さようならシンガポール「シンガポール 6」
私が初めてシンガポールに来たのは結婚して3年目の事でした。今は中学生になる息子さえ生まれていません。マーライオンは今の位置になく、繁華街は日本のデパートがひしめき合っていました。会社は今の親会社に買収されておらず、海外出張と言えば技術提携や多数決のために「Yes」だけが書いてある投票権を持って参加する気軽なものでした。親会社同士の会社の合併は私達が勤める小さな会社を大きく変えました。日本では5社が巻き込まれました(子会社を含めれば遥かに大量ですが)。日勤社員の半分程度は会社を去っていきました。それでもローカル組織の寄り合いだった合併初期は仕事のスタイルに変化はなかったのですが、その後、グローバル化の激流に襲われました。人は東南アジア、アフリカ、南米中心に集中しコストが高く英語が使えない日本は淘汰され最小化されて行きました。生き残った人たちが技術力より英語力だった事は今でも不満の残るところですが珍しい話ではないでしょうね。私の仕事の分野のグローバル化はイギリスに始まりシンガポールに移りました。かつてイギリスに出張が多かった事は懐かしい思い出です。日本の現場が持つ技術という財産をグローバルIT部門に移す、その一環で私もシンガポールの組織となりました。日本特有の技術は標準化、グローバル化ができましたのでやっと私のような現場型エンジニアが工場に戻る(お払い箱?…笑)事ができました。これでシンガポールとお別れです。今考えればよい人生経験でした。転勤して2カ月、今でも時々Helpの依頼が来ますが週に一回程度、グローバル組織はうまく動いています。シンガポールの記憶は少しずつ薄れて行きます。Blogに残った記録をたまには楽しく読み返してみたい…Blogに書いていてよかったと実感しています。