洋楽特集SP『MVが映画の様な音楽』M.J「BAD」MV完全解説
●名匠M.スコセッシ監督が演出した「BAD」の「難解」な内容には意味がある。Interno di un sala da cinema (画像参照: wikimedia)洋楽特集SP (第5回Ver.2.0)ご覧くださいMVが映画の様な音楽をどうぞ・・・■さて、遊びに出かけようにも「緊急事態宣言」や、近所の眼もあり出られず・・・会社に出勤に託けて、馴染みの店に顔を出そうにも行政が推奨する「テレワーク」の在宅勤務が長くなった事で在宅に慣れ過ぎて出社が苦となり久々の出勤も、急な体調不良に襲われすっかり「ひきこもり」体質となったり・・・と様々なストレスに晒されながら、コロナ禍の時代を生きる方々へチョットしたイイ話に少しばかりの加筆を施したひと時の癒やしにして欲しい、軽い更新の筈が、今回2012年3月19日に更新した、十年近く前の記事を加筆修正した上に、嫌がらせの様な大量文章に疲弊するユーザー続出必須の出版更新をお見舞いするという6万5千文字もの大量文章の更新となりいつも通りの内容となりましたW■という訳でwww80年代90年代の洋楽をお送りする「どうぞ特集」今回は、まるでショート・ムービーを観る様な、ミュージック・ビデオが「映画」の様な音楽をVersion2となってリニューアルし特に、来年でリリースから35周年となるマイケル・ジャクソンの「BAD」の意味不明な難解な演出で問題作となったMVの解説を中心にいつもの感じでお送りします。それではスタート!■ もくじ ■■INTRO (前枠)■- 音楽解説 -01.Michael Jackson - Bad (1987)ミュージックビデオ 完全解説●MVを演出したマーティン・スコセッシ監督の「意味不明」となった演出部分を含めた徹底解説●■1.学校の場面■■2.マイケルに話しかける「謎の男」の正体■■3.ウェズリー・スナイプス達とのやり取り■■4.「盗んだ眼鏡」の話で気まずい空気になった理由■■5.杖を付いた男は何者?■■6.友人達に激昂するマイケルの真意■■7.ダンス場面で描かれた別れの真相■02.Cyndi Lauper - Time After Time (1984)03.Mike + The Mechanics - Silent Running (1985)04.Mick Jagger - Just Another Night (1985)05.TOTO - Stranger In Town (1984)06.Madonna - Papa Don't Preach (1986)07.Billy Joel - Allentown (1982)08.Prince - Purple Rain (1984)09.Phil Collins - I Wish It Would Rain Down (1990)10.Kate Bush - Cloudbusting (1985)11.Paul McCartney - Pipes Of Peace (1983)■ OUTRO 後枠 ■■1.時流と共に変化するMVの役割■2.個人レベルで世界展開を可能にしたYoutubeの登場■3.ダウンロード規制の読み違いとCDの終焉■4.ネット社会の到来と多様性が求められるMV■5.「多様性」を廃した「音楽」単体へ回帰する予期▲目次へ▲■ INTRO (前枠)■楽曲のリリースと共に作られるMV(ミュージック・ビデオ) は 別名 PV(プローモーション・ビデオ)とも呼ばれ欧米では70年代以前から広告と同じ位置付の販促映像として制作され多くはライブ映像を流用したり、アーティストのバックでダンサーを踊らせたり港や公園など近場のスポットでイメージ映像を撮影したり主に低予算で制作されるクオリティーの低いものが殆どでした80年代に入りますとミュージックビデオ専門チャンネルMTVの開局と共にその役割は変化し映画の主題歌として起用されたアーティストの楽曲に映画のクライマックス場面で構成された映像でMVを制作してそれをMTVでヘビーローテーションし話題になる事で楽曲のみならず映画のヒットに繋げるという、多様性を帯びたものへと変わって行きました。やがて時代と共に価値観も大きく変わりMVそのものが独立した作品として認識される様になりますと映像作品としても話題性の高いものを予算を掛けて制作する大掛かりなものへと 移行して行きますその流れを汲むように、80年代中盤頃から日本でも本格的にMVが制作される様になりYoutube全盛の近年に於いては、MVありきのアーティスト活動になるなどアーティストに取ってミュージックビデオは、アーティスト活動の一環として今でも欠かせないものになっております。というわけで今回は映画のシーンを切り出した様なストーリー性のあるMVをいくつかご紹介いたしますそれではスタート!▲目次へ▲△▼ △▼ △▼Michael Jackson - Bad (1987)マイケル・ジャクソン - バッド収録アルバム『バッド』Michael Jackson 2nd June 1988. "Wiener Stadion" venue in Vienna, Austria.(画像参照: wikimedia)(日本語字幕付き動画はコチラ)>>ニコニコ動画へダンスの貴公子●MVを演出したマーティン・スコセッシ監督の「意味不明」となった演出部分を含めた徹底解説●前作『スリラー』では、映画監督のジョン・ランディスを起用しミステリーとミュージカルが一体となった画期的なダンスパフォーマンスが話題となりこれまでリリースされた作品は全世界で3億枚以上のセールスを記録し音楽界に多大な影響を与えたマイケル・ジャクソンの今回は再びハリウッドから(76)『タクシードライバー』(06)『ディパーテッド』の巨匠マーティン・スコセッシ監督を招いて前回とは違ったスリリングで衝撃的な切り口で描かれた殆ど短編映画を観るような躍動感溢れるドラマティックに仕上がった作品です。本編にはデビュー間もない俳優のウェズリー・スナイパーの他母親の声の役で黒人音楽の大スターロバータ・フラックが出演しており映画ファンにも洋楽ファンにとっても興味深い作品となっておりますが前作『スリラー』の時の様な観ていて楽しい内容とは異なり本作は全編に渡って張り詰めたような緊張感で占められたスラム街を徘徊するストリート・ギャングの一夜を通して米国の下層に根差す闇とそこに生きる若者たちの成長の苦悩を描いたあらゆる意味でこれまでのミュージックビデオのあり方を根底から覆した問題作となっておりますさて、本作は数カ所の 「意味不明」 な場面があって最後まで説明の無いままMVが終了しそれがミステリアスな深みをもたらしている難解な作品としても知られておりこれは状況を説明する情報不足によってコミニュケーション不足に陥るという見る者に「不安感」と「不安定感」を与えて言い様の無い「不信感」へとつなげる事によって引き起こされるミスリード が原因と思われ、スコセッシ監督による意図的に仕向けられた脚色だと言えます。なぜこの様な脚色をしたかに付いてですが、これはこの演出が、特に米国国内の白人層が有色人種に対して無意識に抱く特異な容貌から受ける印象のみで人を判断しようとする「誤認」から来る「偏見」を通した『差別』の仕組みに酷似している所から本MVを鑑賞する事で無意識に「偏見」の眼が芽生る仕組みを現実での出来事と同様に、鑑賞者に体感してもらう為にこの様な脚色を配したのでは と 思われるものがあります。所でなぜ、脚色を意味不明にするのかという演出意図ですが例えば電車に乗り込んで席に座った時隣の客が取り留めのない会話の途中だとして、「Be the man」という声が、耳に入ってきたとたら「何の話だ?」と なると思いますそんな現実感と、人間は目の前で理解できない事があると ザワつき、「不安」が嵩じて「恐怖」を感じるものだったりするのでそれが人種問題の核となっていると捉えられる事からそんな風にザワつく映像を見せて、見る者の意識度を測るスコセッシ流の問いかけなのではと考えられます。■本MVは、私服警官に強盗と間違えられて射殺されてしまった青年の実話を基に、米国社会の暗部と、そこに生きる若者達の激昂する青春を描いた 問題作となっておりますが、ここで問題とされる米国での白人警官による黒人市民殺傷事件は現在も状況は変わらず、むしろ悪化しており白人警官の横暴に激怒した有色人種の市民達による抗議の暴動が各地で勃発するなど強い米国を謳い、全世界に憎しみを発信し続けたトランプ政権下で発生した全米を分断する深刻な人種問題は政権が変わった現在でも、未だ収束はしておりません。この様な事件が21世紀の現代になっても後をたたないのは、米国での白人層が有色人種に対しての理解が足りない「無知」と過度な警戒心が招いた「恐怖」が引き起こした「差別意識」が根ざしている所に理由があり本作の『BAD』というタイトルは「格好良い」というスラングの意味とは別に何かが「悪く(BAD)」見えるのは、理解できない「無知」が為せる技という現在、抗議運動で全米が分断するほどの社会問題化した「人種問題」を見据えた湾岸戦争が勃発する80年代の不穏な時代に真の価値観を世に問う辛辣なまでな警鐘という形を込めたマイケル・ジャクソンからのメッセージだったのではと思えます。▲目次へ▲■1.学校の場面■それらの事を念頭に置きながら「難解」と呼ばれる場面を良く見てみますと・・・まず最初のシーンで「君はよくやった」とバツが悪そうに話しかける生徒は恐らくこれまでスラム街出身のマイケルを軽視し・・・まあ、「マイケル」では無く マイケル演じる「Darryl」 の話なんですがw便宜上ここでは「マイケル」で統一したいと思います・・・事あるごとに侮蔑的行為を繰り返し行って来た経緯を感じる金持ちのエリートで、学内トップになった(※多分)マイケルに潔く負けを認めたアメリカ的 和解の場面 の様な印象があります。ちなみに、最後この青年が言った「High five, my man.」のHigh Five ですがこれは日本で言う所の「ハイタッチ」の事です。