感覚の個人差
衣替えのシーズンだ。いきなり寒さがやってくる仙台は秋が難しい。着ると暑いし、脱ぐと寒い。山に住んでいる気候と通所先の日中の気温差も大きい。自分で適温をうまく伝えられない私たちは苦労する。今年は天候の変化も大きく、家族も苦労していた。毛布も薄いのと暑いのを用意して、私の環境管理も実にきめ細やか。ありがたい。ここは父が頼れる温度管理のプロで、母は雑。たぶん父の自己感覚が気温にうるさく、センサーメモリも微細なのだ。エアコンと換気を何通りも駆使して快適が保たれている。母のツボと大分違うので、介護人によって気温も変化する。まあ、大分慣れたので私は周囲の環境にあまり文句を言わないようにしている。職場では最年長のお局さまがエアコン管理して、若い人は口を出せないらしい。ものが言えないときはそんな感じが多かったかも。病院では患者の体調が優先なので、看護する人は自分のことは自分で調整していた。できる人が優先先に合わせるのは常。障害が重い人が集団で活動する施設では一番管理が必要な人に合わせるだろう。なので私は、朝の厚着から昼の薄着に速やかに変えてもらう。ありがたい。衣替え大好きな弟は、半年ぶりで見るお気に入りフリースを出した途端着る!どんなに暑い日も汗だくでも気にしない。弟の優先順位は見えた順番で、好きなものが一番になる。なので、親は見せないように少しずつ衣替えしている。ごくろうさん。毎日いろいろなことを判断して選択している私たちのくらしの中で私のようにうまく自分を伝えられない場合様々な工夫をしていることにどうぞ気づいてほしい。あえて息をたくさんして汗をかいて、暑さをアピールしたり、緊張を高めて呼吸音で気づいてもらうようにしたりする。モニターがあるときはアラームを鳴らしたりして。その時に、何のサインか想像して共感して気づいてくれる人だと実にありがたい。いのちを預けやすい、というもの。昔アラームを何度もならしたら、うるさいから、と片付けられたことがあった。そんなことが連続すると、発信するのをあきらめるはめになっていく。一方で、分かってくれすぎる人と一緒だと、自動的にまかせすぎることになる。人間は楽な方に流れていくものだなあ。その中に諦めもけっこうある。どちらがいいのかな、とおもうけれど、いつもいつも発信し続けるのもくたびれるのでほどほどに発信の努力をし、ほどほどに休む、というのが一番いい自己管理というわけだ。やっぱり、信頼関係がなにより大切だ。