枠にはめられる日本女性
海外生活をすると、日本にいたころには気がつかなかったことが出てくる。先日、長期の帰省の中で、何となく感じていたのが、日本の女性って、枠にはめられてけっこう窮屈なんじゃないかってこと。こういうトレンドを取り入れ、こういうメイクをして、ちょっと贅沢をしながらも、自分らしく、いつまでも美しく生きましょう・・・・高校生がもてはやされるのは、日本特有?の現象かと思うのだが、20代になると「自分探し」を強いられ、30代では「結婚はどうなんだ」とうるさがられ、40代だと「オバサン」とたたかれる。50代以降は、すでにどこかに消えている・・・・結婚していて、子供がいても仕事と家事を両立し、まあまあの暮らしをしていて、美しくきれいで、魅力的な女性。そういう女性もいるにはいるだろうが、人それぞれには違った環境があるので、そうありたいと願うのはいいが、そうでなければいけない、ということはないはずだ。しかし、日本にいると、そうならなければいけないような意識になる。ちなみに、スウェーデンは、もっと自然体だ。どの年齢層の女性でも、それなりの身だしなみがあり、「オバサン」が若作りをして見苦しいということもなく、「オバサン」は「オバサン」である。「オバサン」を批判するようなことにあれば、それは「女性蔑視」となるだろう。そして、逆に社会に叩かれるはず。それに、どんな暮らしをしようが、人それぞれだ。流行に取り残されて「恥ずかしい」と思うこともない。見えない社会の枠にはめられて生きなければならないというのは、ちょっと息苦しい。まあ、だからそういうプレッシャーがない海外に飛び出していく日本女性もいるようだが、ここでひとつ経験談。確かに、日本女性にとって、日本社会は閉塞感があるけれど、海外に住んで「たが」が外れると、人は「風変わり」になることもある。こういうとき、日本の世相というのが「チェック機能」を果たすこともある。つまり、わが道を行きかけたとき、「もう少し小奇麗にしましょう」とか「オバサン」にならないよう気をつけましょう、とかわが身を振り返らせてくるのだ。私も日本に帰ると、そういった緊張感もないではない。