実は「ハイタッチ」は英語ではありませんwいわゆる「アスリート」を「スポーツマン」と言ったり「フライトアテンダント」を「キャビンアテンダント」と言うのと同じで和製英語ですではタッチに当たる「Five」は何なのかと言いますと、片手でやるハイタッチを「High five」と呼び両手でやるハイタッチを「High Ten」と呼ぶのでこれは指の数を指した言葉だと分かります。▲目次へ▲■2.マイケルに話しかける「謎の男」の正体■次に、帰宅する列車の中でマイケルに対していきなり怪しい視線を向けた一見マフィア風の男に付いてですが、何か良からぬ事が起こる様な予感を残しながら場面が変わると独特の騒音が響く地下鉄の車内に様々な人種と立場の人々が乗り合わせる中でなぜかマイケルと隣同士で座り唐突に友人の数を問いかけ、「Be The Man.」と呼び合い列車を後にする、という登場をします。おそらく誰もが理解に苦しむシュールに見えた場面だったと思われます。これに付いてはTV放送で見る機会に液晶テレビの大画面で確認した所この人物のマイケルを見る目線は胡散臭いと言うよりは目を細めて暖かげであり最初乗り合わせた列車の車内で学童達がふざけている時も、この人物はその様子を、書類を片手に 笑って いたり しております。特に地下鉄の場面では下車の時突然話し掛ける様に見えますがよく見てみますとマイケルと「男」はずっと硬い表情で座っていましたが男が話しかける時、優しげな表情をするので実はそれまで何か真剣な話をずっと話し込んでいたのが見て取れます実は、MVの冒頭の学校の校門の場面を見た所マイケル達生徒に混ざってこの「男」が出てくるのが映っておりましたつまりこの「男」は マイケルの学校の先生 だった訳です。この先生は見た目がラテン系アメリカ人なので何も知らずに見ていると、この様なコートを着た風貌ではまるで麻薬カルテルの売人の様に映る事から何かの脅威を勝手に想像してしまう という事になるわけです。それを念頭に置きながら、欠けている描写を補完してみますと、電車の中で暴れていた生徒たちが居なくなりマイケルと男が取り残された様になった時急にマイケルを睨みだした麻薬カルテルの売人から怖くて目をそらしている様なマイケルに見えた場面もよく見れば、MV冒頭でマイケルがゆっくりと顔を上げた描写では何か、大きなものを背負っている様な表情をしている事から何かを決断した様な表情にも見て取れるのでそんなマイケルの普段の素行を見て、何か感じ取っていた先生が「何か悩みがあるのなら、先生に話してみろ」という視線を送りマイケルが麻薬カルテルに睨まれて視線をそらしていた様に見えた描写もマイケルも先生に話そうかどうしようか 迷っていた という様な至極当たり前な学校での日常が見えてきます。それにこの先生が、マイケルの席と同じ列に座っている事も偶然では無い事の様な匂いがあるのでマイケルと話すつもりで、近くに座ったのか元々話す様な仲で、他の生徒が居なくなるまで 控えていたのかあるいは、よそよそしいマイケルの態度に異変を感じて、マイケルが自主的に話すのを待って、近くに居るのか、想像は尽きませんが、ともあれそれでその後地下鉄に至るまで、ずっと腹を割って話し込んだという流れになった印象があります。そうしてMV全体をよく見直してみますと、友人との別れを描いた苦い青春の物語がテーマだった本作のこれまで見えてこなかった 真のメッセージが 浮かび上がって来るのが分かります。というわけで、ここから先は想像、というか妄想に近い話になりますが・・・wその様な理由からこの先生は、学生時代も教師となった現在の職場でも有色人種として偏見の目で見られ続けたと想像でき教え子の中でも飛び抜けて優秀なスラム街出身の黒人の生徒で周りを認めさせてやる一心で勉学に励むマイケルの中に若き頃の自分の姿が重なって見えて入学当初からマイケルの事を陰ながら見守っていたという経緯が感じられます地下鉄ではおそらく勉学の事や将来の事などをマイケルと話している内に打ち解けたのか元々 学校でも話す仲だったのか若かりし頃の自分がどういう経緯で教師になったのか・・・など少年時代の話へ話題が移ったのか分かりませんが自分の境遇に似ているマイケルと話している内に次第に学生時代に気持ちが戻って行きこうなる為に過去自分がどんな道を歩んだのか・・・核心に迫る様な話へと話題が進んで行ったと、想像すれば最後下車する時に 親友の数を競い合い・・・真意は後程解説します・・・俺の勝ちだな という感じで大人気なく嬉々として席を立つ先生に負けましたよw という感じでマイケルは首を振り二人は挨拶代わりに「Be the man」と互いに呼び合い先生は列車を後にしてその後マイケルは「何か」に対して・・・「何か」に付いても後程解説します・・・意を決した様に手袋を取った という先生と生徒のやり取りだったという事が見えてきます。■所で二人が交わした「Be the man」という言葉は、ブラザー同士の挨拶の一つだと思いますが有り体に訳しますと「man」の冠詞には定冠詞の「the」が使われているので「the」には「ひとつに決まる」という働きがある事から「(どこにも居ない)本当の男 だ」という意味になりますこれが 冠詞に不定冠詞の「a」が使われていたら「a」には「多くの中のひとつ」という働きがあるので「(どこにでも居る様な)ただの男 だ」という意味になりますので「Be the man」は多様で深い意味がある言葉だと分かります。つまりこの先生がこの言葉を使ったのは場に流されるような、情に流されるような、声の大きい意見に流されるような、結果、何も出来ない弱い人間にはなるなという事を言いたかったのでは無いか と思います。であればこの先生は、マイケルと同じ境遇の少年時代をメキシコの貧困層で過ごして、生きるためには盗みも追い剥ぎも何でもやったという、マイケル同様に少年時代に黒歴史を持った人物だったという匂いを感じさせるものがあります。▲目次へ▲■3.ウェズリー・スナイプス達とのやり取り■次に、マイケルがスラム時代の親友、ブレイク前の若きウェズリー・スナイプスを含めた3人と再会する場面では・・・スラム街を出て進学校に通うまでとなり、この先も明るい未来が待っているマイケルに対して、スラム街しか知らない親友達3人は今も盗みや追い剥ぎをやるしかない暮らしを続けているというマイケルと親友達との間に出来た「溝」を描いております。この場面は、地下鉄を降りて地元に戻るとドラム缶に火を炊いてる集まりの中の 1人の黒人が「Yo! Yo, Darryl! Yo!」と、マイケルの元クラスメイトか 顔見知りか いじめっ子か分かりませんがマイケルに向かって呼びかけているのをマイケルは無視し、黒人も 「何だよっつ」 という態度を取ってマイケルはその場をスルーする、というスラム街の場面から始まります。ちなみに、この時のマイケルの態度の真意を考えてみますと、その後親友達に出逢うと 態度を軟化して満面の笑みで再会を喜び合うので逢いたくも無い相手に声を掛けられて無視したという事は分かりますのでおそらくマイケルにとってこのスラムは故郷ではあっても忘れてしまいたい黒歴史を思い起こさせる場でもある事から、生きる場所では無いと、心の中で整理が付いている様な印象があり親友と我が家以外、気に留めない様にしている と捉えることが出来ます。次に、親友達の再会を遂げた後、誰も居ない家に戻る場面では、マイケルの部屋には人気黒人アーティストの写真やポスターが飾られ母子家庭なのか 仕事に出ていて留守をしている母親扮するロバータ・フラックの声でタイプライターに置かれた手紙が読まれるとマイケルは 意を決した様な眼をします。この場面は 短い間でマイケルの少年時代と成長を垣間見る重要な場面で黒人アーティストの写真に囲まれた部屋からはかつてマイケルを夢中にさせた事が見て取れますしタイプライターからは、母親がタイプライターに置き手紙をした事からもマイケルにとってタイプライターは言わば 相棒 で常に使っている無くてなならない片時も離さない大事なものという印象を受けますしタイプライター付近に重ねられた本ですが動画が荒くて何の本なのか、解析できませんでしたが一番下の本の文字が「LO・・・」又は「La・・・」みたいに見えたので「Lawyer (弁護士)」の本 なのかもしれませんのでマイケルが弁護士か 或いはジャーナリストか文筆家か 作詞家か将来何かしら頭を使う仕事に就きたいという意図も見えてきます又、部屋に貼られた少年時代のマイケルを夢中にさせたと思われる黒人アーティストの写真は単に「少年時代の憧れの人」としてその思い出として今も部屋に貼られているというよりは有色人種に対しての強い偏見がはびこる白人社会の中で成功した黒人達へのリスペクトしている現れとして今も部屋に貼られている様な印象があり、マイケルの行動原理も、白人社会での黒人の地位向上へ向けられているものと考えられます。その様な思いを胸に、このあとマイケルは親友3人と対峙する事になります。■次に、ウェズリー・スナイプスと共にする場面の冒頭でウェズリー・スナイプスがマイナスドライバーで壁を削っているのが気になりますが、道具として携帯しているにしては、思いっきり違和感があるので盗みを働く時の道具として使うものなのか、あるいはドライバーの先を鋭く尖らせている様にも見えるので、ドライバーとして使うものでは無くて脅しの武器の代わりに使うものなのかもしれませんここは治安の悪いスラム街なのでナイフの様な分かりやすい武器を持ち歩いていると、警官の取締を受けて見つかった時、逮捕される可能性がある為道具と言い訳が出来る様なものにした という事なのかもしれませんし或いは、彼らは10代の高校生位の年なので高価なナイフを買うには 金銭的な余裕が無かった事からそれに代わるモノを携帯しているという事なのかもしれませんつまりこの時点でウェズリー・スナイプスはこの後「追い剥ぎ」をする気満々でいる事が分かりそれは久しぶりに帰省したマイケルに対して都会の進学校へ通うマイケルとの格差という「溝」をウェズリー・スナイプスなりに感じ取っていてそれによって仲間の「輪」からマイケルが外れ様としているのかどうか試そうという意図があっての事で、その準備をしている様な、そんな印象も受ける場面でもあります。