神から人へ ◎親子・親子の愛・無償の愛◎
神から人へ、人から神へ。親子も、夫婦も、兄弟も、全ては地上の修行のために、互いの魂磨き合うため、この世に出会い、結ばれて、互いの欠けたるところを補い、互いのよさを讃え合い、互いを信じ、敬(うやま)い合い、共に助け、慈(いつく)しみ合い、さにて人はようやくに、人の尊き資質を養う。なれば人は、人たるために、独り生きて死ぬになく、出会い、結ばれ、相手のために、我が身を捧げ、犠牲にすとも、相手の幸を栄を祈り、辛きことをも意に介さず、さらにも喜び満たされて、悔いも残さず、歓喜のうちに、死しても後に感謝にあふれる。さなる尊き高貴の生を、生きるためには家族が必要。最も身近な縁なればこそ、人は容易に他のために、身を投げ出すも犠牲となるも、少しの躊躇(ちゅうちょ)も、ためらいもなく、惜しまず命を捨てるを得(う)。人は人の本分を、家族のための命を通し、学び、身に付け、全うす。親子の愛に理屈なし。無償の愛に理由なし。単なる本能、遺伝にあらず。人の本来持つ尊厳を、十二分にも発揮させ、そを伝えるが親子なり。その元なるが夫婦ならむ。縁にて人は命を頂き、人たる務めを学び、果たして、ようやく人となりて去る。親子というも、様々にあり。親子といえども、仇(かたき)のように、憎み、嫌いて、いがみ合う者。親子といえども、逆さまに、子に教えられ、助けられ、子から学びて成長する者。この世の縁は、仮なれば、あの世に帰らば親子にあらず。短き現世の縁なれど、切りても切れぬが親子の縁。なれば人は、親子こそ、宿世(すくせ)の縁と尊ぶべし。儚きこの世の命を終わり、親子の務めを学びて帰らば、次なる生にはさらにも大きく、大事のみ役を賜(たま)わるべし。親子の縁を祝うべし。親子となりしを感謝すべし。二度と巡らぬ縁もあり。なれば、さらにも畏(かしこ)むべし。 さにて本日親子の縁、人として生きる基本としての修行の場なることを説き示したり。親子の死別は悲しきもの。なれども、そもまた学びの場なれば、死別の意味をも読み取れよ。さにて。 神の声を伝える人ひふみともこさんHPhttp://hifumitomoko.cocolog-nifty.com/blog/