「東京難民」とポケットティッシュ。
昨日「東京難民」を観てきました。ある日突然、家も、お金も、大学生という身分も失ってしまったら、いまどきの男子はどうなってしまうのか。半年後には、どこで何をして暮らしているのか。もちろん典型的なケースではないにせよ、大いにあり得そうな展開がリアルすぎて、途中で何度も「やめなさい、よしなさい!」と心の中で大声を上げながら観る羽目になってしまいました。はじまったと同時に思ったのは、これは平成の今だからこそ描けたストーリーということでした。昭和の時代には、ネットカフェも24時間営業のハンバーガーショップもありませんでした。もちろんスマホだって。この不便さが、結構「きちんと生きる」ことにつながっていたのだと思うのです。スマホがなければ、電話をかけるならイエ電しかないですし、メールがなければ手紙しかない。こんな環境で育てた友人関係であれば、きっと窮状も訴えられたでしょうし、まさかあそこまで転落することもなかったはず。迷惑をかけたくないからネカフェに泊まる気持ちはよくわかるのです。でもそれは、弱みを見せ切れる人間関係が、こうした連絡手段に頼りきっている今、作りにくいからだと思うのです。修くん(主人公の名です)の転落の加速度を上げたのは、「無知」と「淋しさ」だと痛感しました。たとえば大学生であれば、内容証明というものが届いたら、とりあえずビビってみるだけの知識はなければダメでしょう(汗)。そして淋しさと戦える心の強さもまた、大切なのです。淋しさを安易に埋めようとすればするほど、修くんはツキに見放されてしまいます。顔つきまで(せっかくイケメンなのに!)冴えない、ちょっと近寄りたくない雰囲気すら漂いはじめるからびっくりなのです!無知と淋しさ。それは人間が、つつかれたら最も弱いところです。ある種のよくない人間は、人のこうした部分に鼻が利きます。(だから『よくない人間』としてはびこっていられる)不当に搾取し、利を上げる人間を寄せ付けないためには、学んで知って、心を鍛えること。これしか方法はありません。しかし、落ちた先にも、救いとなる大人がいるのですね。この描写はうれしかった。何故、不当な扱いを受けてしまうのか。そうした世の中の仕組みを、修くんの心に寄り添うように話してくれた小早川さん。その、中の人の(笑)小市慢太郎さんの演技を拝見すると、いつもいつのときも、不条理な思いの折り合いがつくのです。不思議ー(〃'∇'〃)見終わって外に出たら、ポケットティッシュを受けとりました。チャットレディ、時給1,500円からと書いてありました。若い人たち、大切な時間をたやすく稼げる仕事に費やさないで。それよりも、「仕事ができる」チカラを学んで、育てていってほしい。切に思います。xxx