次に、マイケルの学校の話題で爆笑になった理由ですが会話は、ウェズリー・スナイプスがマイケルに「Yo, College, what's your major, man? (大学では何専攻してんだ?)」と訪ねマイケルは「This is high school. There ain't no majors. (高校だよ、専攻は無いよ。)」と答えると「Then what's your minor?」とウェズリー・スナイプスが言い、爆笑が起こりマイケルは笑いながら「You guys are sick, sick.」と答えウェズリー・スナイプスは冗談めかして「My man, Joe College.」と答えるという流れになっています。一応字幕版の方では、「Then what's your minor?」は「まだ下っ端か?」「You guys are sick, sick.」は「お前ら病気だっ 病気」「My man, Joe College.」を「真面目野郎」と訳されておりますが、これでは何のことやら分かりませんし、そもそも、サッパリ笑えませんwという訳で、ウチの独断と偏見による意訳をしてみますと・・・ここでの、「This is high school. There ain't no majors.」の「majors」は「専攻」で良いのですが他にも、軍隊用語で「少佐」「三佐」の他主に「メインの」「重要な」「多数の」の様な「主要となるもの」という意味があり野球用語で「メジャーリーグ」を指す意味もありますのでウェズリー・スナイプスがこの後言う「Then what's your minor?」の「minor」は「マイナーリーグ」を表している事で「下っ端」と訳したのかも知れませんがそれならそうで、そう書けば良い話なので、この何とも、靴の上から足の裏を掻こうとしている様なピンと来ない訳の説明にはなって居ない様に思います。だとすれば、連中が笑った理由は一つで・・・wおそらく「major」が「大きい方の(デカイモノ)」という意味もある事からこの場合の「minor」は「(男性自身が)貧小」という、スラング なのではという匂いがします(多分)w従って「Then what's your minor?」の意味は 意訳すると「お前の(一物)は(まだ)おこちゃまだったか?」或いは「まだ(アレの皮がw)む○てないのか?」となります。w男性自身に対して「minor」という物言いは非常に侮蔑的でナイスなチョイスだと思いますがWなので、公共の電波に乗せるには忍びないと思った翻訳家の苦肉の策としての翻訳だった、のかもしれません(多分) wだからマイケルは「You guys are sick, sick.」と爆笑しながら言う訳ですw又、この「sick」にも、「病気」の他に、「むかむかする、うんざりする」という意味があるので、この場合の訳も「お前らムカつくっつwww マジムカつくぜっつ!!!www」という感じかもしれません。最後の「My man, Joe College.」の「Joe College」は「典型的アメリカ人」という意味で「Joe」に「名前の分からない、一般的、典型的」という意味がある事から「My man」というブラザー語を受けて、「真面目野郎」と訳されたと思います。※これはウチの独断と偏見による意訳なので真面目に受け取って 本気で間違いを指摘するのは ご勘弁を・・・こんな記事に真面目なコメントを書かれてしまうと、本当に申し訳ないので・・・w▲目次へ▲■4.「眼鏡」の話で気まずい空気になった理由■所で、ここでの会話が「盗んだ眼鏡」の話に触れると空気が気まずくなった事の意味が分からないという意見がありマイケルと親友達との間に出来た「溝」がそうさせているというのが分かりづらい和訳 (苦肉の策という話もあるw) になっていて真意が伝わりにくくなっているのかもしれないので解説しますとこの場面で階上の男は眼鏡フレームに付いて「What they wear ? They wear turtle-shell glasses?」「連中は (眼鏡は) 何掛けてるんだ? 亀のコウラ眼鏡を掛けてるのか?」と言った後「That's tortoiseshell.」「これは、べっ甲だよ」と言っているので、階上の男が「tortoiseshell」と言わなければいけない所を「turtle-shell」と言い間違いをしたのをマイケルが指摘した事が分かります。 という事は分かりますが。。。w英語で言われてもニュアンスが伝わらない点が問題になっているのでwこれが日本語の会話だと、どういう状況にあたるのか 例をあげてみますと・・・・・・例えば、会社で初めて重要な仕事を任された時、社員A『コレって スゲー プラチナ だよお~』社員B『w プレッシャー だろww ふフフwww』・・・その仕事が自分のせいで台無しになった時に・・・社員A「(落ち込みながら) コレって、自業地獄じゃね?」社員B「それはw自業自得 wブブっつ!!!wまあwフフフっつ・・・確かにw地獄だわなwふふハハハハハハハハハwww」社員A「ええw?何?wwwそうなのw?ふふハハハハハwww」・・・と、いう様な、テレビ朝日の浜田雅功司会の人気バラエティー番組『そんなコト考えた事なかったクイズ!トリニクって何の肉!?』での珍回答を連発する平成モンスター達の様にネタでは無く素で間違える愛すべき人物に対して突っ込むという感じの状況にあたります。只、実はそれが問題では無くて・・・wこの時のマイケルが、「この眼鏡フレームが「べっ甲」と呼ばれているのは小学生でも知っているぞ、しっかりしろっつ」という様な 目上的な口調で 階上の友人に指摘した事で階上の友人が軽く 傷付いた 事を、他の二人が反応して気まずくなった空気を作った所に、問題がある訳です。つまり、親友達3人にしてみれば、学があるとか無いとか、根性があるとか無いとか、金があるとか無いとか 関係なく心を許せる仲 として、これまでマイケルと付き合ってきたにも関わらず、それまでこの様な言い間違いをしても直前にウェズリー・スナイプスとバカ話をして花を咲かせた様に笑ってスルーしてきた様な事に対して今回に限ってマイケルは、戸惑いながらも突き放す様な態度を取り間違いを指摘して来た事に、異変を感じ取り改めてマイケルがスラム街を出て行って優秀校に通う様な生きる世界が違う人間になった事を実感したスラム街以外の世界を未だ知らない3人が、取り残された様な違和感を感じた事が空気を気まずくした理由と言えます。なぜマイケルが友人を傷つけてまで、高飛車な物言いをしたのか も地下鉄で先生と親友の数を競った事の 本当の理由 もこの後の唄の場面で 明らかとなります。そうしてウェズリー・スナイプスは「Foots, l think we better go for a walk, man.」(とっとと、出かけようぜ) と言って、マイケルを夜の街に連れ出します▲目次へ▲■5.杖を付いた男は何者?■次に、杖の男が出てくる場面ですが、まず、杖を付いた男は近づいてきた男にあるモノを売りますが有り体に言えばこれはいわゆる「ドラッグ」でしょう。只、よく見るとこの場所は裏通りでもなんでも無く、街頭のある通りに高級車が路上駐車していて、その間に人(運転手?刑事?) が立って4人を見ていて向こうにはクラブ(多分) の客が集まっている様な警察がパトカーで巡回してくる感じの、人が往来する路上の角なので、この様な周りから見られている様な場所で違法な「麻薬」の類を売るのは考えにくく又、この人物は 足が悪い事もあってワザと人目につく、族に襲われにくい場所で商売をやっている様な印象があるので恐らく若者達に流行りのタバコ感覚でハイになれる違法スレスレの「ハーブ」をクラブの客相手に売っている売人だと思われます。男は杖を付きながらマイケル達に近付いて「You looking for somebody?」(誰か探してるのか?)と言うと、腰にぶら下げた拳銃を見せるのですが拳銃を見せながらこのセリフが出てきたという事はこのセリフの意味は(襲う奴でも探しているのか? まさか俺か?) となりますので勿論マイケル達4人はこの男から「ハーブ」を買おうとしている訳では 無く、又、足が悪い事に対して哀れと思って見ている訳でも無い事は、状況を見れば分かります。加えてこの男の鼻をすする素振りは、ドラッグの中毒症状の体の弱った様でもあり片足を引きずりながら杖を付いて歩く様子は、健常者では無い様でもあり或いは、杖を付いてはいても 本当に足が悪いのか どうか不明で警察に目こぼしを受ける為か、障害者保証目当ての芝居の可能性もあり又この男は襲われたらひとたまりもない様な弱々しい人間なのかと言えば、鼻をすすった手に巻かれた包帯は、バンテージを巻いた元ボクサーの様でもあり加えて拳銃を所持している所から大の男が4人がかりで襲っても、勝ち目は無い様でもありつまりは、ウェズリース・ナイプス達はそんな事を考えながら銃を見ても見慣れているかの様な乾いた眼で得体のしれないこの男を、カモれるかどうか物色している所を描いた場面の様に思われます。結局4人はその場を離れて行くのですが男はいつもの事の様に気にも留めず次の客を待つというスラム街に日常茶飯事に起こる闇を感じる場面でした。▲目次へ▲■6.友人達に激昂するマイケルの真意■次に追い剥ぎを持ちかけるスナイプスにマイケルが激しく拒否をする場面ですが状況から言うと、先程のバイヤーを襲う算段をしている様なそんな印象があるのでマイケルは、相手は足は悪くても銃を持っているのに正気か? とスナイプスを止めている所の様な感じがあります。これはスラムの貧困層で昔からこうして生きて来た事を彷彿とさせる場面でいつかスラム街を出て夢を叶えたいと願ってきたマイケルの心を苛む過ちに満ちた過去の「闇」を感じさせる場面でありMV冒頭でカメラを睨むようにゆっくりと顔を上げるマイケルの怖い表情も、この様な黒歴史の過去に囚われている心の闇を描いたものではないかと思われます。