◆神様の警鐘◆良き世にするを祈るがよけれ◆
立て替え立て直し進み、いよいよ改革の時。人間個々の気付き促すため個人に潜む悪心、邪心、脆さ、表面化さる。油断するなば足許すくわれん。己の中の邪心なるは、邪悪なるもの引き寄せ、たやすく騙されゆくなり。人、皆たやすく悪へと引きずられるものなり。この程度誰でもやっているなどと、高をくくる者にこそ、思い知らさるるなり。なれば傲るなかれ。人の不幸、苦しみをわが身に置きかえ考えるがよし。社会にも悪はびこり、地域にも家庭にもはびこらん。 なれど、大切なるはただに批判、中傷するのみは何ら向上無し。悪心起こし、罪犯すとて、許し、共に向上を図らんとする心大切なれば、社会、国の悪表面化するらば、ただ中傷、批判するになく、皆々一人一人がさなる悪の因悟りて、良き世にするを祈るがよけれ。 罪犯すは環境、社会に大きく因あるなれば、己もまたいつ罪人となるやもしれず。ならば、罪人作らぬ世を作るため、皆祈ればよけれ。力合わせて祈ればよけれ。一人の祈りになく、国の民が一丸となりて祈らば、平和はたやすきこと。人の悪心、弱さ、脆さ、傲り、油断、そを表面化さすは、己の中にもさなる要素なきか、人に内省させるがためなり。気付きもたらす為なり。神は立て替え立て直しによって人を立て分けんとす。一人でも多く救いたし。さなりて神は人に気付きを与えるため、何度も警鐘を鳴らし続けるなり。大切なるは悪、表面化なりても非難、誹謗、責め立てるに留まるなかれ。社会の悪無くすにはいかにせんかを考え、家庭の悪無くすにはいかにせんか考えゆくが大切ならん。 人の罪、己にも罪ありと考え許すがよけれ。己の中にも邪ありなば、罪人となるやもしれぬ。なれば人を許せよ。許し、共に向上し良き世となるを共に祈るべし。木花咲耶姫様の御神示、神様の警鐘よりhttp://konohanasakuya.blog.jp/archives/23970297.html◆神から人へ◆予言・予言者の役割について◆(昔の予言者たちはどのように、現在のいろいろな戦争などを予言できたのでしょうか。神界での出来事を知ることによってでしょうか。そうした予言者の役割はどのようなものだったのでしょうか)全てに答える、時は短し。なれば一つに答えてゆかん。先ず一つ。最初の問いなる予言の能力。予知の実現、可能性について。先ず人は、神の世界と交信するもの、神の世界と交流するもの。全ての人は、神と交わり、その心さえをも知るを得るもの。なれど神との交信交流、今に能(あた)うは少なくなりぬる。神との交信交流は、一部の者のみ、可能となりき。なれば人は、神から離れ、ますます遠くなりぬるを。なれどさにては人の世は、壊滅絶滅、滅びてゆかん。そを防ぎ、この世を救う、その為に、神の下せしみ役の者たち。そが預言者なり、キリストなり、ブッダなり。全ての宗教、元の始めはこの世を救い、浄めるために、この世の悪の存在戒(いまし)め、さらに高次の昇華を進める。そのため神の存在知らせて、神への感謝を高めさせ、ことばを浄め、心を高める。そが始めの神の意図なりき。なれどいつしか心を失い、神を離れて遠ざかり、宗教なるも人に使われ、己の利益を増やすための、儲けの道具に落ちぶれぬるを。神のご意図を忠実に、伝えることが、宗教始めの開祖教祖よ。なれば神はその者使い、神のご意図を語らせて、忠告警告、諫めんとされ。そが予言なり、経典なり。神のご意図を忠実に、残し伝えるそのために、昔の古代の苦労を思えよ。そを守らぬを、神に詫びせよ。神のご意図を枉(ま)げて伝える、あるいはまた、神のことばを利用して、勝手の解釈、注釈入れて、己を神と称するもあり。なれど予言の意味も忘れて、人は神を取り戻しもせず、ただいたずらにおののき、何の悟りも得ることなし。昔の世界の予言者たちは、神のお告げを素直に信じ、さらに改め立て直さんと、自ずと気づきを、悟りを得しを。今のままには、滅びゆくのみ。昔の予言も神と交流せしが行いき。なれば今の世、この世にも、さなるみ役の者を下ろして、神のことばを伝えさせなん。その者やがては啓示を受けん。これから後の、この世の終わりを。さなる終わりを迎えぬように、神は案じて使いを下さる。その者たちが働き始め、神の手伝い果たしゆくよう、神は全てを仕組まれ、待たる。やがては自ずと動いてゆきなん。神は使いに全てを託しき。神は見守り、仕組みを待ちて、祈りを捧げて。待ちておらるる。なれば予言も、真実ならん。やがては起きなん、このままにては。なれど予言を変えるも可なり。人が気付きて、変えゆけよ。神の警告、最後の祈りを真摯に受よ。素直に従え。さならずは、予言は起こり、現実化せん。神との交信交流する者、神の使いとなりて働け。神の願いを、祈りを、意図を、枉げずに行い、顕しゆけよ。なれば昔の予言者なるも、神の使いの者なりき。 神の世界に起こりしことも、起こらぬことも、この世にはあり。神の世界の次元と異なる、現実現象、物質世界。神の世界は想念のみにて、この世に起こるも、起こらぬも、神の世界と異なりあらん。神の世界の乱れ、闘い。そもまた事実、真実なり。その闘いが、乱れ、狂いがこの世に現る、そもまた事実。神の世界の争いも、神と神との我の闘い。神にも我あり。執着あり。なればこの世を支配せん、この世を手中に独占せん。さなる願望、抱く神あり。なれどそもまた戒められて、諫(いさ)めを受けて平定されき。神の世界の出来事事件、そが現界に現ることあり。なれどそれらが全てにあらず。神の世界の平和安定、それにてこの世も治まりゆかん。神の世界も穏やかに、平穏なれば、案ずるなかれ。神の世界は想念なれば、想念高く、浄めてゆかば、必ずこの世に及びて届かん。未来世界も、現在世界も、続きておれば、変わることなり。今の世界を続けてゆかば、自ずとわかり、見えて来なんを。神の世界に明日は無し。全ては現在、今のみなり。現在のみの、永遠と、瞬間瞬間の続きて行くもの。時は相対、観念なれば、観念捨てて、自由とならば、必ず人も、永遠を得ん。さにて。 神の声を伝える人ひふみともこさん著書 「神誥記」より抜粋 ひふみともこさんHPhttp://hifumitomoko.cocolog-nifty.com/blog/