松本道弘ブログ 元祖ナニワ英語道
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(2/16のつづき)なるほど、理想論者でぼんぼん気質の聖徳太子も、これじゃ勝てない。それにしてもすごい分析。同じ「寄生」という言葉を使っても、表の文筆家としての品格がある。――この品格が私の文体に寄生してくれれば、私も文筆家としてメジャーに昇格するのだが。こんなことをブログで愚痴っているから、マイナーのままなのだ(笑)。ところで、難訳語の一つである「和」をめぐって、英文エッセーを書いた。英語で書いた方がロジックがすっきりすることがある。この「和」が武士道とどう結びつくのか。いずれ館長ブログで発表する。お楽しみに。(つづく)
2010年02月17日
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(2/15のつづき)しかし、梅原猛は、ウィルスとか寄生虫といった下品な比喩は用いない。彼は、藤という木の本質に迫る。 「藤は、一言にていうならば、雑草の生命力をもっている木である。それは、むしろそれ自身の性をもたず、他の木にまきついて、その他の木を枯らしつつ、自己を成長させていく木である。寄生が、この木の本性である。この木を自己の姓に選んだ藤原氏とは、大した氏族だと思う。これは、鎌足の意志かもしれないが、その意志通りに藤原氏は繁栄したのである。」(『隠された十字架』P.160より)(つづく)
2010年02月16日
(2/13のつづき)シャーロック・ホームズの演繹推理法の使い方が見事だ。氏をサムライと私が評価するもう一つの点は、彼が「行者」であるということ。吉田松陰並みの飛耳長目(いろいろな人をたずねて、耳から学び、あらゆる土地の現場へ飛び込み、眼で確かめる)を実践され、足でも書くという周到ぶりで実に頭が下がる。氏の分析にはwhy-becauseのロジックがある。なぜ中臣鎌足が藤原鎌足となったのか。あるときは中臣(神道)、あるときは藤原(仏教)、そしてこの宗教的葛藤の中で、両家を、そして両宗教を張り合わせながら、支配していく。このtwo-pronged approachは、ユダヤ民族が得意とした生き残りの戦略ではないか。徳川、足利、日本の大名家は長くともせいぜい200年。しかし、藤原家という寄生虫は、500年以上も続いている。その秘訣は、姿を見せず天皇に仕えているという裏方に徹したからだ。まるでユダヤ民族。(つづく)
2010年02月15日
(2/12のつづき)信貴山にも雪が降った。そんなある日、道場近くの法隆寺へタクシーで走る。ポケットには、梅原猛の『隠された十字架』(新潮文庫)が入っている。私はこのサムライ学者が好きだ。彼の聖徳太子分析は圧巻。全巻読んで溜息をついた。この本は、法隆寺の謎に迫っている。彼こそディベーターだ。しかも音楽がある。謎解きをするのだという、学者の意地がメロディーに乗って貫き通されている。茨の道がある。道中に出くわす、論敵に対し、正々堂々と闘う。その対決のリズムが読者をハラハラ、ドキドキさせる。しかし、仮説から始まったメロディーとリズムを「和」でまとめるハーモニーがこの学者の思考の中にある。(つづく)
2010年02月13日
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(2/11のつづき)故新渡戸稲造と較べれば、知名度のない私は谷底の住人。まるで格が違う。そんな裏街道の旅人が、表舞台のチャンピオンに挑むのは、不遜、いや無謀な企てだ。そのために、∨の底より、さらに低く身を落とし(これが「行」)、断食道場を執筆地に選んだのだ。低くなればなるほど、高くへ登りたくなる。Low living. High thinking.(暮らしは低く、思いは高し)だ。断食大学に目覚めたのも、そういう周囲の空気の変化ゆえである。今年の夏は、3泊3日の半断食合宿(ICEE英語入門講座)まで企画している――多分だれも来ないだろうな。不思議に「気」の大家、浜岡勤塾頭が乗り気であったから意外だ。(つづく)
2010年02月12日
(2/10のつづき)まだ仮説の段階なので、全てがdebatableである。英文出版は――縁があればのことだが――年内は無理だろうが、いずれやる。この元気のない今の日本に活気を与える書として期待していただきたい。日本の武士道を世界平和を望む国々の人の鑑として読んでいただきたい。 断食の魅力はなんといっても、空腹。空である。真空状態になれば、そこから思考が産まれる。∨の極だ。玄米食を捕食に断食している人には、「玄の玄」という玄人(くろうと)っぽい表現を用いる。人は、身も心も谷底に落ちれば、這い上がろうとする。(つづく)