従ってここでウェズリー・スナイプスがマイケルに帰省してきた初日にいきなり追い剥ぎを持ちかけたのは先程の眼鏡の件でも感じた 自分達との間に出来た「溝」に対してスラム街しか知らない、将来も知れないウェズリー・スナイプスがスラム街の外の世界を知り前途洋々なマイケルに嫉妬の様な対抗意識で実際に先程の男を狙っているのかどうかはともかくとして、銃を持つ様な危険な相手を狙うという命知らずの男気を見せたいのか又は、直様カモになりそうな人物を選択して短時間で追い剥ぎをするプロ的なスマートな行動を取る事で裏社会を賢く立ち回る狡猾さを見せようとしているのかマイケルに無いものを見せ付けようとしている様にも思われ加えて、今、追い剥ぎを持ちかけても仲間として一緒に行動するかどうかスラムを出て変わってしまったのかどうか マイケルを試しているという意味も含まれている言動の様な印象があります。この時マイケルは激昂して「You want to see who's bad?」(誰がバッドか見たいか?)と言いウェズリー・スナイプス達を連れ出します。マイケルがこうするのは、このままでは誰かが銃で撃たれたる危険性や思わぬ不測の事態で警察に捕まる可能性を考えて自分から話を持ちかける事でウェズリー・スナイプスを制止して最悪の事態を回避しようとした意図があった上の行動だったと思われます。ここでマイケルは地下鉄で先生と別れた後の時と同じ様に手袋を取りますがこれは、あの時決めた覚悟をここで見せなければというどんなに辛くてもウェズリー・スナイプス達に対して今ここで見せなければならない事があると決意した腹をくくった態度の現れと言えます。この後マイケルは地下鉄の構内で待ち伏せをして被害に遭う所だった人物を逃してウェズリー・スナイプス達と対峙しますここでウェズリー・スナイプスは、マイケルが仲間を捨てる気だと確信して「You ain't down with us no more. You ain't down. You ain't bad.」と、マイケルを罵ります。「ain't down」は(もうゴメンだ) という意味ですが意訳すると、「Down」は親指を下に下げる「サム・ダウン」行為を表しているので (もう仲間じゃねえ) という感じでしょうかこれに対してマイケルは、まるでこれまでの自分を罵る様にウェズリー・スナイプス達を「You ain't bad !!! You ain't nothing !!!」と罵倒します「nothing」は「何でも無い」「何者でも無い」という意味で「nothing」の前に付いている「ain't」は「are not」の短縮形ですがこれは先程と同じで 単に短縮 しているという訳ではなくて日本語の場合で言う「と言う風に言うよりも」を「っていうかあ~」「っつうかぁ~」と短縮する様な汚い若者言葉 に値しますので「You ain't bad !!! You ain't nothing !!! 」を 意訳すると「テメエはワルじゃねえっつ!!! クズだあっつ!!!」位の激しい罵倒だと分かります。ここで急に白黒画面からカラーに変わり唄とダンス・パートになります本作を監督したマーティン・スコセッシ監督はかつてライザ・ミネリ、ロバート・デ・ニーロ主演で(77)『ニューヨーク・ニューヨーク』というミュージカル映画を撮っており、ここからの 極めてミュージカル的な展開を演出するには前作のジョン・ランディス監督よりも適任と言えるのですが、これまで普通に芝居をしていた人物が急に唄って踊り出す事に違和感を感じる「ミュージカル嫌い」な方々にとってみれば「唄うんじゃないっつ!!!」と言いたくなる場面となりますWこれに付いては、2020年7月に亡くなられた俳優の三浦春馬氏が生前朝のラジオ番組の中でミュージカルで突然踊って唄い出す演出に付いて本場ブロードウェイで教わった事として「抑えきれない感情があるから、体が動いて、踊り出して歌い出す。 それを (物語と) うまく連結させること (が重要)」と語った事が実に腑に落ちたので、ミュージカルの必然性を説明する言葉としてはこれまでに無い程、非常に印象に残った言葉となりました。従ってこのパートの捉え方は白黒画面のパートがリアルな世界で、カラーになった所から イメージの世界となり、「お前はクズだっと!!!」と怒鳴った後、マイケルの中の何かが弾けて、「バッド」を称える象徴の様なダンサー達を従えてマイケルが真の姿を顕にして唄いながらアジテーションする、という、その様なパートを加えたミュージカルを新たな解釈で映像化した作品と捉える事が出来、芝居の途中で唐突に唄い出す従来のスタイルに対して拒否反応を示される方も受け入れやすい構成と言えますし又、リアルでは普通に立って怒鳴っていると捉えれば腑に落ちる事と思います。▲目次へ▲■7.ダンス場面で描かれた別れの真相■さて「バッド」の歌詞ですが、このダンスシーンの中でマイケルはウェズリー・スナイプス達に本当の男とは何かをほぼ罵倒する形で言い聞かせながらも、「俺とお前達とではもう住む世界が違う、これでサヨナラだ」という事を言いたいのでは無く、マイケルの自己体験として、・・・まあ、ダリルのですがwスラム街を出て無限の可能性が拡がる世界を見て「本物」を目指すという目標を持つ事が出来た事から今は分からなくても、道は違っても、どんな世界で生きようとも自分達の目標となる「本物」を目指せという 「本気」の気持ちを激昂する歌唱と激しいダンスで表現しその全てを仲間達にぶつけたそんな内容になっております。■その様な内容の歌詞と激しいダンスと激昂する唄で表現しようとする演出意図とは何か、と考えますとマイケルにとっては、3人は掛け替えのない大切な親友だから本物の「漢」となったマイケルを鋲付きベルトを身にまとった黒装束姿で具現化させて親友達3人の前でマイケルとの「人間」の差を、敢えて嫌という程見せつけて、「どんなにワルぶっても、今のお前たちは只のクズだ」と、心を砕きながらも ハッキリと分かる様に 伝えどんな事でも良いから「本物」を目指せと命がけで「説得」したマイケルの「本物の友情」の姿を描きたかった所にあったのではないかと思います。地下鉄での会話で 下車際に先生は「親友は4人」と言いましたがおそらく先生の親友達も スラムで徒党を組み盗みタカリをしていた人物達だったと思われ先生は 先程のマイケルがした様にそんな半端な生き方しかしていない親友達を本気で罵倒し「本物」になれと伝えた後、袂を分かち合った過去を話した様な印象があり今はそれぞれの道を歩み、おそらくもう会ってはいないのかもしれない ながらも自分の話を理解して、何かの「本物」を目指した彼らを、誇りを持って「親友は4人」と語ったのだと思います。恐らくマイケルは先生からそんな話を聞き、先生と同じ様に、親友達の為に説得をしようと決意して捨てるのは「過去」であって「友人」では無いという境地でウェズリー・スナイプス達に激昂しながら敢えて罵倒したのでしょう。ウェズリー・スナイプス達も そんなマイケルを理解して共に別々の人生を生きる道を選んだという親友達との辛い別れを通して大人へと成長する少年達の苦い青春を描いた物語が本MVで描かれた事だったと思われます。■マーチン・スコセッシ監督は人物の背景が分かる様な ディテイル を演出に施しその上で多くを描かない語り口で撮り上げる手法を好んで使う作家ですがその為なのか時折演出意図が観客に 曲解 して伝わる事が少なくない印象を受けます。恐らくスコセッシ監督が作品にその様な演出を施すのも人の行動とは、中身とは傍から見ているだけでは、外見だけでは 分からないものという自論を持ちそれが数々の名作を誕生させてきた創作意欲の 源泉 になっていたからなのかもしれません☆▲目次へ▲△▼ △▼ △▼Cyndi Lauper - Time After Time (1984)シンディー・ローパー - タイム・アフター・タイム (過ぎ去りし想い)収録アルバム『シーズ・ソー・アンユージュアル』Cyndi Lauper (画像参照: wikimedia)日本の守護天使■主に80年代に活躍したヒットメーカーで奇抜なファッションと物怖じしない人柄で時代の申し子となったシンディー・ローパーの全米1位を獲得した大ヒット曲でマイルス・デイビスやタック&パティの様なジャズ畑のアーティストの他、様々なジャンルのアーティストを魅了しカバー曲としても人気の高い80年代ポップスを代表するバラードの名曲です。「先を行く私」に対して「追い付けないあなた」という男女関係の中で何度も何度も追いつくまで待っている「私」がいつか追いつけなくなる「あなた」を待つ様に別れの予感を感じながら巡る想いを時計の針に重ねるという構成で独自のファッション・センスに奇抜な風貌通りのサウンドだったデビュー曲とは趣の異なったソウル・バラードのエッセンスでしとやかに歌い上げる正統派な楽曲でもあります。本作で恋人役を演じる人物は、シンディーの当時のマネージャーでMVの制作費を浮かせる事が目的の一つと思われますが他のMVでも身内を起用して 普段からスタッフを家族のように扱うシンディの温かい人柄が見て取れるものがあります。作られる楽曲にも聴いているだけで元気になる様な所があり2011年に発生した東日本大震災では、殆どの外人アーティストが福島第一原子力発電所事故での災害を案じて次々と来日をキャンセルしたり、日本から退避する中で予定通り公演を行い、更には日本の現状、窮状をCNNの番組を通して世界に訴え日本に対する支援や募金などの助力を求めるといった自主的に積極的な救済行動を取るなど強い信念を持つ明るい性格の持ち主である一方で感受性の強い 側面を持ちあの奇抜なファッションで本当の自分を隠しながらスターである事に悩むあまり孤独に苛まれ自分のパーティーでもホテルの自室に引きこもり出席しなかった事もあったという複雑な人物でもあった様です。▲目次へ▲△▼ △▼ △▼Mike + The Mechanics - Silent Running (1985)マイク&ザ・メカニクス - サイレント・ランニング収録アルバム『マイク&ザ・メカニックス』Mike Rutherford (画像参照: wikimedia)GNESISサウンドの要■GENESISのギタリスト マイク・ラザフォード 率いるプロジェクトマイク&ザ・メカニクス がリリースした 全米大ヒット曲で異星人である事を知らずに地球で育った少年の元に父親を名乗る人物が宇宙船で迎えに来るという内容で曲に意図的にセリフを被せるなど、架空の映画の主題歌というコンセプトで撮られたMVはまるでスピルバーグ監督のSF映画を観るような壮大な世界観を感じるエモーショナルな楽曲になっております。