バイオリン作りの青年と人生のひきだし
山は二人で登っても楽しいが、一人で登っても楽しい。たまに行きかう人々と挨拶をかわすと一人で登っているのも忘れてしまう人生も単独登山のようなもの、たまにすれ違う人は何人かいるが基本的には一人、別れ道も自分で決める、頂上に登ったら人はいるが、下る時は一人だ。なんて、ロシアあたりの詩人がいいそうな言葉だ。(自分で考えたのですが)スイスでロシアの排他的な詩人気分で登山をそれなりに楽しんだが、正直言ってしまうとこのスネガについてはその時の日記にもただ登ったというだけしか書いていなく、あまり記憶がない。ではここでは何が書かれているかと言うとやはり人との出会いについてだった。ここでやっと登場する日本人。ツェルマットに来てから何名か日本人とは会って話をしたが、そこまで印象に残っている人物には出会っていない。ただここで会った彼は印象的だった。アメリカのボストンでバイオリン作りの学校に通っている男性。そうここであ!と思う人はなかなかのジブリ通、あのジブリ映画の[耳をすませば]に出てくる聖司君にそっくりな人だった。海外に一人で出て好きなことを勉強する、しかもバイオリン作りという職人の世界において、日本人が欧米社会に出て行くというのはどういうものなのか、僕には想像もできない大変な経験もしているのだろう、彼と一緒になってアメリカ人やカナダ人のネイティブの人たちと英語を話していると、彼がおそらくいろいろな苦労をかけて習得した英語力と、欧米的なコミュニケーションの力が並大抵の努力では生きていけない世界を物語っていた。この時、高校卒業後の進路がフィリピン行きと決まっていた僕は、彼と何年後かの自分を重ねてみていたんだと思う。学校卒業後の進路はそうするのかと尋ねると、彼は「まず、誰かについて学び、それから一人だちする」と語ってくれた。最後に「日本に帰るのは30過ぎかな」とまだ20代前半のあどけなさを残した彼の横顔が、一瞬決意の横顔にかわり激しく輝いた。スイス最後の日、スイスのお土産をと思い、村に出ていろいろ探し、アーミーナイフを頼まれていたのでそれを買った。チョコレート屋さんで、スイスの有名なチョコレートを数個選んでもらい道でそれを食べていると、昨日の聖司君に出会い二人で買い物を少ししユースに戻った。スイスは、泊まっていたユースホステルも最高で、昼は山登り、帰ってきたら様々な人と出会い語り合い最高に贅沢な日々を送らせてもらった。テレビやゲームやインターネットなどいっさいないのに、自然と戯れ、人々と語り合いお腹いっぱい御飯を食べれる、それだけで幸せで満ち足りてるなんて、日本で高校生活をおくっていた僕は知る由もなかった。今でもあの広く青いどこまでも続く晴れ空と、緑を抱いた山々神々しいマッターホルンが見つめているツェルマットの風景を頭に映像として思い浮かべることができる。それは平和と幸せな日々の象徴としてうつる。辛い時にそれを思い浮かべると、何故だか幸せな穏やかな気分になり、笑みさえこぼれてくる。そんな大切な人生のひきだしの一つをここで手に入れた。毎日あんなにも晴れていたのに、夜になり雨が降り出した明日の朝も雨らしい、明日はフランスへ旅立つ絵のように美しく情熱的な地プロバンスへ