アニメ映画レビュー『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』現代社会に切り込む真の『シン意』 とは・・・
- アニメ映画レビュー -旧シリーズでは不可能だった現代社会に切り込む真の 『シン意』 とは・・・ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q前作『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破』より、実に3年ぶりの新作登場です今回は 緊急レポートとしまして、私が鑑賞した所論を述べる急遽更新となりますヱヴァンゲリヲン新劇場版:QEVANGELION:3.33 YOU CAN (NOT) REDO.【Blu-ray】価格:4,622円(税込、送料込)△▼△▼△さて、劇場には若者に混じって 初老の方々の姿もチラホラ確認出来改めてファン層の広さを実感しました監督自身50の初老ですので、当然といえば当然でしょうか売店にはネルフ本部のエレベータをイメージした万年カレンダーなどのグッズが目を引き思わず購入しようかと思いましたが又ガラクタを買って来たのかとの謗りを家族に受けるのは必至でしたのでその衝動は押し留めましたwさて、作品が どんな感じだったかと申しますと前作 『新劇場版:破』 からの続きとしては 余りの様変わりに鑑賞して間もなく 見知らぬ別世界に放り出された感覚に襲われますTV版のリニューアルだった前2作に対して、完全新作の本作は正に 前2作を知る観客を 特に旧作をよく知るファンを突き放すようなオープニングに衝撃を受けたままの90分余りだと言えるでしょうストーリはここでは一切触れませんので 御鑑賞予定の方も以下ご参考下さい本作は前作のラスト 『サードインパクト』 その後を描いたものですがキャラクター達の これまで作品の中で見た事の無い空気感とあまりの観る者への突き放し方に観客は気持ちの落ち着く場の無い鑑賞を強いられますそして居心地の良くない鑑賞の中で 唯一気の置けない場所となったのは『渚カヲル』 が登場する場面でしたそれはまるで主人公シンジの境遇を観客が追体験する様な安堵感に満ちたシーンとなっている様な印象がありました。これは制作者の 確信犯的な演出の一環の様に感じられましたが旧作を知る観客にとっては 怪物 の様に感じていた 渚カヲル の存在をシンジが心を許す 友 として見える様に描く事は旧作を完膚無きまでに壊した造りとなった本作の一つの 鍵 だったとも捉えられるものがありました。■庵野監督が 『アノ』 様な世界を 突然押し付ける様に提示しこの先の展開を知る由もない見た事もない物語の中へ観客を放り出したのは一つは、意図しない流れを突き付けられた観客が5感を削がれた様な状態 になり何を拠り所にすれば良いのか分からず混乱した後に唯一 旧作と同じ立ち位置の 渚カヲル が現れた時に感じる碇シンジが渚カヲルに感じる様な 安堵感 を得られる境地に観客を意図的に導く狙いがあった為と思わせるものがありました。この様な意図で放り出された観客が 渚カヲルとの一連のやり取りをフックとして繋ぎ止める クサビ の様に感じる様に導くにはともすれば、作品の主役が助演に移りかねない状況になる可能性という危ない橋を渡る様な アクロバティックながらも精密な計算を伴う演出が必須であり加えて、主役の境遇に観客がリンクする様にリードする稀有な脚本力があって 初めて実現する事でしたがそのどちら備わった 庵野作品あっての本作の狙いへと繋がった様に感じられましたなぜ今回この様な内容になったのかですがそれはこれまで描かれてきた「君と僕のセカイが直結」した「自分の大事がセカイの大事」となるいわゆる「セカイ系」のアニメの代名詞として語られてきたエヴァが前作で綾波レイを個人的に救う事を選んでサードインパクトを引き起こし世界を巻き込んだシンジに受難を与える展開を取り旧劇場版では「アニメファン」「オタク系」を否定した庵野秀明が今回は「セカイ系」を根底から否定する意図からの急展開が狙いだと言えます同時に 渚カヲル の様な心休まる存在として頼るシンジの精神的危うさを体現させた後「アノ」顛末に至る事でこれまでジャパニメーションが当たり前の様に描いてきた「主人公がヒロインを救うために周りが巻き込まれる」その展開を推挙する事を否定して同時に 