マイク・ラザフォードは元々はベーシストとしてGENESISサウンドの土台を支える人物だったのですがリーダーのピーター・ガブリエルとギタリストのスティーブ・ハケットの脱退後はギタリストとしてメロディーの要を担うGNESISサウンドを構築するには無くてはならない重要なポジションを占めマイクとキーボードのトニー・バンクスとのユニットにフィル・コリンズをフィーチャーした様相で後期GENESISでの世界的ブレイクに貢献しますGENESISではフィル・コリンズとトニー・バンクスの存在感に押されて影の存在の様に語られる所がありましたが、自身のバンド「マイク&ザ・メカニクス」での広大に拡がる様なウォームなサウンドに映画音楽の様なエモーショナルで壮大な音世界で作られた数々のヒット曲を生み出す手腕を見てみますとフィル・コリンズの持つ、ファンク、ソウルベースのポップサウンドにトニー・バンクスの持つ、重厚なクラシックサウンドとの水と油の様な取り合わせに対してそれらを包み込むようなマイク・ラザフォードのウォームなサウンドが二人の個性を繋ぐ役割を果たし、GENESISサウンドを成立させていた唯一無二な存在であった事が分かります。本曲でボーカルを取っているのはソロアーティストの ポール・キャラックでトニー・バンクス のソロでもボーカルを取っているGENESISゆかりの人物ですが声質がフィル・コリンズ似でもある事から本曲のGENESIS寄りの音世界にもマッチする人選だった様に思われます。▲目次へ▲△▼ △▼ △▼Mick Jagger - Just Another Night (1985)ミック・ジャガー - ジャスト・アナザー・ナイト収録アルバム『シーズ・ザ・ボス』Mick Jagger (画像参照: wikimedia)ロック界の寵児■ローリング・ストーンズのボーカルミック・ジャガーのMTV全盛期にリリースした事実上初ソロ・プロジェクトでジェフ・ベック、ナイル・ロジャースなど錚々たるメンバーが参加した話題作からの先行リリースされた大ヒット・シングル曲ですアルバムは全体的にストーンズを継承したサウンドになっていますが80年代ポップスを代表するヒットメーカー、ナイル・ロジャースが参加した曲は如実にナイル・ロジャースサウンドになっているなど旧来からのストーンズのファンとメインストリームのヒット曲リスナー双方を満足させる為の楽曲作りになっていながらもそれら全てを糾合する様なトータルな内容に聴こえるのは、大スターならではの圧倒的存在感を感じさせるものがあります。MVは先程の『サイレント・ランニング』の様に映画の一場面風に撮られたものの様に見えますが本作はプロモーション用として実際に長編映画作品として制作されたもので原題は『Running Out of Luck』という作品のラスト・シーンが (※記憶が確かならw) そのまま使われております。日本では80年代中期に 『ミック・ジャガーのおかしな逃避行』という邦題でTV放送された事がありますが知る限りではDVD化されていない幻の作品でもあります。内容はうろ覚えですがwMVを撮影に訪れたリオの街でカモられて身ぐるみを剥がされた末知らない場所に放り出されたミックがストーンズの事を誰も知らない様な人里離れた村から村を受難の旅をする中、ふとした事で知り合った女性が数々の幸運を呼ぶという物語でMVを撮影する監督役で デニス・ホッパー が出演していましたが内容は若干コメディータッチで良くある感じのB級作品でしたw▲目次へ▲△▼ △▼ △▼TOTO - Stranger In Town (1984)TOTO - ストレンジャー・イン・タウン収録アルバム『アイソレーション』Steve Lukather (画像参照: wikimedia)暗いTOTOと言われました■スター・ミュージシャン集団として鳴り物入りでデビューし80年代を代表するアーバンポップの旗手としても前作 (82)『TOTO IV〜聖なる剣〜』の大ヒットで世界的存在となったTOTOがボーカルの デビッド・キンボール ベースの デヴィッド・ハンゲイト の脱退というピンチを逆手に取りロック・スタイルのボーカリスト、ファーギー・フレデリクセンと今後パーソナル・メンバーとなるベースのマイク・ポーカロを迎えてそれまでのTOTOサウンドからハード・ロック・サウンドへと一新したアルバムから大ヒット・シングルとなった「ダーク」な色合いとアラン・パーソンズ・プロジェクト の様なエモーショナルな作風を持つ 異色作となっています。1961年の映画『汚れなき瞳』をモチーフにしたと言われるMVは『エクソシスト3』『エイリアン4』『ロード・オブ・ザ・リング』に出演した個性派俳優 ブラッド・ドゥーリフ 起用し何かの罪を犯して足を負傷して逃亡する男が郊外の民家の納屋に逃げ込み納屋で男を見付けてキリストが再来したと信じる子供達にかくまわれて渡された聖書を子供たちに読み聞かせながらやがて子供達と打ち解ける中で警官隊に囲まれ手を上げ連行される姿がキリストの様に映るというミステリアスな作品に仕上がっており社会不和と先の見えない世界情勢の中での80年代という不安な世相を反映させた得体の知れないものへの恐怖心から生まれる偏見と差別を描いた内容の楽曲となっております。■アルバム全体は、先程も話したメロディアスでポップなハードロックサウンドで占められていますが通常、バンドが危機的状況に陥った時はそれを達観するかの緊張感あふれる内容になる所をむしろ、ウェットでプログレ的なこれまでの複雑で内省的なサウンドを廃してストレートなサウンドに変化する所など、水を得た魚の様に、ギターテクニックを見せつけるギター・ボーカルのスティーブ・ルカサーにバンドのイニシアチブが移ったかの様な激しいサウンドが印象的なアルバムを占める中、ウェットなサウンドの要で陰りを帯びたボーカルで本曲を唄っているキーボード・ボーカルの デヴィッド・ペイチの追い込まれたような様相から見えてくるこれまでのウェットでプログレな80年代のメインストリームにそぐわないストーレートさに欠けるこれまでのTOTOサウンドをこの機会を利用して捨て去るというある種の「断捨離」に対して、嬉々とする者と、憂鬱になるものとで二分したこれまでのTOTOサウンドを捨てきれないデヴィッド・ペイチの執念がサウンド化したかの所に、本曲がアルバム中 唯一、ダークなサウンドになった理由があったのかもしれません。▲目次へ▲△▼ △▼ △▼Madonna - Papa Don't Preach (1986)マドンナ - パパ・ドント・プリーチ収録アルバム『トゥルー・ブルー』Madonna (画像参照: wikimedia)昔から爪を隠すのが上手い方でした■前作84年の『ライク・ア・ヴァージン』での80年代の女性ファッション・リーダーとしてのアーティスト・イメージをガラリと変え「未成年の出産」という現実的な社会問題を一般的な父子家庭を舞台にして等身大の女性の視点で愛と苦悩を描いたマドンナの全米1位の大ヒット曲です。ファッション・リーダーとして全米女性の憧れの的であったマドンナが社会情勢を視野に入れてメッセージ性の強い楽曲制作を行い世界的な展開を目指すアーティストへと成長して行く中で女性の代表として社会問題に切り込んだ作品で男女関係と親子の絆という、普遍的なテーマを根底に置いたヤングのスターから大人のアーティストへと成長する途上のマドンナ自身を投影させた 非常に心情深い名曲に仕上がっています。「ライク・ア・ヴァージン」時代のマドンナは今どきの我がままな、気まぐれ女子の代表格の様な若さをさらけ出した様な、若干「擦れた」イメージでデビューし全米の若者の支持を得ましたが、「ライク・ア・ヴァージン」での、喉を絞った様な女子声とは打って変わった様なライブでは腹から発声する太い声で、忠実にダンスをこなしながら唄って踊るという、正統派な面が見え隠れする所から本来持った強力な歌唱力を封じて、女優としても成功した素質が加わり唄のイメージ通りの「我がままボイス」で変換させたある種『マドンナ』という「ブランド」を忠実に演じた所に企画力ありきの一発屋で終わった、80年代当時デビューしたその他のアーティスト達と一線を画した理由があった様に思われます。▲目次へ▲△▼ △▼ △▼Billy Joel - Allentown (1982)ビリー・ジョエル - アレンタウン収録アルバム『ナイロン・カーテン』Billy Joel (画像参照: wikimedia)悩めるピアノマン■70年代から80年代後期にかけて数多くのヒット曲を出しその後はライブ活動を中心とした息の長い活動を続けるアーティストビリー・ジョエルのこれまではアーバンポップの旗手として、等身大で生きる人の姿を通した自国愛を語るスタイルから一転してストレスに晒される現代人の心象問題から社会問題、更には戦争批判まで取り上げる問題作的アルバムからアメリカ独立戦争では自由の鐘を死守した地として知られ米国産業革命発祥の地としても米国史上重要な地として繁栄していたペンシルバニア州の工業地帯アレンタウンの衰退と貧困問題を描きトレードマークのピアノでは無くギターを手に歌う姿が話題となったヒットシングル曲です。本アルバムは、社会問題から戦争批判に及ぶメッセージ性の高い社会派に分類される作品で演奏は50年代オールディーズサウンドからダンサブルなシンセサウンドまで多義に渡っており、ビリー本人も『私にとってのサージェント・ペパーズだ』と語る程これまでのビリー・ジョエルの音楽性を一新する様な非常にバラエティーに飛んだ会心のアルバムとなっておりますが本曲での、古き良きアメリカを思い起こすオールディーズサウンドをバックに大きな社会の波の中に揉まれながらも慎ましくも生きる人々の等身大の姿を通して描く語り口は米国愛をポリシーとするビリー・ジョエルの音楽そのものでありある種到達したビリーの音楽を聴くことが出来る重要な作品といえるものがあります。