神から人へ ◎信仰・「いろは」の音霊について◎
(信仰と「いろは」について)まず宗教について。信仰、宗教、幾多の教え、幾多の祈りのことばあり。なれど、いずれも神を讃(たた)え、崇(あが)めることが、元の始まり。なれば、今多くの宗教団体、教団の類は過(あやま)ち犯せるものばかり。なぜなら多くは規則のみ、戒律のみの先行し、神の教えを、願いを人に、伝え残すは少なければ。神の願いを枉(ま)げて伝えて、人の誤解や曲解を、許す余地なき明快な、教えは既に廃れて残らず。その都度神は人を下ろして、人の間に真実を、真理を広め残すため、幾度も過ち正してこられし。なれど未だに変わらざるは、宗教、信仰、人の集まり、人の上下が生まれて後は、真の教えを行うことより、まずは安定、拡大維持を、人の数にて宗教権力、比べて誇るも神の意ならず。神には人は全て等しく、独りにても、集まりにても、神を思いて交信せんと、祈りの高きことを重んじ、金銭物の奉納好まず、ただに望むは、日々の霊業。一人一人が霊業を、己の業のみ重んじて、倦(う)まず弛(たゆ)まず努力せば、この世に 法律警察要らぬ、真の清らな世界ならんを。今の汚(けが)れも、仮の姿の、一時限りの世界にあれば、神はあせらず待ちておらるる。なれど、信仰持つと信ずる者の、多くは独善、自己中心。意固地にこだわり、人に譲らず、自分世界の中心で、唯我独尊、我(われ)尊し。素直に感謝し、神にゆだねる真の帰依は芽生えず、育たず。頑固に固陋(ころう)な迷妄を、拓くは難し、骨折りなるを。 次には「いろは」についてのことなり。いろはというは、神のみ名。祈りを顕(あらわ)す一つ一つの、言霊顕す根本なるを。むやみに謳(うた)うな、祈るな人よ。神聖、厳正、厳粛に、一音一音心を込めよ。神の祈りを顕すなれば、ことばは意味を命に変えて、力となりて宇宙を創れり。いろはの命は神の命。粗末にするなよ、汚すなよ。さにて信仰、いろはの関係。そは昔より、古代より、神の始めの創りし神々。ス神のまわりに神々が、囲みて守る形を顕す。神々全てに異なる力、働きあらば、全てを讃え、祭るが大事な神事なり。臆せず祭れよ、斎(いつ)き捧げよ。一人一人の神々様を、讃える歌がいろはうた。文字の並びに音霊も、宿りて働き、力とならん。神の祈りの四十八(よとや)の音の、命顕す神々を、讃える歌がいろはうた。清き音にて、汚さぬように、唱えて顕せ、 神の願いを。 神の声を伝える人 ひふみともこさん著書 「続神誥記」より抜粋 ひふみともこさんHPhttp://hifumitomoko.cocolog-nifty.com/blog/