へこまない心
丸一日落ち込み続けての二日目。案外くたびれた。そして、落ち込むのにもなんだか飽きてきた。夜の間に聞いた雨音が今は止まった。台風は過ぎったらしい。余韻の曇り空と時々降る雨は私の気分と良く似ている。昨日のうちから早めに今日のケアをキャンセルした。気をもんで朝一番に来てくれるヘルパーさん達にも、たまにゆっくりしもらうのもいいかも。私も休暇の一日にすることにした。さて。これまでに何度も病状が変化して、そのたびに不安になったり、回復に一喜一憂したけれど、それらはいつも大きな自分の目標を支えるものだった。人生の華々しい舞台でもある20代を絶対経験してみたい、と思ってきた。20さいを迎える目標が10年巾を持ち、振り返るといい思い出がたくさん残してこれたことがうれしい。重症心身障害者の30代はどんな景色なのか。身体を維持することに目標がシフトいくことを知っている。健康な人よりもきっと身体を酷使しているのだろう。もともとの容量も少ない私たちなのだから、ピークも早ければ老化も早いのかもしれない。糖尿病は成人病のイメージが強い。えっ、もう下降線来た!?と思った。ショックはショックでも、これから落ちていくというイメージは強烈だ。何度も気持ちがアップダウンするのはとてもくたびれる。受容の段階なんて、知ったこっちゃない。どんより、がっかりを、じっと小さくなって味わうしかないのだ。自分が体験したもっと苦しかった時のことや、震災のこと、色々な思いがあっただろうけれど死んでしまった人、生きていきたかった人のこと。いきなり、生死のポイントを思い出すのは私のくせなのかもしれないが、苦しいときにそれが出てくるのは私の原点なのだろう。そうすると、まだできることがある、と思いだす。色々あるけど、今の状態はそう悪くない。息は楽だし、痛みもない。吐き気もないし、よく眠れる。会話だってOKだ。まあ、なんとかなりそうな気もするし。下降線なら、果てしなく長~~~~~くゆるやかな下降線にすればいいのだ。そのうちに30代は過ぎていくのかもしれないしな。けっこうな風の中でも、庭に小さなヒマワリが咲いていた。日陰でほかの花や葉を鳥に食われたりしたのに、この子は咲いた。小さくたって咲いていることに変わりはない。明日は晴れの予感。