本アルバム制作時はビリー不運の年と呼ばれバイクの事故で左手首に重症を負いレコーディングが中断しその間「ピアノ・マンはピアノが弾けなくなるかも」というニュースが世界中を駆け巡りファンに衝撃を与えたり公私共に支えられて来た夫人との離婚騒動など様々なトラブルに見舞われる中で制作されたからなのか『ナイロン・カーテン』は本曲を含み今までに無い社会的問題を扱った異色作となったと言われています。マドンナがスターダムに上ると共に作品が自然と社会性を帯びて世界的な支持がヒットに繋がり今日に到るケースとは違いジャクソン・ブラウンの様に個人的な不運が影響して作品が社会性を帯びるケースは多々ありますがかつて、デビュー作が勝手な意向で不本意な内容に仕上げられコロンビアに移って再デビューした経緯があるビリーは人間不信から鬱病を患い、それが少なからず作品に影を落としてきた所があり今回のコンセプトの激変は、トラブルに見舞われた精神的不安定の現れと言うよりは元々の人間不信が大きく顔を出してトラブルに見舞われる前の、平和な頃を思い起こす過去の楽曲とは全く違うタイプの楽曲を作らざるにはいられなかった様な精神状態だったという印象があり93年の『リヴァーオブドリーム』発表以後40代半ばのアーティストとして最も脂が乗った時期に引退を表明し新作リリースを辞めてしまったのも度重なる人間不信により、音楽を作る事が出来無くなってしまった事が理由だったのかもしれません▲目次へ▲△▼ △▼ △▼Prince - Purple Rain (1984)プリンス - パープル・レイン収録アルバム『パープル・レイン』Prince (画像参照: wikimedia)元プリンスだった事がある■2016年に惜しくもこの世を去った孤高のアーティスト、プリンスの黒人ミュージシャンとしてはミュージックビデオ専門チャンネル「MTV」でマイケル・ジャクソンと並んで 初めてMVが放送された事で日本でも存在が知られる様になった80年代の絶頂期に制作された作品で自伝的物語を映像作品として映画公開しオリジナルアルバムがそのまま映画のサウンドトラックとしてリリースしMTV全盛期が後押しして 映画、アルバム 双方の大ヒットに繋げた作品の表題作となったバラード曲です。中性的なビジュアルとミネアポリス・サウンドベースのファンク・ミュージックの旗手というイメージが強く80年代メインストリームの中心的存在のスタイリッシュなアーティストとして日本でも良く知られていますがステージはブラック・ミュージックのアーティストらしいエンタテイメントに徹した骨太な演奏を聴かせる正統派という側面を持ったアーティストでもありました。本曲も正統派ソウル・バラードの強力曲で音楽的センスの幅広さと共にドラマティックに畳み掛ける力技も持ち合わせたプリンスの音楽性の高さが伺えるナンバーになっています。本作のMVも先程のミック・ジャガーと同様 映画のラスト・シーンをそのままMVに流用したものになっており本曲は アカデミー主題歌賞 を受賞した名曲ですが途中、女性ギタリストが感極まっていたり中年の男がステージを凝視していたりと映画未見だと事情が分からない場面がありますそれで肝心の映画の内容は と言いますと・・・ 自伝的作品 と謳ってはいますが、父親と反りが合わないという点以外は関係ない内容の様で、脚本がダメなのか演出がダメなのか・・・ダメ映画と言ってしまいますがW家庭に問題があり、大人を信用できなかったプリンスは早くから自立心を芽生えさせ成人してからは人に任せず何でも自分で決めてしまう様なバンドメンバーが音楽の提案をしても無下に却下する独善的な人物となりやがてバンドメンバーとも、恋人とも仲違いした そんな折、自殺未遂をした不仲な父親の部屋の戸棚からかつて音楽家を目指した時の古い譜面が見つかり知られざる若き父親の夢と挫折を知った時、自分の中の何かと重なりそれを期に人との絆の大切さを理解して不仲となった仲間とも和解しステージに立つと自分から離れて行った友人、父親、恋人の姿があった・・・と言った洋画ファンの眼鏡にはとてもかなわないベタ過ぎる内容でw完全にプリンスのステージがメインのプロモーション映像というお話は添え物 という感じの映画ですがどうもプリンスのファンもストーリーは二の次で観ていた様でプリンスのファンにとっても言わずもがなの 事の様でしたw▲目次へ▲△▼ △▼ △▼Phil Collins - I Wish It Would Rain Down (1990)フィル・コリンズ - 雨にお願い収録アルバム『バット・シリアスリー』Phil Collins (画像参照: wikimedia)GENESIS加入時はいつピーター・ガブリエルから首を言い渡されるかビクビクしていたそうです。■MTV全盛期にヒット曲を連発し、プロデューサーとしても様々なアーティストのアルバムを手掛けたヒットメーカーで引退を表明した後再び第一線に復帰し近年、ジェネシス復活の機運が高まり、再び注目を浴びる個性派アーティスト、フィル・コリンズの全世界でアルバムセールス1位を記録し前作のエンタテイメントに徹したポップアルバムから一転して貧困問題から戦争批判に至る、社会問題に言及したシビアな内容のメッセージ性の強い楽曲で占められた問題作的アルバムからギタリストで大スターのエリック・クラプトンの起用で話題となった大ヒットバラードナンバーです。初っ端からクラプトンのギターがむせび泣く、ゴスペル風に畳み掛けるような壮大な演奏へと発展して行く王道のロッカ・バラードながらも随所にフィル・コリンズらしいポップな味付けが光る極上のバラード曲に仕上がっております。MVは、エリック・クラプトン をゲストに50年代ハリウッド・ムービー風演出で見る見るスターダムにのし上がるゴールドラッシュを思わせる破竹の勢いと夢から醒めた様に大恐慌時代の不況の現実が叩きつけられる米国の繁栄と衰退を短時間で体感する様なマルタの鷹やマリリン・モンローなどの名作映画のパロディが洋画ファンをニヤリとさせる一夜の夜の夢を思わせるドラマティックな仕上がりになっていますが、80年代当時、出す曲全てがヒットし本作アルバムの収録曲『アナザー・デイ・パラダイス』がグラミー賞にも輝いたヒットメーカーだったフィル・コリンズがこのアルバム以降、ブラーやオアシスなどのオルタナティブミュージックの登場で、時代が80年代ポップスへの求心力が薄れるに連れてアルバムセールスが急激に下降し特に米国での売上が落ち込む所など、その後の自身の低迷を予見した様な内容になっている点が興味深い所でもあります。▲目次へ▲△▼ △▼ △▼Kate Bush - Cloudbusting (1985)ケイト・ブッシュ - クラウドバスティング収録アルバム『愛のかたち』Kate Bush (画像参照: wikimedia)孤高の歌姫■かつて無いダークファンタジーの世界観を持ったデビューアルバムで彗星の様に登場し70年代当時はまだ、ダンスパフォーマンスが一般的では無かった時代にバレエダンスや演劇風のパフォーマンスをライブに導入し唯一無二の音楽制作を続ける天才アーティスト、ケイト・ブッシュのMTV全盛期にリリースされ、自身のキャリアの集大成的作品となったアルバムから精神学者ピーター・ライヒが実父でオーストリアの物理学者ヴルヘイルム・ライヒとの思い出を子供の視線で描いた1973年の書籍『A Book of Dreams』からインスパイアされたエモーショナルな楽曲です。本作は、早すぎた研究故に迫害を受けてきた精神学者 ヴルヘイルム・ライヒ の自然界に充満する生命エネルギーを集める研究に出てくるオルゴン放射器「クラウドバスター」をモチーフにし父と子の絆を描いた感動的な作品に仕上がっておりケイトはこの役の為に長い髪を短く切り 父親の研究を手伝う健気な息子役を好演していますこのMVは当時発表された 他のどのMVとも違い映像が台詞無しで進行する完全なドラマになっており実話ではオルゴンによってラジウムの放射能中和を試みる過程で研究所上空に集積された負のオルゴンによる黒雲(死のオルゴン)を除去する為開発した「クラウドバスター」というマシンを本MVでは雨を降らせるマシンとして親子で山に運び実験する様子が描かれるファンタジー作品になっています。MVの中でケイト・ブッシュ演じる息子ピーターが父親の研究の副産物なのか、予知能力で父親が連行される所が見えて後ずさり父親に抱きついた時父親のポケットから ピータ・ライヒ著『A Book of Dreams』を見付けてピーターにあたる息子が「あ!w僕が読んだ本 読んでるぅ~w」という顔をするのでこの作品がヴルヘイルム・ライヒの物語を元にしたお話で厳密にはライヒ親子では無いのですが実話ではライヒは、この研究をがん治療に活かそうと「オルゴン・ボックス」と呼ばれる装置を開発して販売した所、食料品や医薬品、化粧品や医療機器などの他、電磁波を放出するような製品の許可や違反品の取締りなどを行う機関FDA (アメリカ食品医薬品局) に訴えられた裁判で有罪判決を受け「オルゴン・ボックス」販売禁止と全著作の出版の差し止めを命じられそれに対してライヒはオレゴンボックスとは関係ない著作の差し止めまで行うのは不当行為に当たると訴えて指示に従わなかったため強制連行され収監されたコネチカット刑務所で1957年11月3日に心臓発作で死亡しています。本MVは 父の意思を継いだ息子が、改良されたマシンを操り雨を降らせる事に成功し当局に連れ去られる車内の父と 山頂でマシンを操る息子が離れた場所で同じ成功を噛み締める 強い絆が描かれた秀逸なラストが印象的な作品ですが本作のこのラストシーンは、裁判所命令の執行の為にやって来た当局によって刑務所へ連行される場面 という事になりその後ライヒは獄中死する事からあのラストの親子の魂のやり取りは、同時に永遠の別れを意味する悲しいラストでもあった訳です。