神から人へ ◎心の病・体の病について◎
(心の病についてお教えください。体の病との違いについてもお教え下さい) 体の病と心の病、その違いとは小さきもの。体の病は目に見えるもの。なれば人は容易に治し、癒すを信じて、医学は発達。なれど真の原因は、体の病も心の病。全ての病の大本は、心にあるなり。魂にあり。魂汚れて、曇りを増さば、神は病を与えらる。さにて気付きの機会となして、心の浄めを進めんとさる。なれど心の病には、見えるものあり、見えざるもあり。見えぬ心の病とは、金銭物質、そに執着し、人を苦しめ害を及ぼし、さにてもさらに求めんとする。さなる心の持ち主なれば、見かけは正常、健康なれども、心の汚れの病は進み、直す治療も難しかるらん。見えぬ心の病の者は、体の病に現るもあり、人間関係に出るもあり。なればその者は、そこから汲み取り、悟るべし。 なれど心の病にも、見える病もあらざるや。そは神経症なり、精神病なり、さまざま病名つけらるるとも、全ては己の心の汚れ。つまらぬ悩みや苦しみに、こだわり関わる、低さなれば。なれば心を強め高めて、清く保つが治療の全て。たとえ健康、正常なるとも、心の健康、測るは難し。心の高さや清さを測る、尺度ものさしあらざれば。なれど容易にわかる術(すべ)あり。その者の内に感謝と帰依の、真の信仰あるやなしや。そにて心の健康測られ、心の汚れも自ずと表る。心の病を持ちし者は、最も辛く、苦しき者なり。 薬の治療も、手術の治療も、全て無駄なり、無意味なり。なぜとあらば、そはみな、表面、外面だけを繕うものなれ。たとえ薬に、症状治まり、元気に見えても、そは偽り。仮の健康、うわべの元気。時経ちぬれば、再び元の、暗き悲しき心に戻らん。 (心の病気の方に、元気を出せとことばで励ましても、逆効果とも聞きますが) さなり。心に病のある者は、己を失い、捨てし者なり。捨てし心と魂なれば、ことばの励まし、慰めも、無益無用の、意味なきことば。いかに己を取り戻し、再び心を再生させるか。そもまた因縁、神とのご縁。神を信じる、信じぬも、全てその者、宿命なれば。前世積みし罪汚れを、よくよく浄めて、祓わざれば、容易に神との縁は結べず。神との縁を自ら絶ちて、自ら離れる宿命なるらん。なれど神は救いたし。さなる心の病の者にも、目覚め気付きを与えたし。なれば、周囲の者たち、救いてやれよ。助けてやれよ。守りてやれよ。そもまた周囲の者にとりての、尊き行なり、功徳なるらん。心の病の救われぬ者、周囲に捨てられ、忘れられし者。全て縁なり、神のご意図よ。神の禊(みそ)ぎは、その者のみを、気付かせ悟らすためにはあらず。周りの者にも、気付きを与え、さらに心を高めさすため。なれば心の高き者、神の仕組みを喜ぶ者なら、 神を手伝う機会にあれば、さらに勇みて神を助けよ。一人の命を救う者なら、必ず広がり、増えてゆきなん。始めは一人、二人にても、必ず人の輪広がりて、さらに十人、百人となる。それこそ神の望みにあれば、周りに病の者あらば、神との縁と結ぶ手伝い、後は委ねよ、神の心に。神にはなせぬ、直接に、人との縁を自ら結ぶは。なれば気付きし人が頼りよ。神の求むる み役の者たち。神のご意図をよく読み取りて、神の仕組みをさらに進めよ。 心高まり、清まりゆかば、機会も増えなん。集まりなん。たとえご縁を結べずとも、たとえ病は癒せぬとも、さは表面のみの結果なり。結果に囚われ、恐るるなかれ。結果は神のご意図に任せよ。人間一人の行ならば、人間世界の目に映らず、失敗徒労に映るとも、神の世界の審判には、尊く高き行いとなるなればさらにも手伝いてゆけ。心の病、体の病、たとえ見えねど、病人多し。 全てが病人、けが人ならずや。心の汚れは全ての者の、心にあるらん、溜まりておらん。なれど行にて消してゆき、浄めてゆくのが務めならずや。なれば人知に健康正常、そに惑わさるな。だまさるな。全てが病を秘め持つ者なり。なれど癒すも能(あた)うものなり。人への優しさ、神への感謝、それのみあらば、病は癒えん。心の病も、体の病も。 病気というは、医学のことば。神にはあらず、全ての病。病と見えるも、禊ぎにあれば、感謝の心で治してゆけよ。薬や手術で、ごまかすなかれ。かえりて汚れを深めゆくなり。汚れのあるさえ、わからずなりなん。神へのご縁を深めてゆかば、病の時にも、その意味を知り、そに耐え抜くの力も湧きなん。励まし、慰め、そもまた大事。病の者の近くにある者、尊き禊ぎの機会と知れよ。 努力し、神との縁を強めよ。