2010年02月11日
(2/9のつづき)さあ、断食が始まる。食べる時間がなくなると、その余った時間を思考して、書く時間にあてられる。しばらく休んでいた紘道館の館長ブログを再開するために、初日から気を引き締めて書いた。書き下ろし「新武士道」というところか。紘道館館長ブログ――Bushido on an empty stomach――の連載はもうすぐ始まる。少しばかり、「気合い」が入っているので、読者の方でも、気を引き締めて、辞書を片手に私の英語のみならず、思考まで厳しく検証していただきたい。これを下敷きとして、日本のBushidoをもう一度、世界に広げてみようと思っている。(つづく)
2010年02月10日
(2/8のつづき)これまでの武士道は、父親的であったが、私の新武士道は、海的、谷的(V語的)、母親的な武士道ということになる。「海の武士道」は3月6日の復活祭で恵氏に語ってもらうつもりだ。とにかく、教と育は、両極でなくてはならないのに、育の面が欠けている。だから、教える方も教えられる方も、乾電池化する。塾は人を、そして組織を磁石化させる。武士道における男女のコラボは、マグネティックである。西洋の騎士道では、男は強いもので、弱い女を守るというタテ思考だが、両神(イザナミ、イザナギ)の協力により営まれてきたこの国では、男と女は、タテではなく、ヨコで、結ばれているのだ。結び、縁――すべて紘道館の紘のように糸偏。磁石の論理は、この糸偏の縁結びパワーのことだ。(つづく)
2010年02月09日
(2/6のつづき)いや、断食大学とは、まだ名(虚)ばかりで、まだ私塾の段階だ。お母さん大学のようなもので、別に定まったカリキュラムがあるわけではない。やはり大学という名前の方がカッコいいのだ。お金が流れてくる。塾はまだジュクジュクと、音霊からして不気味だ。お金が来ない。しかし、大学は最高教育機関といわれるが、実は内部(たとえば教授会)はドロドロ(sleazy)だ。どちらも似たようだが、ジュクは師弟共に熟そうとしているから、師弟とも目はギラギラと輝いて、生命の息吹が感じられる。大学はとんがった∧(山)で、人の知を教えるが、育てない。塾は∨(谷)で、堕ちた人まで救い、ゼロから出直させる。だから、この「育」は母親的だ。(つづく)
2010年02月08日
(2/5のつづき)講義といっても孔子ではないから、一方的に教えるのではない。むしろ道を説く私は老子に近い。だから、朱子学より陽明学の講学(ディベートに近い)を好む。究論(ディベート)は、探究心のあるエリートを中心に教える。その反対に、衆生、すなわち、究論より感情的で放心的なアーギュメントが好きな人たちに対しては、対論(ダイアローグ)で挑発しながら対話を進めていきます。DebateもdialogueもどちらもDワードで、「対」が生じる。1人ではなくduo(2人)だ。「法隆寺は何のために建てられたのですか」「聖徳太子の」「建てたの。自分のお金で。何のために」断食行者には、知識人も多いが、このWHY(なぜ)に弱い。「藤原氏が...」「あの蘇我を殺し、聖徳太子一族25名を殺した犯人が...」「よく知っているね。事実はね。しかしその理由は...」「そう、遺族の怨念を鎮めるため。死者を"崇"めるのは、"祟"りが恐ろしいから。よく似た漢字だが、同じようなもの。明日、法隆寺へ行くが、一緒に行きたい人...。出席はとりません。単位も与えません。それでよかったら、ぼくと一緒に勉強をしましょう」こういう授業は、私塾形式の方がやりやすい。断食大学の私塾化はこんなところから始まる。(つづく)
2010年02月06日
(2/3のつづき)役小角は、モーゼに当る、救世主だ。信貴山にはいまでも山伏がいる。「行」は続いている。奈良県の生駒山の中腹に、生駒英語道場(今の紘道館の前身)を開いた。縁がある。亡き父母(明治人間)がデートをした懐かしい場所も生駒。どうも、畏れながら山に惹かれていく。満たされて戻ってくることを知っているからだ。∧を求めて∨に入る。久高島は違う。いきなり∨に入ると∧へ戻してくれる。琉球は、女が男を立ててくれる神女の島々なのだ。(つづく)
2010年02月04日
