福寿草
雪がふったり、氷点下の気温になったりして、まだまだ寒い毎日ですが、庭に今年も福寿草が咲いた。かわいい黄色でぱっと上を向いて咲いている。小さいけどけっこう目立つ。主張がある。福寿草はめでたい名前もつくほど、縁起がよい花だそうだ。でも、茎には毒があるらしい。見た目のかわいらしさにだまされてはいけない。でも、自分の身を守る毒なのかも。だれでも多少の毒はこっそりもっているものだ。ちょっと意地悪したくなったり、嫌な気持ちになったりするものだ。行動に移さないんだから思うだけなら多少はしかたがない。とはいえ、いつも表をかわいくにっこりしているのも疲れるし、自分を出さなさすぎ、というのもブキミだ。かえって信用できない。わたしは、自分の好みだけど、人間ぽい人が好きだし、介護も受けやすい。お互いに泣いたり笑ったりするのが好きである。多少のことはしょうがないじゃん、と思う。どこまでが多少のことなのかは、悩むけど、だいたいはしょうがない、と思っている。案外これは、諦め、なのかなあ、とも思う。諦め慣れると、ナンでもよくなる。しかし、積極的に諦めれば受容ともいう。消極的に諦めれば不満になる。というわけで、積極的に前向きにいるのは努力もいるでしょうが、だいたいのところで歩み寄ることにしている。でも、毒はもってるぞ、とよりどころにしたりしているのだ。私の毒は何でしょう?ふふふ・・・。もちろん、ヒミツだ。