一日のおわりに
一日のおわりに30分。母と弟が話をしている。すごく頑張って疲れすぎると、弟はゆっくり止まって座ることもできなくなるので、まったりしたり、のんびりしたりして、寝る前に落ち着かせる時間だ。絵本を読んだり、だらだらおしゃべりしたり、いろいろなんだけど、私もそばで聞いていてけっこうまったりしてくる。この頃は、「よかったことノート」にその日のいいことをみつけて書くのですが、Chieさんデイは、ちえ、ちえ、オンパレードでどんどん出てきました。弟も楽しんだ様子がわかります。で、次の日は、ドカンと落ち着かなくてノートも休みだった。一日という一区切りに今日もがんばったな~とか、今日もよかったな~とか思うのは、案外、わざわざそういう時間をつくらないと流れていくものだ。私にとっては毎朝、ブログから一日が始まり、時間の流れや、少しまとまった生活の流れの微調整とか計画を立てたりして、メリハリを持てるようになったと思う。ひたすら一日中吐き気しかない頃にはとても考えられない。苦しみに向き合い続けるのはとてもつらい。ほんとうに少しずつなのだが、1分でも吐き気がなくて、空を眺めたりできるとうれしかったものである。弟は自分でよかったこを、よかったと思えるように練習しているともいえる。人から言われても、自分でよかったと思わなければ、意味がない。よかったこと探しも、どれがよいことか、小さいことでもよかったと思えるようになれば毎日盛りだくさんだ。すごく大きなことしかよいと思えなければ、毎日ちっともよくないわけで。よいことの基準は人それぞれ。一日のおわりによかったこといっぱいならよく眠れるというものです。Chieさんと会った日、よいことノートはすぐ10個になり、はっぴハッピー!と2人は踊っていた。寝転がって手足をふにゃふにゃさせるヘンな踊りだ。私も誘われて、手だけ参加した。なんか、ホントにハッピーになった。人間は喜びを動きでも表現する。(笑)