昔の人の旅
昔の人はどの位、遠くまで歩いて移動したのだろうか。移動するには、食料を持たねばなりません。旅人が多ければ、食堂いまでいうレストランがあったかもしれません。旅人用の旅館はいつごろから出現したのだろうか。旅籠屋(ハタゴヤ)を検索しましたら「鎌倉時代以降の旅宿業」とあったので鎌倉時代には既にあったわけです。たぶんそれ以前も宿泊所はあったろう。いつの世の中でも需要があれば供給を考える人があったであろう。万葉集、安積山の歌「安積山 影さへ見ゆる 山の井の 浅き心を わが思はなくに」滋賀県甲賀市の紫香楽宮(しがらきのみや)跡とされる宮町遺跡(8世紀中ごろ)から、万葉集と古今和歌集に収められている2つの和歌が記された木簡が2008年に見つかりました。郡山には「うねめ伝説」があります。 今からおよそ1,200年前、奈良の葛城(かつらぎ)王に采女(うねめ)として召された春姫が、許婚(いいなずけ)と家族を恋しく思い、奈良の猿沢の池に身を投じたと見せかけて、安積(あさか)の里<現在の郡山市片平町>に舞い戻ってきます。しかし、既に愛しい許婚も家族も亡くなっており、春姫は生きる望みの全てを失い、許婚の入水した山の井の清水に身を投げてしまうという悲恋物語です。その采女が詠んだといわれる「安積山 影さへ見ゆる 山の井の 浅き心を わが思はなくに」1200年前、郡山市から奈良市まではたしてどんなルートで歩いて行ったのだろうか。郡山市から奈良市までの距離はweb検索で734kmあります。20日位かかったのではないでしょうか。私が1日歩いた距離で記憶に残っているのは20代のころに磐越東線の神俣駅で降りて向かったのは、郡山駅までの31.6kmを仲間と歩いたオーバーナイトウォーキングでした。