ライヒを演じるのはオスカー俳優の ドナルド・サザーランド で『24』ジャック・バウアー役 キーファー・サザーランド の実の父親として知られる人物で本MVのライヒ役は非常にはまり役となりましたがオスカーを受賞した『M★A★S★H』で演じた型破りな軍医役のイメージが強い個性派俳優なので性的抑圧からの解放を目指す極端な思想を持ったライヒを演じるのは正に適役でサザーランドにしか演じられない型破りな学者と同じく型にはまらない自由な表現でアーティスト活動を続ける天才アーティストケイト・ブッシュ演じる純真な息子との親子愛を演じた本MVは共に非常に貴重で忘れられない共演となったのかもしれません▲目次へ▲△▼ △▼ △▼Paul McCartney - Pipes Of Peace (1983)ポール・マッカートニー - パイプス・オブ・ピース収録アルバム『パイプス・オブ・ピース』Paul McCartney (画像参照: wikimedia)地球的大きさの自然体■元ビートルズにして音楽界のレジェンド ポール・マッカートニーの『スリラー』で世界的な存在となった直後のマイケル・ジャクソンとの共演作が全米1位となった話題のアルバムから1914年第一次世界大戦中のイギリス・ドイツ間のクリスマス休暇を題材にしたポールらしいハートフルな作品です。本作は音楽ファンの間で反戦歌として通っている楽曲で大戦末期の1918年にはヨーロッパへ渡るアメリカ外征軍の大規模訓練場で流行したと言われ駐屯地に設けられた豚小屋や、弾除けに掘る塹壕での不衛生さなどが温床となり当時の地球の人口の4割が感染し全人口の1割が死亡したと言われる「スペイン風邪」が猛威を極める中で多くの兵士が感染する悲惨な戦闘を強いられる事となる大戦中の欧州が舞台の楽曲ですがそんな現状とは対象的に、実に平和で呑気な戦争の風景がスケッチされており暖かい気持ちに癒されるようなMVに仕上がっています前作1982年リリースの『タッグ・オブ・ウォー』はスティービーワンダーの共演など豪華アーティスト、ミュージシャンの参加が話題となった豪華作でしたが1981年12月に凶弾に倒れた元ビートルズのジョン・レノンの死が影を落とし制作は難航したと言われており80年代のデジタル化の波が音楽界にも押し寄せてこれまでのやり方が通用しなくなった先の見えない世相の時代背景もあってアルバムはメッセージ性の強い楽曲で占められその一年後リリースされた続編的存在アルバムとなった本作の表題作となった本曲もラストで居眠りを始めるポールの姿からは戦争に参加しない選択肢の示唆を感じるなど前作同様にメッセージ性の高い楽曲の反戦曲ではあるのですがリベラルな立場を取るオピニオンリーダーとしての発言では無くあくまで、1市民の等身大な発想で悲惨な戦争の中でも癒やしを求める兵士達の心情と敵同士別れて、銃を置きサッカーボールを手に取り停戦のひと時を愉しむ 両陣営の兵士たちの姿から感じる一体誰の為の戦いなのかに疑問を寄せながら温かい視線で描いているというスピルバーグのオスカー受賞作『シンドラーのリスト』にも通じる戦時中最も勇気ある行為とは「普通の人の感覚」を持ち続ける事だと至極当たり前なメッセージを唄ったものであり常に一般人の感覚で等身大の視点で曲作りをしてきたこれまで通りのヒューマニズムに溢れたポールらしい楽曲でもあるとも思うのでした☆▲目次へ▲■OUTRO/後枠■時流と共に変化するMVの役割MTV logo 2010(画像参照: wikimedia)元々MVはプロモーション用としてTV出演やライブでの映像を併用したり、港辺りを撮影ロケ地にして、アーティストに当て振りをさせたり、スタジオでダンサー達をバックに口パクをする程度の急遽仕立て上げた、添え物の様な存在に過ぎませんでした。それが80年代に入り、マイケル・ジャクソンやプリンスの様な月並みな演出で当て振りさせる様な存在では無いエモーショナルな圧倒的パフォーマーが出現した事や24時間MVを放送する音楽専門チャンネル「MTV」の開局が後押ししてプロモーション用の添え物だった「MV」が映像と一体となった「作品」として注目を浴びるようになります。日本では 82年に『PEARL PIERCE』をリリースした頃の松任谷由実が(※多分w)いち早く時流に乗って本格的なMV制作に着手しました。それ以降様々なミュージシャン達が本格的なMV制作に乗り出しCDリリース時はMV制作が当然という、欧米同様の音楽界的土台が日本にも形成されて行きます。■90年代に入りますと、内需拡大路線の風潮が音楽界にも押し寄せそれを受けた形として洋楽を意識した日本語によるポップス「J-POP」が登場し同時に、桑田佳祐、小田和正の様なベテランミュージシャンがMVの脚本を自ら描き、自ら演出する「ミュージシャン」によるMV制作が活発化しその延長線として映画製作に乗り出すミュージシャンが出現するなど「ミュージシャン」達の活動が多様性を帯びてきた事からこの様なミュージシャンやバンドメンバーを「アーティスト」と呼称する様になります。それにより、これまで「裏方」として音楽制作を支え数々の名曲の輩出に、陰ながら大きく貢献してきた音楽プロデューサーの存在にスポットが当てられアーティストとプロデューサーの良し悪しで作品の内容が大きく変わる事が一般リスナーにも認識される様になるとこれまで高級機器で音楽を鑑賞してきたオーディオマニアだけでなく、一般リスナーも「良い音」を求める様になり「サウンド」に対する認識が大きく変わって行きます。折しも、バブル経済の最高潮の時期でもあった事からお金を掛けてでも最高の音質で最高の音楽を愉しむ機運が更に高まり「ほこり」によるノイズが天敵だった「アナログレコード」はノイズレスの「デジタルCD」に取って代わり安価なCD再生機器の登場によって爆発的な普及となりそれによって音楽市場が一気に拡大し加えて、当時最高質の音質を誇る「メタルテープ」を再生可能な携帯カセットテーププレイヤー「WALKMAN」の普及により最高の音楽を最高の音質で音楽をどんな場所でも、どんな時でも自由に、自分の好きな様に愉しめるという一般のユーザーの中でも音楽に求める多様性が大きく拡がって行き日本の音楽界に於ける「バブル時代」の到来となります。しかし、91年以降のバブル経済の崩壊によりバブル時期にはどんな企画もCD化すればヒットし、「企画モノ」を数多くCD化し玉石混交のリリースをしてきた音楽界はバブルで浮かれていた一般ユーザーの眼が現実志向へと変化した影響から、またたく間に求心力を失い、CDの売上は激減し音楽業界は大きなダメージを受ける事になります。一方で、MVの需要は以前にも増して高まりCDリリースと共にMV制作が必須になるなど虚構に満ちたバブル経済を経験した一般ユーザーが音楽に求めるものが本物を求める方向へと変化しこれまで日本の音楽の弱点だった「英語」に与しない日本の歌手がなし得なかった欧米のR&B言語で作品作りをする宇多田ヒカルの登場で、日本の音楽界の全てが変化し本格派アーティストの時代へと突入して行きます。それに伴い、膨大な予算を掛けて行われる海外ロケならではの、目を奪われる様な大自然を背景としたスペクタクルな映像による巨大なスケールを感じるMVが、次々と制作されて行きます。そうした潮流とは別に、60年代ポップスから派生したレイドバックしたサウンドでリバイバル志向のスタイリッシュな都市型ミュージックとして「渋谷系」と呼ばれるポップカルチャーが若者の間で急速に支持される様になるなど主にポップス第1世代となる、70年代に若者だった世代が子を持つ親となりやがて第2世代となる90年代に成人した子供達が親が聴いていた音楽を継承する形で過去のポップスに影響を受けて、様々な形で取り入られたものが「渋谷系」ミュージックとして様々なアーティストによる楽曲がリリースされ若者たちの間で絶大な人気を博す事になります。▲目次へ▲■2.個人で世界展開を可能にしたYoutubeの登場2000年に入りますと、ストーリー性のある、ドラマチックなMVが登場しMr.Children「くるみ」や 桑田佳祐「東京」などのストーリー性のある、ドラマチックなMVが数多く作られる様になりその中には楽曲の尺を大きく超える様な長さが10分以上もある「ショートムービー」も制作されCDの特典映像としてリリースされるなど「楽曲」の添え物では無い「映像作品」として一般に浸透して行きます。この様なムーブメントが一般化した背景にあるのは「モノ作り」を美徳とし「ソフト」や「サービス」と言った「眼に見えないもの」に対して「価値」を見いだせない「物質」に拘る日本人の国民性が関係していると思われ眼に見えない「音」を収録した「レコード」「CD」が「楽曲」を「物質」として価値を見出す「試金石」となった様に「映像サービス」を具現化した「映像作品」に一定の価値を見出した所に、「映像作品」が一般的に浸透していった様に思われます。■そうした中、2005年に世界最大のオンライン動画共有サイト「YouTube」の登場で、これまでMVはTVで、音楽はCDで視聴してきた状況から2000年以降世界最大級の地球的インフラ「インターネット」の一般層への普及により音楽もMVも「ネット」で鑑賞する時代へと変化して行きます。それによって音楽環境も、CDで視聴する事からネットで音楽ファイルを購入しダウンロードしたり月額で定期視聴できる「サブスクリプション」サービス配信サイトを利用したりする事でこれまで「カセットテープ」「CDディスク」と「再生プレーヤー」という物質的にかさばる「ソフト」と「ハード」が必要だった音楽鑑賞も「データ」となった音楽「データ」と再生する「ソフト」とそれを再生するMP3プレイヤー「ipod」などの小型軽量の「ハード」の普及によってどの場所でも、好きな時に、好きなことをしながら音楽を自由に鑑賞することが可能となりました。▲目次へ▲■3.ダウンロード規制の読み違いとCDの終焉Youtubeの登場は、これまでMVを公開する場がTV放送か、スカパーの音楽専門チャンネルか、CDの特典映像か、CDショップでのプロモーションか、音楽業界が展開した「販促」の範囲内での鑑賞という視聴する方法も、時間も、場所も放送を発信する側の都合で左右される一方向の公開しか方法が無かった所を、Youtubeに上がったMVは誰でも、どの様にも、いつでも、どこでも、鑑賞できるネット環境を提供出来る様になりました。