神から人へ ◎人を愛すること・執着を取ること◎
(人を愛することについて)欲望、本能、人の根源。そこに本来 我(が)はなけれども、自己と他者との違いを知りて、己の優越、選良意識、そが芽生えぬる時、我は強まらん。 人は本来一人で生きる、孤独の生にあらざれば、他との調和を重んじて、共存共栄を願うものなり。なればさらにも浄めてゆかば、必ず人は神に近づき、慈愛の心、寛容の愛、そに目覚めゆくもの、気付くもの。 我の曇りにて、気付かざれど、人とは神の愛を持ち、いつでも人を愛せるものなり。なれば人を愛するときに、我の混じりぬるは、改むべし。己の愛に我の混じりなば、さなる愛は汚(けが)れとなりて、相手も汚し、己も貶(おとし)む。 人を愛すは難しきこと。正しく愛し、正しく尽くせよ。あやまち我欲に迷いなば、かえりて双方、汚れを積まん。相手の幸せ願うはよからん。なれど幸せ、そをあやまつな。相手に金銭物質与え、物にて顕(あらわ)す愛は汚れよ。真の愛とは、相手の心、魂満たす、それのみなれば。 なれば最も明らかな愛は、ことばによりて伝えらるべし。愛の深さは音にも表れ、目にも表れ、顔にも見えん。なれば饒舌(じょうぜつ)、巧言(こうげん)要らぬ、ただに心と心の還流、そにて充分伝わりゆかん。 我とは本来、己への愛。自己のみよかれの心ならずや。我の入る愛とは、己のためなり。相手の真の幸せよりも、己の満足、自己中心。相手の迷惑省みず、己の偏愛、強制す。全ては我のなす仕業(しわざ)なり。なれば人は、人を愛すも安易に考えあやまつなかれ。人を愛すは神の行い。神の行いなせる者のみ、真の愛を顕せるもの。神の愛とは公平なり。差別もなくば、偏(かたよ)りもなし。全ての生を等しく愛し、全ての生の救済願う。なれど、愛にも差異はあり。最も深く強き愛。最も大きく寛き愛。最も高く熱き愛。愛に違いはなけれども、顕す愛に違いあり。人それぞれに見合う愛、神は等しく分けて与えり。なれば人はそにならい、神の愛にも近づくべけれ。人は人とし、人の愛を正しく顕し行うがよし。家族の愛もまた然(しか)り。親子の愛に兄弟の愛。子弟の愛に恋人の愛。愛にも幾つか違いはあらん。なれどいずれの愛にても、独善の愛に真実はなし。相手に押しつけ嫌われて、悲惨な終わりを迎えなん。独善の愛は厳に戒め、宇宙の心で人を愛せよ。全ては神の子。汚れぬ魂。その本来の愛に目覚めよ。幾多の生に出会うも縁なり。その縁を守り、広げていけよ。 一人一人の努力と協力。そのみが地球を、宇宙を救わん。今人に、神は全てを預けたり。人の最期の献身と努力の姿を、神に示せよ。 必ず宇宙は一人を守り、一人は宇宙を救いてゆかん。一人一人が神と結べよ。一人が全てを救うにあらず。一人が一人を救うなり。一人一人の帰依の姿が、神の光を強め高めん。なれば一人の努力の姿は、千にも万にも価(あたい)せん。 一人を侮(あなど)り、軽んずなかれ。一人の重みは人には量(はか)れず。人の尺度や基準に量れぬ、神の世界の尺度を知れよ。そも適(かな)わずば、神を信じよ。ただひたすらに、愚かに信じよ。無垢なる心の信仰こそが、神にも通じ、人をも変えん。なれば愛とて同じこと。我にて愛する愛は慎み、一途に祈れよ、人の幸せ。陰にて祈る心こそ、尊き愛の始めなり。なれば相手に露(あらわ)に示し、押しつける愛は、我のみの偽善。よく戒めて、高めてゆけよ。 神の愛とは、見返りも、感謝も求めぬ、ひたすらの帰依(きえ)。さにて相手が喜ぶ姿を、見守ることにて、満たされなん。さなる愛こそ、抱きて生きよ。儚く短き生ならん。神の愛にも昇華させ、あの世に帰らば神は祝わん。 (我を取る、執着を取ることについて) 我とは己の独占欲、己一人がよかれと願う、おのが中心の現れなれば、先ずは己の幸せのみの、願望欲望、考え捨てよ。されどそもまた難しく、よき時ばかりが続くにあらず。苦労、困難、危機のときに、いかに他人を優先さすか。最も厳しき状況なるらん。人には生まれて死ぬまでに、なさねばならぬ霊行のあり。人の多くは、そにも気付かず、目先の利益や富のみを、人生最大の目的となす。さなる心に精進難し。我を取る行は、さらにも難し。なれど一度、己の霊行、生 賜(たまわ)りし意味を悟らば、霊行以外の何事も、行うは易(やす)く、困難あらず。人の努力と辛抱あらば、およそのことは、全て叶わん。なれど霊行は、人の一人の力には、行うは難く、実現し難し。なれば、神にも他人にも、力を仰ぎ、己も捧げて、ようやく一つの霊行となる。 さなる霊行積み重ぬれば、必ず自ずと我は取れゆかん。なればこそ、今ある人の大方は、霊行さえも知らざる不幸よ。知りてもなさぬが人の常。人の弱さを、神にも十二分に、知りておられば無理を求めず、人それぞれに見合いし行を、段階つけて与えらる。なれば先ずは、霊行を、生ある意味を知るが始めよ。この書記読みし者ならば、必ず神とのご縁も深く、恐るることなく行を積むべし。無償の精進、それのみにて、我も執着も離れてゆきなん。執着、我欲は、本来なければ、なきと思いしその瞬間に、消えて離るる、煙の如し。執着取らん、我を無くさん。 思えば思う、それほどに、かえりて強まり、離れずなるなり。 心の自由を、思い描けよ。心を遊ばせ、空(くう)となれ。恐れず求めず、惜しまず止まらず。ただ自らを、自然摂理と一体となりて生きるがよけれ。己の存在すら忘れ、今ある宇宙と一つとなりて、己の内なる宇宙に帰れよ。 宇宙の魂と、己の魂とは、一つの魂と気付くべし。さにて己の内なる宇宙は、目覚めて時から解放されん。無限の時に身を任せ、大なる宇宙と共に生きなん。さなる時こそ、我は既になく、執着一つも残らずなりなん。 先ずは始めに霊行を。その後求めよ、無我の境地を。いずれも一つの精進要す。迷い、悩みもあるらめど、過ぎたる苦悩は執着なれば、求めぬ心を育みてみよ。まだまだあれど、方法は、自ら探すも修行となるらん。さなる努力と曲折を、神は愛しく見守るらん。心安けくおおらかに、神の波長を甦らせよ。さにて、終わらん。後にも問えよ。人のため。人の苦しみ迷いを救わん。 神の声を伝える人ひふみともこさん著書 「続神誥記」より抜粋 ひふみともこさんHPhttp://hifumitomoko.cocolog-nifty.com/blog/