(2/2のつづき)英語道は「行」なのだ。武士道の延長に、英語の術と道を同時に究める道がある。「道」といえば、嗤う人が多い――とくにマスメディアが好きな東京の学者の間に。しかし、武士道も「道」なのだから、The Way of Englishがあってもいい。『五輪書』の翻訳者のウィルソンは、「英語道はThe Way of Englishで充分通じます」と京都で私に語ってくれた。これが私の世界のキーワードだ。宗教に傾き過ぎた新渡戸稲造の『武士道』に欠落している概念だ。自己規制はいい。自己犠牲もよい。しかし、克己心をどう鍛えるのか。どうも武士道の原点は、山伏などの修験道に至る――そんな気がする。(つづく)
2010年02月03日
(2/1のつづき)創始者の故吉田修道長は、「わしは、断食大学を考えておる」と、よく仰っていた。今になって、その気持がわかる。高さを求めて山を登る。しかし、頂上を極めればそれが「虚」であることに気づく。そして低くみていた谷へ戻る。そこに「実」があった。断食前はやはり緊張する。古い言葉では、垢離(こり)を取る、という。神仏への祈願や祭りなどの際、冷水を浴び、身を清めることだ。家庭もそれを知っているから、ピリピリする。新武士道の執筆に挑むのだ、というマタギ狩人の心境だから、古神道以前の縄文信仰なのかもしれない。虚の私が実を求めて、断食の行に入る。とにかく山が呼んでいるのだ。(つづく)
2010年02月02日
(1/30のつづき)幸いこの冬は、客員教授(派遣社員みたいなもの)にとってつらい。学校で教える仕事はない。メディア人間ではないから、どこかから<引き>があるわけでもない。この寒中、餌を探さなくてはならない――北海道のキタキツネのように。ペンでは食えないご時世だからだ。しかし、そんなふうに深刻に考える前に、山籠りだぞという大自然の声は、私の脳幹に話しかけるから、もっと恐ろしい。ダビンチ・コードではないが、∧(山)は男、∨(谷)は女。信貴山断食道場はその谷間にある。宮崎駿が好みそうな森の小径が裏山にある。創始者の故吉田修道長は、この地で白色の大蛇を見つけ、ここだ(This is it!)と叫んで、ここに信貴山断食道場を創立された。こうだと思い込んだら、迷わずまっすぐに進むお人柄(O型)だった。(つづく) 1月の紘道館例会報告を更新しましたこちら
2010年02月01日
(1/29のつづき)もう四半世紀になるか、断食行を始めて。人生の節目には、必ず断食をする。3月6日に有楽町の外人記者クラブでスズムシになって、天に向かい両翅を広げる。その前に私は蛹になる。再生の儀式だ。だれかにいわれたからではない。自然にそうなるのだ。「身を隠せ」と内なる声が聴こえると、足がおのずから信貴山の断食道場へ向う。ぜいたくな私の遊び心だ。(つづく)
2010年01月30日
(1/28のつづき)「我以外皆師」。この私の好きな言葉を座右の銘にした、有名作家がいた。『宮本武蔵』を書いた吉川英治だ。そんな人に極真カラテの大山倍達がぞっこん惚れ込んだ。小学校しか出ていない、そんな小説家に。池波正太郎も松本清張もすべて学歴不足なのに、いや、だからこそあんな鬼才に化けることができたのであろう。紘道館に集まる塾生の中には、秀才が多いが、それでも満足せず天才を目指すものが多い。虚ではない、実を求めているからだ。(つづく)
2010年01月29日
(1/27のつづき)かつて、「同時通訳日本一になります」と書式にして、故西山千名人に、誓ったことがある。今はその道のプロではない私も、松井君が紘道館に顔を出し、私の横で同時通訳をつとめるときは、内容チェックもしなければならないから、ナチュラル・スピードで喋るのでラクなのに、それゆえに緊張するのだ。紘道館のメンバーには嫉妬という言葉はない。みんなが自分より実力上の道友を求めるところだからだ。単位も卒業証書もない、この私塾では、生身の人間がぶつかり合うところだ。足のひっぱり合いはない。教授は要らない。全員が学ぶ学徒だからだ。「我以外皆師」。一番、真面目な生徒は私かもしれない。(つづく)
2010年01月28日
年賀状は独得な味わいがある。印刷された活字は冷たいが、一言でも「その後、いかがですか」という肉筆の温もりがあれば、来年も語りかけようという気になる。ブログとEメールの時代になった今でも、年賀状は嬉しい。紘道館の誉れ・松井健治(プロ通訳者)がICEEで公式初段と認定された。Once an interpreter, always an interpreter. と肉筆で書かれていた。字も心も踊っている。通訳の道を歩み続けるのも極道かあ――しびれる。(つづく)
2010年01月27日