それにより、Perfume、きゃりーぱみゅぱみゅ、の様なアーティストも表現の場をTVメディアからYoutubeに移行し鑑賞する層を国内から国外へと拡げた事で世界的なヒットへ繋げるというこれまで音楽業界が全国に展開する「販促」の力を使うしか音楽を売り出す方法が無かった所をほぼ「無料」で、世界展開が可能となり様々なアーティストがブレイクして行く中で、音楽業界がこれまで蓄積してきた音楽的な土壌や、CDパッケージ販売市場などの全ての状況が、変化を余儀なきされる事になります。その一方で、Youtubeの様な動画共有サイトは時代が要求した画期的なサービスではあっても、この共有サービスを「無料」と捉えたユーザー達による著作権法に抵触し違法にアップロードされたCD音源の数々をダウンロードする行為が多発し社会問題にまで発展する騒動が起こります。これを受けて音楽業界はCDパッケージ販売の弊害となるとしてダウンロード行為を規制する著作権法の改正を政府に要求し2012年10月1日に施行します。これは、CDパッケージ販売の売上の減少をYoutubeへの音楽違法アップロードによるものと限定した音楽業界が「著作権保護」を目的とする防衛処置によるもので昭和の時代から脈々と受け継がれてきた「権利」に固執する日本の音楽業界らしい取り組みと言えますが、しかしながら、実情は全く違ってました。Youtubeを利用するユーザー側にしてみれば、これら違法とされるアップロードされた音楽ファイルをCD購入する前に「無料」の試聴として利用してきたという見解があり、「違法」ではありましたが、、この様なYoutubeの「無料」のプロモーションによってむしろCDの売上は上がっており2012年の改正法案によって、CDの売上激減を止めるどころかむしろCDの売上はより下がって行ったという逆効果となった実情があります。そこから見えるのは、もはやCDパッケージ販売は、音楽ファイルダウンロード販売や音楽配信サービスに取って代わり業界は発足当時「違法」というだけで何の罰則を設けなかった様な間の抜けた改正法案を通すというデビュー間もない「X-Japan」のYOSHIKI達の様な権利関係に疎い新人アーティストから騙すようにハンコを押させて奪った様な「著作権」を守るというS○NYの様な大会社は「権利」に執着する事に躍起になるばかりでその様な問題多き旧体制体質だったSO○Yを含めた音楽界にはCDパッケージ販売が時代遅れの産物になっていた事がまるで見えていなかった事が分かります。それに対してYoutubeの性質を当初から見極めていた欧米では、音楽ユーザーはCDで音楽を聴く事よりも本物のアーティストが眼の前で演奏する「ライブ」へと音楽的関心が変化しているという世界的な時流を見据えて逆に楽曲やライブ映像のアップロード行為を許容しYoutubeユーザーが 音楽を「アップロード」する行為を音楽ユーザーが 音楽の「ライブ」へと足を運ばせる為に「無料」の「プロモーション」として利用する現実的視点で行動する一方で「データファイル」や「ソフト」や「サービス」などの眼に見えないモノの価値が分からないままの 日本の音楽業界は「著作権」として「楽曲」の利用を具現化した「権利」に固執して世界の時流に乗り切れなかったという21世紀を何年も過ぎた後次々と「旧体質」が浮き彫りとなった様々な法人が陥ってきた「不祥事」の様に遂に「メス」が入った出来事となったと捉えるべき事なのかもしれません。▲目次へ▲■4.ネット社会の到来と多様性が求められるMV2010年以降はガラケー携帯に代わり、爆発的に普及したスマートホンで、一般の人々が本格的にネットを使用し「情報」収集ツールとして日常的に利用される様になるとYoutubeの存在も法に抵触する様な動画がアップロードされるグレーなサイトというイメージから世界配信される新たな インフラ へと、認識も変わりネットに於ける「性質」を見極めた音楽界が次々にYoutubeに参入して公式チャンネルを開設してMVを公開する様になりそれに伴い、一般が参入できる新たな表現の場として一般の間でも、急速に浸透して行きます。やがて、Youtubeで動画配信するユーザーの事をYouTuber(ユーチューバー)と呼ぶ様になりYoutubeは一般人が日常的に観覧するメジャーな動画サイトとして普及し、多くの一般YouTuberが参入し連日の様に動画をアップし人気YouTuberはアクセスの広告収入で荒稼ぎする、ネットバブル状態となりますがその後、多くの芸能人がYoutubeに参入した事で一般Youtuberのアクセスはダウンしそれによってネット社会に於ける一般ブロガー、一般Youtuberへのある種の「淘汰」が拡く進んで行く様になり一般ネットユーザーの表現先は、LINE TwitterなどのSNSへと流れて行く一方で「音楽、動画はネットで鑑賞」するという、新たなライフスタイルを持つ時代の幕開けを迎えます。■2014年になると、音楽を演る一般人、セミプロ、プロ、関係なく音楽界大手の資本に頼らず「インディーズ」とは異なる理念で個人のレーベールを立ち上げて自主制作でMVを発信する受け口として様々なアーティストがYoutubeを利用する様になりますそれまではライブ演奏を主体とした映像作品としてアーティストの顔を広く浸透させる目的で制作してきたMVはYoutube登場以降アーティストが全く顔を出さない、どこの誰かも分からないあくまでアーティスト本人の姿を露出しない「謎の人」となったりアーティストが唄わず、代わりに音声合成ソフトの人工歌唱によるVOCALOID 「初音ミク」を利用した 歌唱作品やその音楽に個性的なアニメーション付けるユーザーの出現で、Youtubeを介した 自然発生的コラボが活発化しその様に作られたYoutubeでのMV配信が話題となり観覧者数 百万アクセスレベルの大ヒットを飛ばすなどのこれ迄になかった形の音楽のブレイクが、社会現象化して行きます。そうして近年は、瑛人、YOASOBIなどのある種の「閉鎖感」を感じる次世代の作風が話題となる一方でアーティストの歌唱力をアピールする様な、音楽ありきのMVは、姿を消して行きました。■かつて、ボブ・ディランやビートルズが活躍した60年代、音楽には人を魅了し、思想すら見出す「力」がありました30年後の90年代には、音楽を輩出するミュージシャンが「アーティスト」と呼ばれる様になり音楽をどう演出して表現するかという「表現者」としての価値が問われ「映画、ドラマ」や「バライティー」で人気を博す他、「画家」や「小説家」「映画監督」として才能を発揮するなど「音楽」以外の「要素」が問われ、アーティストがどれだけ「多才」で「多様性」があるのかが重要視される時代となって行きます21世紀に入り、Youtube登場以降の現在では責任ある社会人としての規範よりもまずは自分達の生活を重んじる、今どきの現実的な若者達に刺さる様な「音楽」の多様性を廃して「音楽」と音楽を具現化した「映像」が一体となったMVが人気を博すようになりますがこれは、その様なMV作品が主流になったと言うよりも、音楽単体では無い「音楽表現」の方に今どきの若者の興味が移った様な印象があります。この様な傾向は近年、山下達郎の様な 大物ミュージシャンに「音楽が持つ力が無くなってきた」と言わしめる、「音楽」単体としての存立が危ぶまれる危機的状況だと言えるものがありますがこれは「音楽に力が無くなってきた」と額面通りに受け取るよりは合理的志向が過ぎて、文脈を分析して想像力を働かせる力の欠如が著しい、今どきの若者達のリスナーの方に「想像を働かせながら 音楽を 聴く力が無くなってきた」と受け取る方が正しい様な印象があります。▲目次へ▲■5.「多様性」を廃した「音楽」単体へ回帰する予期思うに、音楽に「力」があると言わしめたのはたとえそれが「戦争景気」がもたらしたものであったとしてもビートルズ、ボブ・ディランに魅了された、戦後発展途上にあった日本に於いて又は、たとえそれが「虚像」であったとしてもバブル景気に歓喜する「自信」を背景とした「活気」ある90年代の社会に於いて様々な形で充実した「時代」に生きる、明るい「未来」を予見する「希望」の中に、聴くべき魅力を感じる音楽が生み出され、それを正当に評価できる耳が育つ「土壌」があった故の事だという印象があります。つまり現在、音楽の力が無い、音楽を聴く力が無い と言わしめる現状があるとするなら、いくら働いても報われない、経営者の搾取によって薄給を強いられ、結果、「薄利多売」が要求される「デフレ社会」に於いての「希望」が見えない悲観的状況に聴くべき「魅力」にリアルなモノを感じられない、称えるべき「正統派」に耳を貸せない今どきの「感性」が生じた所に問題があると言えます。その一方で、映像で音楽を聴く時代ならではの「ライブ感」を感じる一発撮りMVを発信するサイトが、90年代に起きた「オルタナティブ」ムーブメントの様に静かな人気を博しており、2000年以降の音楽の傾向と言える、「多様性」を帯びた今どきの音楽を廃して、正当に「音楽」のみを評価するその様な正統派な音楽が再び注目を浴びる様な「原点回帰」の機運へと繋がる事ができれば、今は「静かな人気」がやがて音楽が持つ力の「復活」に繋がる巨大な潮流となり得る希望に満ちた「未来」が待つ大きな「力の源」となるのかもしれません☆というわけで今回はここまでです。それでは良い1日を☆【ブログ更新】洋楽特集SP 第5回 ver.2.0 - ご覧ください『MVが映画の様な音楽』をどうぞ・・・ - 楽天ブログ(Blog)https://t.co/oSISTbJ71f #r_blog— Voyager6434 (@voyager6434) June 21, 2021■■■■■■■■■■■■■楽天市場■■■■■■■■■■■■■■■【CD】BAD [ マイケル・ジャクソン ]価格:2420円(税込、送料無料) 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