心つくらずして (心づくりと御魂磨き その3 )
今回のタイトルは、木村藤子さんの著書「気づき」の幸せから転記させて頂いた。「気づき」の幸せの『心つくらずして』の章には、心が出来ていなければどんなに修行しても深い部分で交流が出来ないと言うことが述べられている。そして自分のカルマは自分の心で汚れ落としをするべきだと書かれている。 多くの人が、そうなのか~と思い軽くこのページを流してしまったかもしれないが、私には非常に気になるところがあった。それは、ヘルマン・ヘッセという人の書いた「シッダールタ」という本を読み、身が震えるほど感動を受けたという部分である。ヘルマン・ヘッセの「シッダールタ」という本のあらすじは以下のようなものである。 【シッダールタのあらすじ】 今から約2500年前、インドに一人の男の子が誕生した。その名はシッダールタ。彼はバラモン(聖職者)の子として生まれすくすく育ち、神事などを覚えていくが常に心の中には満たされないものが渦巻いていた。そしてある日、彼は友人のゴーヴィンダを連れ、悟りを求めて修行の旅に出ることにしたのだった。 彼らの修行は非常に激しいものだった。息を止め断食を行い、時には魂を死に行く命に重ね合わせ苦しみを享受した。そんなある日、心の晴れぬシッダールタは悟りを開いた者、ゴータマ(仏陀)の存在を知ることとなる。彼らは仏陀に会い、仏陀から発せられる全てと同化し受け入れた者の感覚を肌で感じゴーヴィンダは仏陀教団に所属することとなった。しかしシッダールタは覚者に尊敬の念を抱きつつもそこには悟りはないことを心で見抜き、わが道を歩むことを決意する。 ゴーヴィンダと別れたシッダールタは、その後世俗で愛を重ね、働き、普通の生活に戻ることとなった。人の流れに身をゆだねていたある日、彼は再び心の疼きに突き動かされ全てを捨てることを決心する。縁あって彼は、人里離れた川の渡し守と共に時間を共有することになる。そして、川の流れに全ての流れを見出したとき、初めてこの世の理を身をもって悟るのであった。 時は流れ、シッダールタが老人となったとき、かつての友であるゴーヴィンダと再会する。仏陀教団の僧侶となったゴーヴィンダだったが、幾年にもわたる修行を経ても迷いの輪廻から逃れることが出来ないのであった。そんなゴーヴィンダにシッダールタは、迷える心に全てとつながる心を、心で伝えた。そこにはかつての覚者、ゴータマ(仏陀)の微笑が宿るのだった・・・ 私がこの本を読んだ後、普段前世について相談者に語らぬ木村藤子さんが、何故私の前世の光景を伝えてくださったのか理解できた気がした。そして、前世から受け継がれてきた魂と現世での魂がつながっていると感じた。木村さん「あなたの前世は侍で山とかによく行っている姿が見えるの・・・。川とか好きじゃない?」私「川・・・?う~ん、どうでしょうか・・・(侍って・・・サボって山行っていたのかな^^;)」木村さん「大きな川ではなく・・・。岩の上にワラビのような植物があって、あなたがそれを眺めているの。生命の神秘とかよくこんなところで生きているとか命の不思議に感動している姿が見えるの。」私「(うぉ、すげぇ。これは本当だ!!) ・・・、小川とか山の沢のことですか?」木村さん「そう、小さな水の流れ。この風景は過去世かしらね?あなたがそういうような所が好きなのは、過去世を引きずっているからなのよ。」 ヘルマン・ヘッセの「シッダールタ」は気軽に読んですぐに理解できる内容ではないかもしれないが、そこには日常生活を含む全ての中に、心づくり、魂を磨くためのヒントが含まれているということなど、多くのメッセージが随所に見受けられる。心づくり・御魂(御霊)磨きこそが、輪廻転生、この世に生まれてくる理由なのかもしれない。 この本は、読む人それぞれに違うメッセージを語りかけてくれるだろう。シッダールタ税込 1,365 円シッダールタ改版文庫版 税込 380 円