「空気」で裁く日本
2月26日の館長ブログより 日本は法治国家といえども、人を裁くのは「空気」である。少なくとも正義は人を裁く基準にはなり得ない。日本的思考は「both A and B」である。......Aさんの仰っていることは判りますが、Bさんのお気持ちもよく判ります......どちらも本質的に同じことを仰っているのですが...と、「裁き」を避けるのが日本の精神風土である。本来「裁き」とは、「A or B」である。神か悪魔、正か邪 -- その中間はない。ギリシャ論理でいう「排中律の法則」(The Law of Excluded Middle)が、裁きの基本だ。justice(正義)のシンボルは秤である。ディベーターとしての私の悩みは、ジャッジとなれば、空気に逆らって、論争者のどちらかの側に軍配を挙げなければならないことだ。私も日本人だ。できれば、どちらの立場も判る、と枕詞を述べて、引き分けにしたくなる。それにより、両者の面子は保たれ…(つづきは⇒「館長ブログで」) <冬の白糸の滝。この色のように、心を澄ませたい…> 昨夜の「英語でしゃべらナイト」激論:早期英語教育のウソ?ホント?について、多くの方々からコメントをいただいた。ありがたい。(2月29日深夜1時40分より再放送)