずば救われぬなら、教えてやれよ。諭してやれよ。生きることへの感謝一つで、神とのご縁は結ばれもせん。物質のみの価値観になき、精神神秘を学ぶ者なら、神は存在示されずとも、許し結ばん、神とのご縁を。神とは尊く高き心で、人の返るを、願い祈らん。神の祈りに相和せよ。神の御心知る者ならば、神の慈愛に、祈りに応えよ。神のそばから離れるなかれよ。神の尊き祈りを忘れて、勝手な行い、慎み控えよ。この世の修行の終わりなば、神は迎えて昇華を許さん。神の世界に入るを許さる、精進積みし、魂の一つも増えて、帰り来よ。時代の波に流されて、いまだ漂う迷える魂も、今 生ある者が、救いてやれよ。そも務めなり。修行なり。み役の一つにあらざるや。生ある者の生きる意味は、この世の修行を積みて、己一人が救わるになく、己の先祖、祖先の魂を、救い導くこともあらん。なれば、その者、救いし者も、さらに功徳を厚くして、さらに精進昇華を進めん。迷いし魂、先祖にあらば、子孫は必ず禊(みそ)ぎもきつし。さなる子孫は早くに気づき、慰め、供養し、悟らせてやれ。さにて先祖も解脱して、あの世の修行を充分なせん。さらには子孫も繁栄し、光も強き家系となるらん。さにて本日、神を知らぬ者がいかにして救われ、精進すべきかを教えたり。すでに知りたる者ならば、この先行い、顕しゆけよ。さにて。 神の声を伝える人 ひふみともこさん著書 「続神誥記」より抜粋 ひふみともこさんHP http://hifumitomoko.cocolog-nifty.com/blog/