詩作 生きる
生きる 川島弘嵩生きる基本は息をすることにある3分も息を止めると息苦しくなり意識を失うかも生きるという事は日々無意識に支えられているその息の漢字を見ると自分の心とあるゆったりとした呼吸を繰り返すと心は落ち着いてくる早い呼吸にしてみるとドキドキしてくる生きるということは心と意識がリトマス試験紙のようなのだ生きるということは、いろいろあること生きるという事は時間の経過生きるということは有限時間をどうすごすかの選択である充実して生きる時間は あっというまに過ぎる一方退屈した時間は なんとも長く感じるものだ充実して生きるには、没頭するほどにのめり込めるものがあるといいたのしいと思えることに、どれだけ遭遇できるかたのしいと思えることを、どれだけチョイスできるか生きるということは、生きていること生きるということは、死ぬまで生きることできるなら健康で生きることが望ましいが 病気や災難も訪れるときもあろうその時は甘んじて受け入れ改善に向けて生きればいいだろう 生きるという事は、先祖からの生命のバトンリレー生きるという事はやがては孫子の未来から見れば先祖になる道 先祖を辿ると本家が18代前まで遡ることができた直接この目で会った先祖の最古参は3代前の曾祖父さん、そして私の後は孫の子供まではどうにか見れそうだ見れれば7代にも亘ることになる生きると云うことは自分の生命を全うすること生きると云うことは、今、今、今、今中にあるのだそして今中の舞台はいつも用意されている ーーーーーーーーーーーーーーこの「生きる」は、過日、詩人・谷川俊太郎氏の詩「生きる」を朗読して紹介されたのを聞いて、参加者みんなそれぞれの自分を生きている、著名な詩人の詩もさることながら、各人の各々の生き方の選択であるし「各人各様の生きる」の方が興味あるし、各人自分の言葉で私の「生きる」を、ぜひ聞いてみたいと思い、テーマ「生きる」の詩をみんなで発表会ができたらいいねと提案したわけです。はい、みんなちがってみんないい。それぞれの違いはあるものの、詩としての発表会は楽しかった。詩作の作法も各人各様であり発想からして違いがあり、とっても面白い試みであった。各自の「生きる」の詩の発表会のあとに、ランチに寄った店の壁に貼ってあったのが目に飛び込んできた。サラリと生きる、川の流れのように。達観の境地も、これまたありです。サラリは、スッキリさわやかな心境にも通じることです。爽快、軽快、明快という3つの「快」を連想できます。後味スッキリの「水に流す」というきれいな洗浄感覚がひろがります。google画像検索で「 生きるとは 」とやってみると実に多様な「生きる」があるある。「生きる目的とは何なのか?」、生きることの意味を見つけることよりも、今この瞬間を感じて生きることが重要だとの気づき、まさに今中に通じることです。「生きる目的とは何なのか?」私は自分自身の経験を通じて、生きることの意味を見つけることよりも、今この瞬間を感じて生きることが重要だと気づきました。仏教には而今(にこん)という言葉があります。 意味は、「このいま」です。 而今には日付などありません。 なぜなら、このいまは時間の中にあるのではなく、時間はこのいまのなかにあるからです。而今(にこん)は禅語であり、曹洞宗 道元禅師の唱えた言葉です。 「いはくの今時(こんじ)は人人(にんにん)の而今(にこん)なり。 我(われ)をして過去未来現在を意識せしめるのは、いく千万なりとも今時(こんじ)なり、而今(にこん)なり。」の言葉にあるように、「今と言う瞬間に成すべき事をなす。」 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆※ 本日、気にとまったことや言葉から。以下■ AIボイスレコーダー オートメモ R ¥13,860円ソースネクスト株式会社■ 扇ひろ子「新宿ゴールデン街」(1975)このyoutubuのように「生きる」の詩をナレーション風に朗読したものを動画配信してみたいと思った次第です。■サバ缶ひつまぶしは3分54秒~■ 長野県にある「星くずの里たかやま 黒耀石体験ミュージアム」は、国史跡・星糞峠(ほしくそとうげ)黒曜石原産地遺跡のふもとにあります。 詳細はホームページ( https://www.hoshikuso.jp/)へ。