フリーズの新解釈
このところ、弟は夕食をとってしばらくすると、行動がフリーズしてしまうことが時々ある。みんなで心配していた。突然起きる行動の変化に、あーでもない、こーでもない、と考えあうのだけれど、心配度マックスの親はだんだん焦っている。お医者さんに相談したり、前後の出来事を思い出したり、なかなかすっきりしなかった。昨日も同じような症状になり、思いついて一度横になって休むことになった。食べ物がおなかに入って血液が胃に集まって、一時的な貧血?だったら横になって、脳にも血流を、、、、というわけだ。ほんとかあ~~~??と思いつつ様子を見ると、なんと本当に10分で復活してきた。脳波検査か、薬の調整か、はたまた成長にともなう変化かなど、けんけんがくがくしていたのに、あっけない。一番ほっとした様子なのは弟である。当然だ。健康診断にも出ない身体の変化は、自分でもよくわからないことが多い。特に障がいがある私たちは自分の変化を感じるところも、本当にそうなのかよく認識できないし、なにより、うまく伝えられないという大きな壁がある。行動の前後のエピソードはそれこそたくさんある中で、どんどん消去法で解決法をさがしていくのだけれど、自分のことを自分で言えない人ほど不安と心配に包まれる。オウム返しに、○○なの?と聞かれるとその通り答えてしまう弟ではあるが、何かがヘンになった、という自覚を伝えていたのはすごいと感心した。やっぱり大人になっているのだ。支援する人の持っている情報はとっても限られるのだから、支援チームが有能でいればいるほど安心も自由も拡大する、というわけだ。共感しながら寄り添うというのは、言葉では当たり前のことのようですが、なかなか難しいことだ。共感そのものを取り違えて、自分の経験と知識で結論してしまうことも多いからだ。そんなとき、私たちは、なんか違うな~と思っても、伝えられないし、そこで完結してしまいます。結果、しょうがないか、と合わせておわり。ドンピシャになることの方がめったにないのだから、それでも、何パーセントかを共有して、少なくとも、そうなんだね~と立ち止まってもらえる人とはとても楽でいられる。家族は厳しくなることも多いですが、一番頼りにしているのも事実。もう一回フリーズの時に、横になって休憩、を検証してみたらアタリだ。こうして、弟の安心はまたひとつ増えるというわけ。自分のことを自分で伝えるのは、本当に難しい仕事だ。