個人的な思惑で周りを巻き込む事の「それは許されるのか」という「大勢の大事が個人に直結」する日本の社会に向けての問い掛けを行う事が目的だったと思われますしかしそれはまるで これまで日本の特撮映画のオマージュを作家性として作品作りを続けて今後もそんな形で作品作りをする事に対して「それは許されるのか」というあたかも作家庵野秀明自身が自身の「作家性の否定」という極めて個人的な思惑で作られた様な印象がありそれが今回の、突き放した様な作風の追い詰められた焦燥感の理由だと言えるものがありました■あと シリーズ全てについて言える事としてエヴァンゲリオンという作品が持つ独特の息苦しい 閉鎖感 ですがそれは一切の市民描写が無い所にひとつの理由があるとしても本作では その度が外れた扱いにもはや主役達だけによる舞台劇の様相が色濃くなったという『夢の遊眠社』 による 野田秀樹 の戯曲でも見ているかの様なシェークスピア悲劇の様相を持った鑑賞感すら起こるものがありテレビシリーズ版最終回を見ても分かる様に元々演劇性の強い演出を好む庵野作品ではありますがそれがエヴァンゲリオン特有の社会から隔絶された所で描かれる社会とは異なる価値観で描かれてきた作品ならではの「セカイ系の世界観」と言えるものがありましたそれが今回の様な 攻撃的な程に観客を突き放した様な内容になったのは渚カヲルの様な存在に頼る碇シンジを突き放し誰にも歓迎されない社会で孤立させるそれを観客も同じ様に追体験するという思うに庵野監督は、97年の劇場公開時では不可能であった万人が一つのものを共有する事が可能となった現在のネットの発達によりスマホなどのモバイル端末によって手のひらサイズで全世界一斉共有を実現を可能にした共有する感覚 というものが誰でも当たり前の様に身に付いたネット社会となった現代においてもしこのモバイル端末を失いネットから閉め出されて今やっている事の全てが一切何も立ち行かなくなった時一体何を拠り所にするのか、 といった様な誰もが「5感を削がれる様な感覚」 を理解出来る時代になった事により初めて 5感を削がれる感覚 の 鍵 が手に入り閉鎖感をもたらす世界観を 単なる設定としてでは無くその「鍵」によって 強烈な閉鎖感を演出で再現したという実存感を持って物語に組み込んだ事が狙いだったと思われるものがありました。それは 作家 庵野秀明の 創作上の苦境を追体験する旅 の様でもあると 言うことだったのかもしれません■エヴァ誕生10周年として始まった映画プロジェクトは3作共に話題作となり記録的大ヒットを続けておりますがなぜ エヴァンゲリヲン を 又映画でやらなければならないのか真意 が掴めないでいましたが一つは旧劇場版での「アニメファン」との「セカイ系」的繋がりの否定からネット社会となり人との関わり合いが大きく変化した現代にアニメやSNSを含めた「ネットユーザー」との「ネット社会」的繋がりの否定という21世紀の社会となっても「人と社会との関わり」を問い続ける庵野秀明にとってのライフワークとしての取り組みだという印象を受けるものがありましたエヴァンゲリヲンのテーマは、 作品の内容が大きく変わった新劇場版においても『人と人とのコミニュケーション』 である事は 変わり無く続いており本作が持つ 庵野秀明作品特有の 閉鎖感と焦燥感による 「息苦しさ」 が人が人としての繋がり に感じられるのでは 無く人との共有された人では無い何か によって感じられる 事がネット社会が発達した現在にして ようやく表現出来た、そんな作品になっている様に思った 鑑賞後感でしたヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q EVANGELION:3.33YOU CAN (NOT) REDO.【Blu-ray】 価格:4,790円(税込、送料込)ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破EVANGELION:2.22YOU CAN (NOT) ADVANCE.【Blu-ray】 価格:5,261円(税込、送料込)▼△▼△ 旧劇場版記事 ▼△▼△改めて 『旧映画シリーズ』 の 『あの』 ラストの 『真意』 を探る新世紀 エヴァンゲリオン『Air/まごころを君に』記事はこちらから>>多数の 『定説』 が、必ずしも 『真意』 とは限らない・・・▼△▼△ オススメ アニメ記事 ▼△▼△まるで「尾道3部作」『 劇場版 涼宮ハルヒの消失 』記事はこちらから>>もはや『実写神話』は本作によって崩壊したと言っても過言ではない・・・