2年目の道
社会人1年生が終わろうとしている。終わろうとしながら、もう2年目への準備も始まっている。少しずつだし、時間もかかっているのだけれど、大体自分が思う方向にじりじりと進んでいるような気がしてきた。自分が自分になる前に、自分が自分だ、ということを周りの人たちにわかってもらいたかった。・・・のだけど、その方法が見つからなくて、とても苦しんだ。こんなもんか、しょうがない、とあきらめてみたり、気持を切り離して考えないようにしてみたり、いろいろと苦しまない方法を工夫した。でも、結局それらは、あんまり効果がなくて、やっぱり、自分の本当の姿を知ってほしくなるものなのだね。たまたま詩やブログが私の大切な方法になったが、それだって、たまたまのようで、たまたまではない。子どもの時からのものすごく小さなことが、積み重なっている。そのときは、本当にそれが役立つかはわかっていないのだけれど、自分が行きたい方向には嫌でも進んでいるようである。どうも、これは違うな、と思うことも、ぴったりする居心地のよい道をみつけるためには必要だった。沈むから浮くことができる。雨がふるから晴れもさわやかだ。いいことばっかりだったら、つまんないかもしれない。だいたい、大変なことのほうが多いものだ。と、案外、何とかなるさと思えるようになってきた。自分でもちょっと意外。そうなれたきっかけは、なんだろう?やっぱり社会人と呼ばれるようになったから?思うに私の性格は、案外いいかげんで、そのわりにはしつこいからかな?とも分析中。だいたいがんばるけれど、どんどんいくと、めんどくさくなる。でも、ちょっとすると、やっぱりくやしい、と思う。だから、またやってみるか、と思うのだね。学生時代にはわからなかった。体調にあわせてもらっていたし、締め切りもない。回りの人や時間に合わせなくてはならなくて、気持ちとずれると、むかついていたことも待てるようになった。でも、実は案外あきらめていないのだ。しつこいのだ。めんどくさいと、しつこい。自分が今どっちか、それを見ている自分をみつけた。めんどくさくてもしつこくても、どっちの気持でいても、今は今できることからはできる。社会人2年目の道は、どっちへ行こうかな。選べるのは楽しい。