神から人へ 「霊・霊魂・魂の違いについて」
(霊、霊魂、魂の違いについてお教え下さい)三つのものは同じもの。もともと一つの同じものなり。人に宿りてこの世に下りれば、即ちそれは、魂なり。霊魂、それは、肉体なくし、この世をさまよう間の名なり。霊魂なるは、肉体持たぬ、意思のみ残す波動なり。霊なるものは、さらに高次の、この世の次元を超えし世界の、意思ある波動、エネルギー。人を導くものもあり。人にとりつくものもあらん。なれど、現世の次元を超えし、四次元世界を生きるなり。まだまだ人に近く、人の世界を見守りて、導く者もこの世界なり。人の世界の現象事象の多くは霊にて導かれなん。なれば、人は身近な霊と、共にあるものなり。なれば人の交信するも、霊を通して取り次がれなん。神との次元はさらに遠く、肉体あるは、不可能なり。間を介す霊魂は、霊の教えを、さらに低き次元に落として人に伝えん。なれど、それらは五感に分からず、意識の奥に有りし、受信機通じて動かすものなり。なれば、人の無意識なるが、最も神に近づき易き、潜在意識の奥にて眠る、神との入口、接点なり。なれど人は気づかぬままに、他なる教えに操られ、己を守る守護神離れ、別なる霊に従いて、迷えるも道に落ちゆくなり。なれば人は心せよ。無意識にある汚れ、曇りを。気づかねばこそ危うき道なり。気づかず落ちる迷妄なり。神は教えを満遍なく、四方に放ちて、そをば受け取る魂求めん。肉体持ちし魂は、肉体のみに頼りしあまり、己の御魂の奥にある、尊き器を汚れさせ、曇らせしままに、死を迎えん。神の嘆きもそのことなり。神の御魂を分け与え、御魂を磨きて霊魂となり、さらに高めて霊として、この世の魂、霊魂を、導く霊を育てたし。 (神様から分け与えられたときのものは、魂でしょうか。また霊というのは魂の昇華したのちの、高次元の世界にあるときの呼び名と考えてよろしいでしょうか)さにて正しき解釈ならん。全ては同じものなれど、次元の高さ、昇華の程度、さなる違いを表すなり。なれど、一度昇華すれども、絶えざる精進努力を要す。霊魂なるは中間なれど、現世来世行き来して、三次の世界に留まるものなり。肉体もつか持たざるかそれのみ異なる違いなり。(人間と動植物の魂の違いは何でしょうか。動植物の霊も昇華し、霊魂、霊となるのでしょうか)人間の持つ魂は、神から直接分け与えられしもの。動植物の魂は、波動の異なる次元のものにて、現世のみに存在するもの。なれば、それらの魂は、進化も昇華もせぬものならん。神の意図を外れず、神の意思に忠実に、神の慈愛を表すのみ。子孫を作り、生を伝え、後の世界に変わらず残す、そのみがこの世の務めなり。なれば争う必要もなく、神への感謝に満ち溢れ、喜びのみの生ならん。生まれしときのと同じ命を、繰り返し生む、自然の営み、自然の連鎖に委ねることこそ、彼らに課せられし使命なり。そを全うして、再び別の命とならん。多くは同じ種族なり。彼らに欲も望みも無し。与えられるもの、そのみで足りて、何の不足も不満もなし。なれば、多くの動植物は同じ生を繰り返すなり。 (異なる種族になることもあるのですか)子孫を残せぬ異変ありて、種の滅びなば、異なる種族になることもあらん。最も憂い、悲しむべきなり。神の慈愛を滅ぼすは。かかる事態の多くの元は、人の過ち、愚かさなり。自然の連鎖を壊すが人間なり。神の慈愛を見失い、己の欲望我欲にくらみ、自然を荒らして省みもせず。次から次へとむさぼりて、全てを絶やすが人間ならん。なれば人は己の御魂を磨き浄めて、目を覚ますべし。己の犯せし過ちの、積もり溜まりし今の世を見よ。今の世界は末世ならん 地球の限界、猶予は適わず今この時が最期の今なり。最期の前に目を覚ますべし。曇りし御魂に光を当てよ。己の務めを思い出すべし。神から賜り、この世にある意味、命の尊さ、奇しき定めを、心新たに思い返せよ。全てが必然、神の意のまま。なれど感謝を忘れるなかれよ。この世に生まれて命永らえ、不自由なきこそ奇跡なり。平和も富みも、健康も、神の許しあればこそなり。一つも己の意思ならず。能力ならず。当然ならず。謙虚に喜びひたむきに、神への祈りを忘れるなかれ。人の力の弱さ儚さ、自ら犯せし罪さえも、償い得ぬが人間ならん。さても無力の人間なれど、神への祈りを祈りし時には、神の力が働かん。神の光が全てを救わん。病も汚れも浄めゆかん。祈りを欠かさず、波動を広げよ。必ず波動は広がらん。目には見えず、耳には聞こえぬ。なれど必ず広がりゆかん。ことばに出すも、想念のみも、祈りの波動は込められて、神に届きて広がらん。目に見え変わるは後のこと。今は焦らず、ことを急がず、神を信じて祈ることのみ。この世を救う思いを高め、信じる気持ちを強めゆくこと。あせり、急いても何も変わらず。泰然として今を生き、悠然として未来を見据えよ。神の慈愛を信じきり、神の力に任せ切ること。己に何もなせぬを悟りて、無力の己を受け入れよ。神の壮大雄大なる、宇宙全ての経綸は、太古の昔に定められ、そを変え得るは何物も無し。現世のみしか目に入らぬ、卑小な命に及びもつかぬ。人の作りし学問理論は、神を否定す根源ならん。さなる学問理論にて、宇宙の真理は何も分からず。つまらぬ詮索、曲解ばかり。真理を正しく伝えるための、宗教さえも堕落せり。さなる末世の今なればこそ、焦らぬ心を整えよ。焦りをあおり、駆り立てる、邪霊の手先となるなかれ。あわてる要の露程もなし。神の仕組みに乱れ無し。瞬時の進みも遅れもなく、時を刻みてはかどりゆかん。神に任せてただひたすらに、己の分に合うことをなせ。一人一人に相応の、務めを課して、見守るなれば。さにて本日、問いは広がり際限なし。多くの教え、変わらぬ教えに充溢せり。なればよくよく読み返し、神のご意図を読み取れよ。知識は無駄なり。無用なり。生きる糧として活かしてこそ、教えに意味あり。力あり。よく汲み取りて、生に活かし、祈りに写し、ことばに変えよ。その後行い、人にも広げよ。祈りのこもりし行いならば、見えぬ力が発動せん。