小さな、とても小さな足跡。
昨日、情報が入った。(^_^;)ブラジルでの公演が、現地の「ニッケイ新聞」に掲載されていたと・・確認したので、そのまま載せてみる。長いから、読まなくていい! デス。ニッケイ新聞 2008年10月1日付け丹下セツ子太鼓道場30周年=初の単独ショーを盛大に=超満員だった文協大講堂=日本から今泉代表ら参加=「よく指導した。立派」 「三十年間、丹下さんよくこれだけ仕込んだ。立派なもの」。丹下セツ子太鼓道場三十周年記念発表会が九月二十八日午後、文協大講堂で行われ、会場を埋めた長年のファンからそのような声が聞かれた。同道場が太鼓中心の単独ショーをするのはこれが初めて。助六太鼓の十曲に加え、平成鳴子会によるYOSAKOIソーラン、和太鼓とタップダンスの競演などもあり、あっという間の三時間だった。日本からは助六太鼓の今泉豊代表はじめ特別参加四人も駆けつけ、節目のショーを盛り上げた。開幕にはマツケンサンバにあわせて出演者総勢五十人が登場し、丹下セツ子さんも黄色に金柄の豪華な着物でサンバを踊りながら登場し、会場を沸かせた。弓場農場から「コロニアで最も古い太鼓グループ、ここから多くの奏者が育った」との祝辞の後、マリンガ支部と合同で十九人による「祝い太鼓」を叩き、打音の強弱の丁寧さを印象付ける一糸乱れぬ演奏をみせた。七八年、丹下セツ子少年太鼓隊(五人)から出発した歴史が幕間に語られ、般若の面をかぶって三つの太鼓を叩き分ける、勇壮な「荒波太鼓」を叩いた。続いて、海藤三味太鼓が出演し、ロック音楽にあわせた新しい三味線演奏を見せた。助六太鼓の今泉代表も加わって、どんどん打ち手が入れ替わって踊るように叩くアクロバティックな「二段打ち」を披露、大きな拍手が会場から送られ、「暴れ太鼓」で第一部は終幕した。 第二幕はガラッと様相を変え、小野智恵美さんによる華やかな歌と太鼓で「無法松の一生」、丹下さんによる優雅な剣舞「神奈川水滸伝」、友情出演の花柳龍千多さんの「夕顔」などに続き、日本から特別参加した四人で「祭り太鼓」、デボラ・コスタ・タップダンス教室のメンバーによる和太鼓との競演も見られ、最後は丹下・龍千多コンビの優艶な「梅川」で閉幕した。 第三部は全員白装束で「雪」を叩き、こんこんと降りしきる情景を見事に表現した。さらに元道場生、浜崎みゆき校長の平成学園から平成鳴子会が、今年のYOSAKOIソーラン全伯大会で優勝した舞を見せた。同道場独自の新作「ニュー太鼓」では打ち手が骸骨の格好で登場して度肝を抜き、ユーモラスに演じた後、間髪をおかずに今泉代表の独演が披露され、バチが見えなくなるほどの素早い打ち込みに会場からは感嘆の声が漏れた。最後は、湯島天神の白梅のつぼみが華やかに咲いていく様子を太鼓で表現した「白梅太鼓」、八丈太鼓をアレンジして激しく打ち込む「追い打ち太鼓」を出演者全員で披露し、観客を圧倒した。 会場は終始、超満員となり立ち見まで。中には入れなかった人もおり、途中、丹下さんは「せっかく来てもらったのに入れなかった人には、本当に申し訳ない」とマイクで平謝りしていた。「日本の祭り思い出した」=特別に4人が来伯参加 観客の一人、村田洋さん(77、神奈川県出身)は「こんなに上手に叩けるとは思っていなかった。丹下さん良く指導した。日本の祭りを思い出したよ」と感慨深げだった。スエトミ・ヒロミツさん(62、三世)も「大変な練習があってこその素晴らしい演奏。リズムの一体感がすごかった」と語った。 当日は日本で修行中の○○翼さんに加え、東京の助六太鼓本部から生徒四人が参加した。「思ったより寒い」と笑う{ホヤの塩辛}さんは、「参加できて良かった」と満足そうな表情を浮かべた。○○信子さんは「気持ちよかった」、○○由美子さんも「ブラジルの打曲は独特のアレンジがしてあって面白い」と感想。○○千秋さんも「一緒に叩けてすごく楽しかった」と公演後の高潮した雰囲気の中、興奮さめやらぬ様子で語った。まァ、取材の内容とは一部違うようだけど、とりあえず、ブラジルの新聞に載ったことは事実のようである。ヨ。(●^o^●)因みに、この記者は、演奏終了後に我々の元に来て、「やっぱり本物の感じがして、素晴らしかったデス。 ブラジルの若者たちの太鼓は、大勢で音も大きいけれど、 殆どロック調のようで、所謂、和太鼓とはイメージが違いますから。」って・・お世辞でもなんでも、そう言ってもらえて嬉しかったのも事実です。ねん。